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第32話 カチカチ

「やっぱ、頭いいんだ。覚えが早い」 「! ありがとうございます!」  一試合目、後半少しずつピンを倒すことができるようになった。もちろん、河野さんのようにはまだ無理で、力も足りないのか、あんな猛スピードでボールは転がっていかないけれど。 「じゃあ、次のゲーム頑張れ」 「はい!」  つい、大きな声で返事をしてしまって、それが館内にタイミング悪く響いた。一瞬響いた自分の声の気恥ずかしさに急いでソファに座って、こっちに視線が向くことのないように頭を低くしようと背中を丸めたら、その頭を河野さんが。  ぽん――って。  手を僕の頭に乗せて、笑って、席を立った。 「喋りすぎて喉乾いた。飲み物買ってくる。蒲田は? 何飲む?」 「あ、お茶を……」  河野さんは……よく、頭を撫でてくれる。  クセ、なのかな。  こうしてお付き合いをする以前から、何度か僕の頭を撫でてくれたけれど。 「……」  そのクセに僕はいちいちドキドキしてしまう。  不慣れすぎて。  聡衣君みたいになれたらいいのにな。  聡衣君みたいに可愛くて、綺麗だったらいいのに。  彼は男性なのにとても綺麗で、たまに可愛くて、同性から見ても十分魅力的だと思う。そんな聡衣君が一番綺麗に見えるのが久我山さんの隣にいる時。  見惚れてしまうんだ。  あの二人が一緒にいるところを見ると。  おうちにお邪魔したことがあるけれど、本当にじっと見つめてしまうくらい、二人とも幸せそうで。久我山さんの笑顔も、聡衣君のはにかんだ表情も、見ているだけで胸のところがじんわりと温まって柔らかくなるというか。  僕もあんなふうになれたらなぁ。  それに、ただ触ってもらっているだけなのに、僕はすぐに身体丸ごと心臓になったみたいになる。触れられた場所は熱くて、触れて引き寄せられたところはジンジンして、もう顔だってきっと真っ赤になって。  カチカチに緊張してしまうんだ。それに――。 「……」  ふと、お茶をどこまで買いに行ったんだろうって。  顔を上げた。  レーンがあり、待機する場所があって、その背後にはロッカーがあった。  お茶を買ってきてくださるって言ってた。  自販機は……あ、あっちにあるんだ。たくさん並んで。そこまで買いに行ってもらってしまった。僕が行くべきだった。秘書の仕事柄、こういうのってすぐに把握するようにしてるんだけど。  ダメだな。  舞い上がってしまってるんだ。  状況把握、下手すぎる。  こら。  そう自分を叱りながら席を立って、河野さんが戻ってくるのを。 「…………」  迎えに行こうとした。  河野さんは飲み物を二つ抱えながら、どなたかとお話しをしていた。  女の人だ。  笑って、お話してる。  それは。  それは、僕がよく見かける光景と、いつも抱える同じ気持ち。久我山さんに片思いをしていた時もそうだった。久我山さんに思いを伝えるなんてこと、考えつきもしないし、そんなの出来っこないって最初から諦めてる。  怖気付く。  あぁ、ってたじろいでしまう。  僕は傷つきたくない。  ほら、今だって、河野さんを呼べない。あっちに歩いていくこともできない。そのまま、向こうに行ってしまうかもしれなくても、引き止める勇気が――。 「……!」  けれど河野さんはその女性に何かを言って、こっちへ歩いてきてくれた。 「お待たせ」 「……ぁ」  僕の方に。 「お茶でいいって言ってたから、お茶。俺はビール」 「あ、はい」 「俺、甘い酒って苦手だけど、蒲田は? もし酒がよかったら取ってくるけど?」 「い、いえ! その時は自分で」 「あっちでアルコール作ってくれるっぽい。カクテルとか。今、酒片手に歩いてたら、お酒あるんですか? って話しかけられた」  あ、今の。 「もう少しわかり易いとこに用意してくれたらいいのにな。結構本格的なカクテルバーだったな。まぁ、味はどうだか知らんけど」  楽しそうに話してたけど、お酒のことを訊かれてたんだ。  笑っていて、楽しそうで、そのまま、なんというか、その。 「蒲田?」 「! いえっ、ありがとうございます。お茶」  僕が河野さんの隣に立っても、恋人のようには見えなくて。見えても、職場の同僚とか。スーツだし。あとは友人。  それに――。  ほぅ、って、思わず溜め息がこぼれた。  僕は上手じゃないから。  話すの。  さっき河野さんに話しかけた女性みたいに、ぽんぽんって会話ができない。  彼女が何か話して、河野さんが答えて何かを話す。そして笑って。それからまた彼女が何かを話したら、河野さんが答えて。  僕とじゃ、河野さんはたくさん話してくれるけれど。  僕は「はい」くらいしか答えてないと思う。  たくさん話させてしまってると思う。  喉が渇いたって。 「あ、あの……すみません」 「? やっぱアルコールがよかった? それペットボトルだし。そのままにしておいて、一緒に買いに」 「いえ……あの、僕、河野さんを楽しませられてなくて」 「……」 「喉が渇いてしまうくらい、河野さんばかりお話してて。僕、あまり話すの上手じゃないのに、好きな方の前だからそれ以上に上手じゃなくなってしまっていて、だから」 「さっきはありがとうございましたぁ。お酒、教えてくださって」  僕の辿々しい謝罪を、高くて可愛いらしい声が遮った。 「あー、いや」  それはさっきの女性だった。 「お友達とご一緒だったんですね」  にっこりと微笑んで、耳に髪をかけながら、首を傾げるようにお辞儀をする。その隣にはまた別の女性が一緒にいた。  きっと、河野さんがかっこいいから声をかけたんだと思う。そして一緒にいるのが僕で、男性で、友人に見えたから、だから、こうして声をかけたんだと……思う。  彼女連れなら来なかった。  けれど一緒にいるのが僕で、男で。  だから来た。  友人とボウリングをしているって思ったんだ。 「じゃあ」  きっと、彼女はこう続けると思う。  一緒に。 「あの、もしもよかったらご一緒させ」  いかがですか? って。 「あー、いや、受付し直すのとか面倒だから」 「え、大丈夫です! さっきお酒の場所教えてくださったお礼に私たちが受付するんで。四人って」 「あ、いや、それに俺ら」  ここへ、「友人と一緒にいる」河野さんを誘いに。 「デート中なんで」  誘いに来たんだと思う。 「悪いけど。ごめんねー」  ほら、僕はやっぱり上手になんて話せない。触れられるだけでカチカチになってドキドキしてしまって、言葉なんて喉を通って出て来てくれないし。  身体が熱くなって。  それに、ただ触ってもらっているだけなのに、僕はすぐに身体丸ごと心臓になったみたいになる。触れた場所は熱くて、触れて引き寄せられた肩がジンジンして、もう顔だってきっと真っ赤になって。 「ちょっと邪魔、かな」  ほら、こうして、カチカチに緊張もしてしまうんだ。

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