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第51話 君を喜ばせたいんだ

 成徳さんって歌好きなのかな。 「あ、あのっ、僕、自分でやりますから」  僕はリビングのソファの上で膝を抱えて座りながら、きっと先生の奥様の愛犬はこんな気持ちでトリミングをしてもらっているんだろうと思った。ふわふわのまんまるにいつもカットしてもらっている、トイプードルの、「ヒメ」さん。奥様がとても可愛がっていて、ご自宅にトリマーの方を呼んでカットとブローをしてもらっているところに何度か遭遇したことがある。  少し高い台の上で、ブローしてもらってる間中、女性スタッフが成徳さんみたいに楽しそうに歌をうたっていて、「ヒメ」さんはその熱風にたまに慌てながらも、じっと終わるのを待っている。  その時の気持ちはきっとこんな感じなんじゃないかな、なんて。  気持ちいいけれど、なんだかそわそわして落ち着かないっていう気持ち。 「成徳さん、あのっ!」  体力つけたけれど、それでも腰の辺りがこんにゃくみたいにふにゃふにゃになってしまって。 「だーめ。俺がする」  ドライヤーの音で聞こえないのかと思って、少し音量を上げて名前を呼ぶと、成徳さんがドライヤーを一旦止めて、そんなことを宣言してから、またドライヤーをオンにした。  たくさん、した。  僕は何度も、その、えっと、た、た、達してしまって。もう体力とかの問題じゃなく、つま先まで気持ち良さに浸ってしまって、腑抜けてしまった。 「思い切り、露骨に甘やかさないと、また突拍子もないこと考えそうだから」 「だって」  可愛すぎて怒られるなんてこと、あると思わないじゃないですか。  そもそも僕が可愛いと思っていただけるなんてこと、あると思わないでしょう? ましてや恋愛対象が女性であるはずの成徳さんに、なんて。  全く見当違いの心配をしてしまうからと、入浴も一緒に、なんて。  大事にされていると一目瞭然でわかるくらいにしとかないとダメだな、なんて。 「ほら、ふわふわ」  僕も、思わなかった。 「あ、ありがとうございます」  河野さんがこんなに優しい人だなんて。  優しいと思ってはいたけれど、優しくて、まるで砂糖菓子みたいに溶けてしまいそうなくらい、甘い人だったなんて。 「どーいたしまして。お礼は次会う時に、そのリズム感トレーニングで覚えたダンスのお披露目で勘弁してあげるからさ」 「えぇ? や、やですよっ」 「なんでよ」 「だって、恥ずかしいじゃないですかっ」 「大丈夫、さっきだって恥ずかしいって言いながらちゃんとしてくれたじゃん」 「そ、それは全然違う恥ずかしいことです!」  あははって笑ってる。  さっき、確かに恥ずかしがりながらも、ちゃんとしたけれど。  ――成徳さんっ、お願いっですからっ。  何? って微笑む彼にキュッとしがみついて。  何をお願いしたいのか言って? と耳元で囁かれて。  やらしいおねだりを口にするように促された時のことを話してるんだ。 「ダンスは無理です!」  河野さんが意地悪なのは、知ってたけれど。 「はいはい。さてそろそろ寝るよー」 「だ、ダンスはしないですからっ」 「はいはい」  とっても意地悪な人なのは知っていたけれど。 「寝るよー」 「おやすみなさ……」 「おやすみー」 「あぁぁぁ!」  大きな声を出すとびっくりしたって目を丸くしていた。  忘れていた。 「あ、あのっ、えっと」 「?」 「ちょっと待ちくださいっ」  そして、リビングに置いてけぼりになっているカバンのところに飛んでいって、走って戻ってくる僕をポカンと眺めている。 「あ、あのっ、これっを……」 「……俺に? 誕生日まだ先なんだけど?」  そうなんだ。今度調べておこう。成徳さんの誕生日。 「あ、いえ、これは、その……差し上げたくて」 「……開けていい?」 「あ、はいっ」 「…………ネクタイ」 「はい! 成徳さんのスーツ姿、僕とても好きなんです。それで、今日もデートできるの嬉しくて。なんというか、その、ただ喜んでもらいたくて」 「……」  本当にただそれだけなんだ。  何かのお礼でもなくて、記念とかでもなくて。ただ――。 「あげたかったんです」 「……」 「に、似合うかどうかは、わからないのですが。その僕ってそんなにセンスがないので。でも、かっこいい成徳さんにとても似合うと思って、センスないなりに一生懸命に選んだんです。お仕事、頑張ってくださいっていう応援の気持ちも込めて、その……どうぞ」  くるりと巻きつけて綺麗に箱に入っている青色がとても綺麗だった。かっこいい成徳さんにピッタリだって思った。 「あの……成徳、さん?」 「……」 「す、すみませんっ、あまりお気に召さなかった」 「言った側からだもんなぁ」 「?」 「めちゃくちゃ嬉しいけど? そうだな、今、とりあえず押し倒して、このままリビングでもう一回戦は余裕でできるくらいには」 「は、はぎゃっ! な、何をっ」  露骨に甘やかして喜ばないと言って、成徳さんが僕の首筋にキスをした。 「っ」 「佳祐」 「は、わっ……ン」  僕は、首筋、弱いのかな。  成徳さんの唇が悪いのかもしれない。電気でも帯びてるのかもしれない。 「あの、成徳さん」 「……」  背も高いからこの青い色のネクタイにダークカラーのスーツなんて着たらとても素敵だと思う。 「喜んでもらえて、嬉しいです」  僕の差し上げたネクタイを成徳さんがしてくれたら、その場で溶けてしまいそうに僕は嬉しくなってしまうだろうと、想像しただけで恋が色濃くなって。キスがしたくなって今日たくさん抱きしめてくれた腕に捕まりながら、ちょっぴり腕を伸ばして首を傾げた。

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