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第55話 第二の河野

 諦めなくちゃ。  大好きな人なら、大切にしたい人なら、僕は諦めなくちゃ。  とても評判の良い女性のようだし。お見合いだけれど、スタートの形なんて問題ではないでしょう?  結果、成徳さんの将来が幸せなものになればいいのだから。  ここは身を引くことにしよう。  でも、僕は成徳さんのこと今もとっても好きなのに。  ううん。大好きな人なら。大切にしたい人なら。僕は諦めなくちゃ。  でも。 「……っ」  ずっとこれを一日中繰り返してる。何度も、何度も。  そうでもしてないと、電話をかけてしまいそうになるから。成徳さんに。  ずっと、彼からの電話を無視している。仕事が忙しいことにしてお返事をしていない。きっとそのうち、呆れられて怒らせてしまうだろう。そして、嫌われる。  嫌われるためにずっと無視しているのだから。  もういいや、なんだよって、嫌われて、成徳さんが今回のお見合いに対して前向きになってくれれば――。  ほら、だから、僕。  ちゃんと諦めなくちゃ。 「失礼、こちらに蒲田さんっていらっしゃるかしら」 「はい。蒲田でしたら……」  僕の名前だ。  そう、頭の中で「諦める」ための呪文を唱えながら顔を上げた。 「!」 「初めまして。私、河野の同僚で」  その人は職場に合った、あまり派手ではないデザイン、ヒール高さの黒いパンプスで、強く床を打ち鳴らすように三歩、四歩と歩いて。 「ちょっとお時間宜しいかしら」  僕の目の前に来ると、お断りなんて絶対にできそうにない強い口調と眼差しを僕に向けた。  彼女のことは詳しくないけれど、知っている。  もちろん、成徳さんの同僚だということも。 「……あの」  今日はかろうじて雨ではないけれど、今にも降り出してしまいそうなどんより灰色の雲が青空を隠していた。 「僕に何か」 「貴方、河野の恋人でしょう?」 「!」 「別に同性愛がどうのと揶揄しにきたわけじゃないから。そんなに暇じゃないわ。私」  彼女は成徳さんの……。  ホワイトデーの時に成徳さんが何か引き留めて、それで、少し涙をこぼしてしまっていた方だ。  とても美しくて、背が高くて、安易な例えだけれどモデルのような綺麗な人。 「今日、お見合いなの知ってる?」 「……」 「相手が相手なだけに、この忙しい中でも上司が大歓迎で有給使わせて、ここ……行ってるわ」 「……」  そう言って彼女がカードを一枚くれた。そのカードにはホテルとそのホテルに入っているレストランの名前、住所、電話番号、それから会食の約束の時間書かれていた。 「……あのっ」  これって。 「ほら、早く行きなさいよ」 「ぇ、あのっ」 「何よ」 「でも、成徳さんには」 「成徳……って、河野のこと呼んでる恋人見たことないわ」 「……え?」 「まぁ、全部を私が知ってるわけじゃないけど、私の知る限りではね」 「……」 「それだけ貴方は違うってことでしょ」 「……」 「ほら、早く」 「でも」 「でもも何もないでしょ。もお! とにかく行きなさいよ!」 「あ、あのっ」 「この大忙しの中で有給使ってるって言ったでしょう? その分土日返上して働くならまだしも、その土日は絶対に休みたいってワガママいうわけ。だから早く今日の用事を切り上げて、今日の仕事終わらせて欲しいの。私の残務が溜まるでしょう? ただそれだけ。でも私も忙しいから、そんなホテルまで足運べないってことよ。貴方が行ってよって話よ」 「…………えっと」  でも、それじゃあ、今ここに、忙しい中で足を運んでいることは? それはどうなるのです? 「まぁ、自分からも断るんでしょうけど」 「……」 「河野って性格悪いから。失言しそうじゃない? 貴方が上手にフォローしてあげれば? 秘書なんだから、口、上手でしょ? あいつの出世に響かないように、どうにか断ってあげなさいよ」  そんなの、無理難題だと思うんだけど。 「でも、あの」 「何?」 「あの」 「何よ」 「ありがとうございます」  深くお辞儀をした。 「っぷ」 「ちょっと! なんで笑ってるのよ!」 「いえ……貴方、成徳さんに似てるなぁって」  親友、なのかな。  あの時、ホワイトデーの、あの晩、僕は勘違いをしてしまったけれど、でも、きっとこの方をあの時成徳さんが応援してあげたんだ。 「はぁ?」  ね? その「はぁ?」がそっくり。 「似てないわよ」 「はい。そうですね」 「似てないわっ」 「はい。似てないです。僕、ちょっと職場、中途半端なのでそれだけ済ませて、そしたらすぐに行ってきます」 「……行ってらっしゃい。早くね」 「はいっ」  ほら、その言い方、捻くれた感じ。 「ね」 「?」 「河野に、これで借りはないからって言っておいて」 「借り……」 「あるのよ。無様なこと、したの。カッコ悪い女になるとこだった」 「……」  それは、多分、ホワイトデーの。  そう思った。  あの時、成徳さんがこの人のことを止めて、それできっと、この人は今もこうしてモデルみたいにかっこいい自分でいられる。 「まぁ、恋愛なんてカッコ悪いとこ山ほどあるものだけれど」 「!」 「そういうものでしょ。それじゃあね」  やっぱり似ているなぁって思いながら、お辞儀をした。 「はい」  そして、顔を上げて、前を向いて。一度、職場に戻った。すぐにと言っても、ちょっと腑抜けててお仕事が中途半端なことになっているから。だから、アレとアレ、それからアレも片付けてから行こう。 「……よし」  成徳さんをお迎えに。 「よーし!」  僕の恋人をさらいに、まるで映画のように颯爽と登場しよう。

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