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最終話 幸せな初恋
――そのうち一緒に住むのもいいかもな。
なんて言ってたのに。
――お互い、仕事忙しいし。会うタイミングが合わないってこと、多いだろうし。
なんて、言ってたはずなのに。そのうちどころか。
「うーん……」
僕、楽しみすぎて探してます。
毎日、不動産情報と睨めっこです。
もちろん! 休憩時間にですよ? 仕事はちゃんとしております。
「あっ」
ここ、いいなぁ。南向きだし。そしたら、胡蝶蘭さんも元気いっぱいになるかもしれない。でも、一階かぁ。できれば上の階の方がいいかなぁ。でもあまり高いところだと地震がきた時揺れたりしないかなぁ。あと、あまり高層階に住むと洗濯物が飛んでいってしまうことがあるって聞いたことがある、同僚が高層マンションに住んでいたけれど、色々大変だったって。
洗濯物だけじゃなくて、エレベーターの乗りあいとか、それから日差しが強すぎるっていうのも。
「あ!」
でも一階庭付きなんてある。
これならアウトドア好きな成徳さんは喜ぶかな。キャンプは、自宅だからしないだろうけれど。バーベキューくらいならできるだろうし。火おこしは……できるかな。僕もできるようになりたいんだ。
麻の火口を使った火おこし。
できたらかっこいいでしょ? だから、やってみたい――。
「おや、引越しを検討してるのかな?」
「! 先生! 失礼しました」
「いやいや、こちらこそ勝手に覗き込んで申し訳ない。悪意はなかったんだが、興味はあってね」
お昼休憩をいただいていた。所内にある社員食堂で。結構メニューが充実していて、いいのだけれど、なにせ僕のお昼休憩時間がずれ込んでいることの方が多くて。タイミングが悪いと売り切れてしまっていることがあるから。けれど今日はちょうどよくお昼に食事の時間が取れたから、僕はその時間に不動産の賃貸情報誌と睨めっこをしている最中で。
「お昼だというのに、とても真剣な顔をしていたから、なにをしているんだろうとね。引越しをするんだね」
「いえ、まだ検討中でして。もしも引っ越しの詳細が決定しましたら、即座にお伝えするつもりでおりました」
「あぁ、じゃあ、その時は引っ越し祝いに何か贈らせてもらおう。アウトドアが好きなんだったよね?」
「ぇ? あ、はい」
「ちょうどこの前、僕もアウトドアグッズを見ていてね。良さそうなコンロ、かな、があったんだよ。二人でするにはちょうどじゃないかなとね。うちも孫が生まれたらやってみたいなぁと。その時はご教授頼むよ」
「いえ! 私はまだ全然! 初心者ですので」
「あはは。お昼休憩中に失礼した。それでは午後また」
「はい!」
深く頭を下げると、先生はひらりと掌を振って、その場を立ち去った。
「………………はい?」
あれ?
「?」
僕、アウトドアが好きって先生にお話ししたことあるっけ? しかも、二人分って……言ってたけど。
二人。
成徳さんとするなんて、話したことないし。
「んー…………?」
僕、成徳さんのこと何か話した、っけ?
「けぇ?」
そして首を傾げつつ、内ポケットに常に持っている小さなメモ帳から一枚紙をちぎり取ると、それを今見つけた物件のところに挟んでおいた。
南向き、一階、庭付き。
彼に、今夜、成徳さんにすぐにお話しできるように。
「よし。午後も頑張ろう」
夜、今夜はうちに来てくれる成徳さんに見せるために。
「……ということがあったんです」
夜ご飯を一緒に食べるようになって気が付いたこと。成徳さんは案外好き嫌いが多いということが発覚した。ピーマン、トマトはとっても苦手。トマトに至っては、あの種の感じがやっぱり苦手みたい。その理由が子どもみたいでちょっと可愛いと思ってしまったり。
「へぇ」
「それで先生はまだ式も挙げていないお嬢様の先の先のお話、お孫さんのことを考えてらして」
「へぇ」
「バーベキューを一緒にやりたいんだとお話ししてました」
「へぇぇ」
「成徳さん」
「………………」
あ、あと、椎茸も苦手。
「その椎茸はとっても美味しいです」
「…………」
「大丈夫です」
「…………」
「大丈夫! です!」
「えぇー? 椎茸食べなくても死なないじゃん」
「子どもじゃないのです! 椎茸はとっても栄養素が高くて、ヘルシーで」
「でもさぁ。今ってみーんなヘルシーヘルシーっていうけどさぁ。俺、椎茸食べなくても大人に、」
「問答無用です!」
先生から頂いた肉厚の超高級椎茸のステーキをおしゃべり中の成徳さんのお口の中に突っ込んでみた。椎茸独特な臭みがなくて、肉厚で、とっても肉厚で、肉、厚。これだけでご飯のメインになってしまう逸品。肉厚だからステーキにとってもピッタリなんですって、ぐいぐいと口の中に押し込んでみた。
「ね? 美味しいでしょう?」
ほら!
「んー…………まぁ、まぁまぁ、かな」
もう、どうしてそう素直に「うん、美味しい」と言わなのでしょうか。今、もぐもぐとしながら、思っていた以上に美味しかったことにびっくりしていたくせに、全然、むしろ「あれ? 椎茸って美味しいんじゃない?」と思ったくせに。頷こうとはせずに、でも別にさぁと、今度は自分で椎茸を口に運びながら、何か呟いていた。
「ね? 美味しいでしょう?」
「っ、まぁまぁ」
「む」
「……美味いよ」
「ふふふ」
でしょう? 美味しいんです。椎茸って。本当はピーマンだって、トマトだって、すごくすごく美味しいんです。
食べてもらえるようにたくさん工夫もして、同じ事務局の女性のお子さんが椎茸嫌いだから、レシピを教えて頂いて、作った今日のご飯。
嬉しい。
「佳祐」
「はい」
? なんでしょう。
「ったく」
僕、頬にソースついてましたか? ステーキソース。
首を傾げると笑って、溜め息をつきながら、また椎茸を一口食べてくれた。
どうしたのかはわからないけれど、笑ってくれたから、嬉しい。
食べてくれたから、嬉しい。
「佳祐には敵わない」
「?」
貴方が笑ってくれるから、僕は――。
次こそは、ちゃんと恋をしよう。
そう、思った。
そう、決めた。
「あ……」
次、じゃなかった。
僕は、初めて「恋」をした。
わがままで、僕の胸のうちで大暴れして、泣くし、笑うし、僕のことをくすぐってくる。
これは僕の「初恋」だ。
「なぁ、佳祐、あの食器棚の中のもの、箱入れていいんだっけ? って、どうした? 佳祐」
きっと初恋。
「成徳さん! ほら! 見てください」
「あ?」
「葉っぱ! 見えます?」
「…………ぁ」
「ね! そうですよね!」
小さな葉っぱが大きな葉っぱの根本に、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ。
「葉っぱ!」
「おー……すげ」
「ですよね!」
胡蝶蘭のお花を咲かせるのはとても難しいけれど。
「やった」
「へぇ……こんなふうに葉っぱが生えるんだ」
「はい!」
葉っぱしかない胡蝶蘭は僕。
「なんか、可愛いな」
花が咲かせるのはとても難しいけれど。
恋を実らせるのはとても難しいけれど。
「ふふ」
嬉しくて、嬉しくて。
「よかったじゃん」
「は…………」
はい。
嬉しいです。
葉っぱ、大きくなってくれるかな。
そう言おうとしたけれど、成徳さんがキスをくれたから。
「可愛い顔……」
「っ」
「まだ荷造り途中だけど、後でに、」
「ああああ! そうでした! 荷造り! よーし! 頑張ります!」
「は? 今のは?」
「後でです! 先に! 荷造りです!」
「はぁぁ?」
だめです。だめです。今日、ほとんど荷造りしないとだめでしょう? 頑張らないとって二人でどうにかして休みを合わせたんですから。
「せっかくの休みなのに」
「荷造り! です!」
「はぁ……」
大変だったでしょう? 僕も決議案のことがあるからとっても大変だったんです。
「早く荷造りして!」
「あー」
「早く!」
「……」
今度は僕からキスをした。
次こそは、ちゃんと恋をしよう。
そう、思った。
そう、決めた。
そしてたくさん頑張って触れて掴んだのは。
「続きがしたいんです」
これ以上はない。
このうえない。
甘くて、とろける。
「マッハで片付けてやる!」
「はい! 僕もです! マッハ!」
初恋だった。
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