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新年のご挨拶編 7 がびん

 年末年始、しっかりとお休みを取っていると教えていただいた。  僕は……ちょっとだけ、いえ、だいぶ、ううん、たくさん我慢して、その年末年始に成徳さんを一人でゆっくりキャンプに行かせてあげることにした。 「ふむ……」  やっぱりそうなんだ。  ――家事に育児に日々追われてるママにご褒美タイム。久しぶりにゆっくり一人ランチを。 「ふむ、ふむ……」  ね、ほら。  家事はお互いにしてる。育児は……ないけれど、僕の相手をいう時間が「育児」みたいなものかもしれないし。  ――カフェテラス、日差しいっぱいの中、たまにはのんびりするもいい。  たまには。 「ふむむ……」  のんびり。  やっぱりそういう時間は必要なんだ。この主婦の方だって、旦那さんやお子さんといるのが嫌なわけじゃなく、ただ、たまには一人になる時間も必要だとおっしゃっているだけで。年中一人になりたいわけじゃなくて、たまにはそんな時間が欲しいなって。  きっと成徳さんもそうなんだろう。 「ふーむ」  さすが主婦層をターゲットにしている雑誌。一人ランチおすすめカフェ特集が終わり、次には、年末の大掃除に便利な最新お掃除グッズが特集されている。これはこれで勉強になるわけで、こういうのを十分活用することで、掃除の時間を短くして、お互い多忙な身、ゆっくりリラックスできる時間を増やせるかもしれない。 「どうかしたんですか?」 「……あ」  声をかけられて顔をあげると、最近入った、女性スタッフだった。 「蒲田さんが食堂でランチって珍しいですよね。……掃除……年末ですものねぇ。えーでも、すごいですね」 「?」  何が、です? 「蒲田さんもお掃除するんですか?」 「はい。しますよ」 「えぇ、素敵ぃ」 「?」  そうですか? 掃除はするでしょう? 「優しいなぁ」 「いえ、優しいのは僕の、こ、こ、こ、こ」 「こ?」  わ。頬が熱くて、火出てしまいそうだ。 「恋人、です」  まだ、不慣れで、「恋人」と成徳さんのことを口にするだけでも、毎回、ぎゅーっとほっぺたが力んでしまう。 「前にカレーの作り方を、ってアドバイスした時も思ったんですけど、蒲田さんって、恋人にすごく優しくて素敵です」 「そんなことないです。いつも優しくしてもらってるんです」 「でも、掃除して、カレーも作ってあげて。優しいじゃないですかぁ。あぁ、私もそういう恋人欲しいなぁ。でも、私、尽くしちゃうタイプなんですよねぇ。ついなんでもしてあげたくなっちゃって」 「そうなんですか?」 「そうなんですぅ」 「それは素敵なことです。でも、きっとお相手もそう思ったりするんじゃないですか? 僕の、ここここ、恋人はいつも半分こしてくださるんです。あのカレーも僕が一人で作ったわけじゃなくて、一緒に……それにしてもあのカレーすごく美味しかったです。大好評で、僕のこ、ここここ、恋人も二回もおかわりしてらっしゃって。お腹が破裂するんじゃないかって」 「え、すご。見かけに寄らず、すごい食べる人なんですね」 「そうですか? 僕も一回おかわりしましたよ」  あれ? 彼女、成徳さんを見たことあるっけ?  ここ最近は多忙だったから、こちらにはいらっしゃることなかったはずなのに。  一体どこで?  会ったことがあるんだろう? 「わー、嬉しいですぅ! 私、お料理すごく好きなので。無水カレーはすっごい得意なんですぅ」 「はい、おっしゃってました。でも流石にまだ僕らはそのレベルの料理は難しそうです」 「そんなことはないですけどぉ。でもぉ、家庭的ってよく言われるのでぇ」 「はい。とても家庭的で素敵だと思います」  彼女は首を何度も傾げては、髪を耳にかけてみたり、その耳に触れてみたり。肩をぎゅっとさせて身体を縮ませてみたり。忙しなく動いていた。まるで毛繕いする鳥みたい。  でも、鳥みたいですね、なんて言ったらとても失礼で、でも、ついポロリと言ってしまいそうで、ここは退散するのが最善と思った。  雉も鳴かずば――です。  そして、僕はとても参考になった「師走を乗り切る、一週間節約レシピ特集」という雑誌を片手に食堂をあとにした。  やっぱり一人時間というのは必要なのだということはわかったので。 「えっ!」 「あれ、言ってなかった? 年末年始、娘が実家に帰ってくるから、僕は申し訳ないけど、長期休暇を取る予定だよ」 「あ、はい。存じております。なので」 「なので、残務は他のスタッフにも頼んでほぼ終わらせておいたよ?」  がびん。  とはまさにこのこと。  住んでいる場所が同じ場合は、それこそ、一人ランチなどで個人の時間を確保しないといけない。けれど、必要なのはもっとすごく長い時間な訳で。一日、もしかしたら、ずっと行けてなかった分を取り戻すにはもっともっとたくさんの一人時間がないと充分ではないかもしれない。  そうなると、僕一人ランチしたいんです、ってくらいの時間では、優しい成徳さんはキャンプに行かない。きっといってらっしゃいとにこやかに見送ってくださって、お家にいるはずだ。  だからもっと長い時間、数日、とか必要なのに。 「たまには君もゆっくり年末年始を過ごしなさい。今年は引っ越しもしたんだ。色々生活が変わっただろう? 少しゆっくりしたほうがいい」  あぁ、がびん、だ。  この仕事をとても誇りに思っていて、やりがいもすごく感じていて、僕がどれだけこの仕事を頑張りたいと思っているのか、知っている成徳さんだから。仕事があるのでと言えば、きっと気兼ねすることなくキャンプに行ってくれると思ったのに。 「そんなわけで、年末年始の休日はしっかり休日にするように」  あぁ。 「……はい」  がびん、だ。

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