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成徳視点 1 料理の秘訣
恋愛とか、別にってタイプ、だったんだ。
結婚願望もなかったし、仕事柄、伴侶がいた方がいいなら、見合いでも別にいいかって思ってた。そのほうが合理的だし、条件提示して、将来設計組めるんだ。無駄がなくていいだろ、なんて。そんなことを思っていたくらいには、恋愛は別にって、タイプ。
「おーい、佳祐、もう入れるぞー!」
「! は、はい! でもまだです! もうしばらくお待ちください!」
「えぇ……」
でかいガラス窓の向こうでストールを大事そうに抱えてる佳祐には聞こえないだろう小さな声で、そう、文句をこぼした。
寒いのは慣れてるんだ。
アウトドアばっかやってたから。だから寒いのは全然平気。それを佳祐が暖をとるのに使うからならいいけど、きっと、あいつのことだから、俺にかけようとしてるんだろ。
いいよ。
別に。
寒くないし。
だから大丈夫だと、それより、カレーを外で食べようって、言い出した佳祐の腹の虫が大騒ぎしてたから、早く作りたいのに。
「……」
今度はストールを抱きかかけたまま、電話をしてる。
誰、だろうな。
昼間、平日。仕事か?
でも、今日はそろそろ溜まってた有給を使えとお達しがあった俺は、じゃあ遠慮なく、と、年末のクソ忙しい中、出張前日っていう大義名分もくっつけて有給を悠々自適に取らせていただいた。
今日は、佳祐が仕事休みだったから。
佳祐は佳祐で、また数日後に先生と一緒に巡業だ。
佳祐はお相撲さんではないので巡業ではないですよ! 地方視察です! て、律儀に訂正するんだろうな。
とにかく、俺が明日から出張。
佳祐は俺が帰ってくる頃に巡業。
しばらく顔も見られないから。
今日は二人とも仕事は畳んで閉まって鍵をかけることにした。
まさかなぁ。
俺が、恋人との時間を作るために仕事をやりくりして有給もぎ取るとはなぁ。
想像もしなかったな。
まさかさ。
「……ったく、電話が長いっつうの……」
恋人のことを独り占めできないことにやや苛立つことがあるなんて。
「おーい、入れるぞー」
電話を邪魔するようなことをするなんて。
「カレーのルー、入れるぞー」
仕事の電話じゃないだろ、あれ。なんか笑ってるぞ。
そして、ガラス窓の向こう、こちら側で早くしないと勝手に進めるぞと暴れる俺を見て、今度は慌てて電話の向こうの誰かへ微笑んでるし。
自分はこういうタイプじゃないと思ってたんだ、けどな。
だからこっそり一人で勝手に感じてるくすっぐったさを誤魔化すように、不貞腐れたような顔をしながら。
まるで、脅しをかける脅迫者の気分。
カレーのルーを手に持ってちらつかせて、ほら、この煮えたったスープの中に放り込んでしまうぞって。
「お待たせしました」
「遅い。電話」
「ちょっと聡衣さんからご連絡が」
「は? 何?」
特に理由もないけど、その名前になんとなく眉間にシワを寄せた。そもそもは、まぁ、色々あったようなないような。佳祐の想い人の想い人が聡衣なわけだから不仲になりそうなものなのに、どうしてかお互いに気が合うのか楽しそうにしている。
共通点なんてなさそうなのに。
怪訝な顔をして見せたはずなのに佳祐はにっこりと微笑んで、ご機嫌な顔をしてる。
「とりあえずカレールー入れます! そして成徳さんはこれを羽織ってください」
「いらないって、大丈夫」
「じゃないのです」
このくらいの寒さ、別に我慢できるし。
「風邪引いたらどうするんですか」
それより、お前だろ。
数日したら、先生に同行して出張に行かないといけない。それなのに風邪なんて引いたらどうすんだ。絶対に、風邪だなんて誰にもわからないように隠したまま、同行するんだろ。大事な仕事の前に風邪なんて引いてしまう自分が悪いんですとか、至らないんです、とか言ってさ。しかも、お前が体調悪くなったところで、俺はそばにいないんだ。診てやれないだろうが。
「引かないっつうの」
「いいえ! 引きます!」
「引かないって。それより、ほら、ルー、入れないの?」
「! あ! そうです! そろそろ入れましょう! 成徳さん入れたいですか?」
「?」
「そっと入れるんですよ? 美味しくなるようにと唱えながら」
真剣に何を言い出したんだ。
「料理は気持ちが大事なんです。美味しくなるように、美味しくなるようにと唱えながら作るととても美味しくなるんです。胡蝶蘭さんも育つように、花が咲きますように、葉っぱが育ちますようにって、願うでしょう?」
いや、願わん。
水をちょうどのタイミングで与える。適度な照度の日差しを浴びさせる。適度な室温の場所に置く。そうすりゃ育つ。
どんなものだってそうだ。「適度」「適切」それをしておけば、育つ。
一人で食べても、大勢で食べても、口に運ぶ食事の味は変わらない。腹が減ったから食べるし、不衛生にならないように風呂に入るし。
「入れますよー!」
疲れたから寝る。
「あぁ」
「美味しくなぁれぇ」
「……」
そう思ってたんだけどな。
「ふふ……いい匂いですね」
「……そうだな」
恋愛……ねぇ。
「美味しくなぁれぇ」
カレーは誰が作っても美味くなる。だって、ルーをスープに溶かせばいいだけなんだから。
「……美味そうだ」
「! まだですよ! ここから更に煮込むのです!」
「あぁ」
そう思ってたんだけどな。
「うまくなれ」
「! そうです! その調子です!」
「っぷは」
確かに、唱えながら鍋をかき回すと、みるみるうちにルーが溶けて、ただの野菜ジュースのスープは世界一美味そうなカレーになっていった。
「美味しくなぁれぇ」
そんな気がした。
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