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成徳視点 3 溺愛する特権
結婚願望もなかった。
タイミングがあれば、もしくは結婚っていうものをしていた方がよければ、そのくらいの考えしか持ち合わせていなかった。恋愛にもどっぷりハマるようなタイプでもなかったわけだから。
今の自分の心境、環境の変化に。
「……」
「んー……んひゃ……ひゃひゃ」
戸惑わないこともない。
この奇妙な寝言を呟く生物、しかも自分と同じ男であるにも関わらず。
「…………まだカレーでも食べてるのか?」
「んひゃひゃ……」
可愛いと思うことに戸惑わないこともない。
試しに、頬を指先で押してみる。
「んんー……」
すると、その指先をキュッと捕まえるように指で握って、自分の口元に持っていく。
その仕草に思わず口元が緩んだりすると、少し戸惑う。
なんだそれ、みたいな。
他人との関わりなんて、もう仕事でうんざりするほどだから、プライベートはできれば一人でいたかった。あの人はああいう人だから、こうしておこう。この人はこういうところがあるから、ここで笑っておけば点数が上がる。阿呆だなと呆れたくなる奴、狡賢さが下手で見え見えでうんざりする奴。
――胡蝶蘭のお化けかと思った。
――! は、はわあああああ。
そのうんざりばっかりの中、真っ白で見事な胡蝶蘭の隙間から、一生懸命な顔をしている佳祐を見つけた。
ハッとするような、新鮮さがあった。
前から見れば、ゆらりゆらりと左右に大きくその傘のように垂れ下がる白い胡蝶蘭が揺れて、ちょっと不気味だったっけ。大きな胡蝶蘭を抱えた腕も、枝先で隠れて見えないし、足だけ見えるから、まるで胡蝶蘭から足が生えてるみたいでさ。
でも、その枝先の花は枯れて落ちていた。
その次のはかろうじてくっついてはいるけれど、もう萎れて落ちるのは時間の問題だろう。
廃棄するんだろうと思った。枯れかけの花なんて飾っていたら縁起が悪いだろ。でも、胡蝶蘭のお化けはそれを持ち帰るんだと、言っていた。
育てる?
このでかい花を抱えて?
帰るのか?
廃棄すれば簡単だろうに。
でも、一生懸命な顔をして。
ぶらり、ゆらりと揺れる胡蝶蘭を必死に抱き抱えていて。
自分でも少し驚いたかな。
――車で送ってやろうか。
そう、勝手に口がしゃべったことに。
佳祐も驚いてたっけ。
俺も驚いたよ。
なんだろうな。俺が抱えたら、そこまで大変じゃなかった胡蝶蘭。でも、佳祐は一生懸命で。
あぁって、思ったんだ。
「……」
あぁ、手伝ってやらなくちゃって。
そんなこと、誰にも思ったことなかったのに。
なんでか、その時はそう思ったんだ。
「……巡業、頑張れ」
優しくしたいと、思ったんだ。
こっちはやっぱり寒いな。
たまに地方にも出張はあるけど、こっちの寒さは都心の寒さとは一味違っていて、空気の質が違う気がする。キャンプでもよく訪れるし、秋から、ギリギリ冬くらいには星が綺麗に見えるスポットがあるから、よく来ているけれど、この真冬に訪れることは少ないからか、不慣れで、つい、首をすくめてしまう。
「以上で、終わりだな」
「あぁ」
そんなところへ異動をしてもうそろそろ一年近くになるのか? 久我山は、数少ない、俺も有能だと認める奴の一人だ。
ただ、この太々しい顔はやめろと常に思っている。気に食わないけれど、別に――。
「あぁ、そうだ。聡衣がこの間はごめんって、伝えてくれと言ってた」
「……は? なんだそれ」
「知らない。とにかくデートの邪魔してごめんと」
「はぁ?」
「ちょうど、今日、そう電話で伝言を頼まれたんだ」
しれっとした顔をしてやがる。本当に伝言だけをするんだから、こっちとしては何もわかってないのに。もちろんその伝言を頼まれたこいつも何が何だかちっともわかっていないに違いない。そして分かろうとは思ってない。
なんなんだ。どうせ、久我山のあれが何か早とちりをしたんだろう。デートの邪魔って、多分、状況とタイミングからいって、この間カレーをテラスで食べた時だろ? 電話がかかってきてたって言ってたし。でも、そこまで必死に謝られるようなことは何も。
「そっちは順調か?」
「は? 何が?」
「お前がこんなに長続きしたの初めてだろ」
「はい? そんなわけあるか」
「はいはい」
長続きしなかったわけじゃない、条件が合わなかっただけだ。環境や仕事の考え方、仕事に費やす時間、色々がどうにも合わなくて、それではと、離れることに決めただけ。
それを事細かく説明する気はないけれど、なんだか、何もかもわかっているような顔をされるのも癪で、なんだか、全てを説明したくなってくる。
「お前だって、ずっとあっち勤務ってわけじゃないだろ?」
「……」
「そのうち地方行ってこいって言われる」
「……だろうな」
「その時は」
「お前は俺の母親か?」
こんな太々しい顔の母親がいたら最悪だって呟いて、今日の打ち合わせの書類をカバンにしまった。
「なぁ」
「あ?」
「今度、聡衣の親御さんに会いに行く」
「……へぇ」
「それだけ。お疲れ」
「……あぁ」
今日はここから人脈を広げるためにあっちこっち行かなくちゃいけない。人脈広げて、出世して、それで――。
――成徳さん。
ちらりとくらいなら考えたことがあるさ。いつかは行くことになる地方への派遣、その時、佳祐はついては来れないだだろうし、ついてこいと言う気もない。ないからこそ。
「……」
だからこそ。
『も、もしもしっ』
「お、今、大丈夫?」
いつでもどこからでも、何時でも、電話でこの声を聞く特権が欲しいなと思ったりも、しなくもないんだ。
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