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ヤキモチエッセンス編 3 一応、チェックしておく、と、河野は思った。
今年は桜がのんびり咲いてくれたんだそうです。
そのおかげでちょうど入学式の時に桜が満開になりますよって、気象予報士さんが笑顔で仰っていました。
去年は、入学式の前に花がほとんど散ってしまっていたそうです。
なので、今年はとてもラッキーですね。
「越前清嗣(えちぜんきよつぐ)と申します。本日より先生の、そして、先輩秘書の皆様のお役に立てるよう努めて参ります! どうかよろしくお願いいたします!」
まるで大名のようなお名前を大きく、とっても元気で、張りのある声が告げた。女性陣の中には目をぱちぱちと瞬きさせているくらいに元気な声。秘書室も驚いていそうな元気さ。
「こちらこそ、よろしくお願いします。指導、教育を担当させていただきます。蒲田佳祐です」
「はいっ!」
ヒラヒラとした紙一枚くらいだったら、彼、越前くんの一声に吹き飛んでしまいそうだった。
「蒲田先輩!」
「大丈夫ですよ。部活動ではないので、先輩、じゃなくて」
「……では! 蒲田……さんっ」
「はい」
声だけでなく、背もとても大きい人だ。
短めに切り揃えらえた髪は運動をしている雰囲気がする。柔道をやっていたと先生から伺っている。全日本に出場したことがあるほど柔道が強いのだそうです。だからかなんだか身体が分厚く、目の前に彼が立ってしまうとその向こう側が全く見えなくなってしまうくらい。
「それではまず、他の秘書メンバーを紹介していきますね」
「はいっ、よろしくお願いします!」
「それと……」
「はいっ!」
元気があるのはとてもいいことなのだけれど。
今、先生がご自身ののお部屋でお仕事をされていることもありますし、電話もよくかかってきますと説明を始めると、はい! そう元気に返事をしてくれる。
だから、そっと僕自身の口元に指を添えた。
「お電話の向こうの方もびっくりしてしまいますし、先生も大きな声に驚いてしまうので」
「!」
「もう少し声のボリュームを下げてくださいね」
「!」
越前くんが肩を張って、目を見開いた。
(はい……)
それからそっと、うんと声のボリュームを落として返事をしてくれる。そこまで極端に下げなくもいいのだけれど。でも、その真面目そうなところはきっと先生も微笑ましく思ってくださるだろう。
「一緒に頑張りましょうね」
(! はい……)
桜が満開の四月。新しいことだらけの越前くんは大きな拳をぎゅっと握って、一生懸命に頷いていた。
全く、何もかも知らない人に教えるというのはとても大変なことだ。
社会人一年生。
社会人ゼロ歳。
一つ一つ教えていかないといけないし、僕自身の仕事もあるし。そう考えると、お母さんというのはとても大変だ。これは、お父さんの力添えがなければやっていくのは困難だと思う。先生が強化するべきと言っていた、男性の育児休暇取得はぜひそうしていただきたいし、シングルマザーへの支援は是非是非やって欲しいです。
それを痛感する一日だった。
「で? どう?」
「…………へ?」
突然訊かれて何の話か分からなくて、今日、先生からただいた水茄子のお漬物がポロリとお箸から落っこちてしまった。
で、どう、とは。
何が、でしょう。で? というのは、何かその前に話題があって、その話題に対して、「では?」と続く質問文なわけで。今、その前の話題、というのは。
「…………美味しそうです」
今日先生に、水茄子のお漬物をいただいたんです。僕はとても好きなのですが、成徳さんはお好きですか? っていう、質問で。
尚且つ、まだ、僕は水茄子を食べてなくて。
なので、では? その水茄子のお味はどうか? と訊かれても、まだ、食べていないので、美味しそうですと予測の返答をした。
「…………じゃなくて」
え? 違うんですか? その水茄子の前の話題となると、成徳さんの職場に――。
「新人。そっちの」
成徳さんの職場にも新人さんが数名入ったと話していた。
「あ、僕の方、ですか?」
失礼しました。水茄子じゃなかったです。
「とても大柄な方ですよ。僕の頭のところからこのくらい」
せっかくこちらの新人さんのことも気にかけてくださったので、少しでもイメージが明確に伝わればと、片手をぐんと天井へ伸ばして、越前くんの身長はこのくらいとお伝えしてみた。
「へぇ」
「柔道をやっていらっしゃったそうです」
「へぇ」
「とても強そうで、僕はずっと上を見上げてないといけなかったくらいです」
「へぇ」
「真面目な方で、今日は初日なので、みんなでお昼を食べに行こうと先生がおっしゃってくださいました」
「へぇ」
「鰻をいただきました。あ! そこでこの水茄子のお漬物を買ってくださったんです」
「へぇ」
「越前清嗣くん、です。大名みたいなお名前ですよね」
「へぇ」
「髪はこう、短くてですね」
「……」
「声がとても大きいので、もう少しだけ小さな声でお話ししてください、と伝えました」
「あっそ」
「?」
あまり興味はなさそう、です。
それなのにどうして気になったのだろうと、首を傾げたら、その様子をじっと成徳さんが見て、そして、笑った。
「疲れてそうだったから」
「僕が、ですか?」
「そ。教育係お疲れ様。じゃあ、一個だけ」
「はいっ!」
なんでしょう。
水茄子を一個だけ食べるという意味ですか?
それとも何か他に、教育係に関して一個だけ? 何か、あ! アドバイスですか?
見当がつかないまま、ピッと背筋を伸ばした。
「全部一人で教えるのは大変だから、他の人にもフォロー頼めよ。チームなんだから」
「! は、はいっ」
「それから、水茄子の漬物は、ちょっと苦手だから、一個だけいただく」
「もっと食べてください! 糠漬けは発酵食品で身体にいいのです!」
「……えぇ」
どっちもでした。
いただけた「一個」は。
けれどそれでは、二個、だなぁと思いながら、この水茄子は特別美味しいんですと、成徳さんの椎茸と同じように、苦手な物リストから一つ、「水茄子の漬物」がなくなることを期待して、見つめてた。
「……ぁ」
ね? とても美味しいでしょう? そう目を輝かせながら、リストの中の一つ、「苦手なもの、水茄子の漬物」の欄に斜線を引こうとワクワクしていた。
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