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ヤキモチエッセンス編 4 可愛いって、俺が一番思ってるけど? と、河野は、思った。

「この質問原稿は先にこっちへ格納して、それからメールにて送付します」 「はいっ」  元気な越前くんの返事が秘書室に響き渡った。 「それからですね、こっちの資料は……」  と、そこで電話がかかってきて、僕は内ポケットにあるスマホを取り出した。説明が中途半端になってしまった。ジェスチャーで越前くんに「待っていてください」と伝えて、僕は手帳を広げた。  基本、持ち運びしやすいタブレットで業務管理はしているけれど、本当にこんな咄嗟の時はやっぱりアナログというか、一番シンプルなメモ帳が活躍する。それは今時の若者でも同じようで、越前くんも今日まで取り続けている業務メモをじっと読み返していた。 「……はい。それでは、そのようにお願いいたします。……いえ、こちらこそ、ご連絡をありがとうございます」  丁寧に、電話越しでは見えないけれど、頭を下げてから、先に電話を切らせてもらった。  そういえば、外国ではこの電話をかけてきた方から電話を切ってはいけませんマナーがないんだそうです。確かに、そう言われてみれば、お話が終わると、即座に電話が途絶えていた気がします。このマナーが日本人らしさ、なんだなと気がついたのは、今も秘書として一緒に仕事をしている、帰国子女のスタッフから教わった時だった。越前くんは帰国子女じゃないから大丈夫かな。どうでしょう。 「……蒲田さんの教え方丁寧でわかりやすいです」 「そうですか? 僕はあまり説明が得意じゃなくて」 「そんなことないですよ。俺、あ、僕は柔道やってましたけど、監督がすごく昔気質の人で」 「そうなんですね」 「見て覚えろ、身体で覚えろ、ばっかだったんで」 「それは……大変そうです」  特に身体で覚えろは、ちょっと不器用な僕には到底できそうにありません。そうお話しすると、ちょっと驚いている。  いえいえ、本当に不器用なんです。謙遜なんかじゃないんです。 「この前も、お話に夢中になって、柱にぶつかりそうになりました」 「え! 大丈夫だったんですか? 蒲田さん、華奢だから柱にぶつかっただけで怪我しちゃいそうです」 「そこまで不器用では……」  ど、どうでしょう。でも、成徳さんがいなかったらおでこに大きなたんこぶはできていたかもしれません。  そう思って、自分の額に手を当てた。成徳さんはすごいなぁ。視野が広くて、おしゃべりしながら柱に激突なんて絶対にしないんだろうなぁ。想像すらできないもの。ながーい足で、颯爽と歩いて。革靴がとても心地良い足音を響かせてる。 「ふふ……」  思わず口元が緩んでしまった。 「ご、ごめんなさい。仕事中に先輩がヘラヘラしてたらダメですね」 「いえ」  ほら、越前くんも驚いてしまってる、と慌てて口をきゅっと結び、背筋をピンと伸ばした。 「なんか、今の笑った顔が可愛いなぁと見惚れてました」 「?」  だらしのない顔だな、とかでなくて?  お仕事中に笑ってる場合じゃないぞ、先輩、とかでなくて?  それに可愛いなんて、そんな形容詞はあまり僕自身には向けられることのない単語で。僕は不慣れな対応になってしまう。 「って、仕事教えてくださってる先輩に失礼ですよねっ」 「いえ、そんなことは、ないのですが」 「すみません。へへっ、え、えとっそれでこっちの資料はっ」 「あ、はい、これはですね」  越前くんにとっても不慣れな単語だったようで、慌てた様子でメモ帳に齧り付くように自分の、真っ赤になってしまった顔を隠してた。 「可愛いと言われてしまいました」 「はっあぁぁぁぁ?」 「あっえとっ、いえ、ちゃんと資料をどうまとめるのかはしっかり教えてありますっ」 「いや、そうじゃなくて」  何をしているんだと成徳さんに思いきり呆れらてしまった。僕は、慌てて、仕事はちゃんと教えていますって、追加で伝えた。仕事の先輩、いや、今の時代に先輩だ後輩だってあまり言わないけれど、とにかく仕事場に「可愛い」は言わないだろうから。たとえば、僕たち秘書はパッとメモが取れるように、いつでもどこでも小さなメモ帳とペンは持ち歩いている。そのペンとメモ帳が可愛いキャラクターグッズ、なんてことはないわけで。だから、そぐわない言葉だけれど、でもでも、そう言われたんですって、お互いのその日の出来事として伝えた。 「おま、それ」 「でもっ、大丈夫です! その威厳はあまりないですが、頼ってはいただいてるのでっ」 「……」  し、渋い顔をされてしまった。 「ほ、本当ですよ! ちゃんとっ」 「……」 「ただ、あまり言われることのない単語なので、驚いてしまったんです」 「……」 「僕などが可愛いわけがないので」  汰由くんならまだしも。 「佳祐」 「はい!」  背筋をピンって伸ばした。 「明日って?」 「明日、ですか? 明日は、地方視察に同行です」 「その新人も?」 「いえ、僕だけです」 「あそ……」 「?」 「っていうか、今、ベッドの中なんだけど」 「あ、はいっ」  そうなんです。今、夜の営みの途中です。忘れてたわけでもないし、うっかりしていたわけでもないです。ただ、成徳さんが優しく僕の頭を撫でてくれたから。なんだか僕のことをとても可愛がってくださるから、可愛い繋がりで、ふと、言ってみたんです。 「こっちに集中」 「……ぁっ……」  成徳さんの洗ったままの、セットされていない髪が首筋に触れてくすぐったい。 「ンっ」  首を傾げると、そのまま抱き締めてくれる 「腕、俺の首に回して」 「はい……ぁ、ンっ……」  そして、言われたとおりに首にしっかり掴まると、深い深いキスをしながら、成徳さんの熱が僕の中に。 「ぁっ……ンンっ……」  甘い音と一緒に入ってきた。

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