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ヤキモチエッセンス編 8 パートナーだって言いふらそうかな、と、河野は、思った。
越前くんがとても驚いている。
けれど、僕もすごくすごく驚いている。
だって、成徳さんがここに突然現れるなんて思ってなかったから。
「越前くん、だっけ?」
「!」
きっと、越前くんにしてみたら誰なのだろう? だと思う。そして、自分の名前を知っているということに飛び上がった。
「俺、中央のところで仕事をしている、河野成徳という者で」
「えっ」
「蒲田のパートナーなんで」
「え?」
「ちょっかいはここまでにしていただきたい」
「え、あ、あのっ」
「それじゃあ、失礼」
「えっ」
越前くんは言葉を失ったまま呆然と立ち尽くしている。
僕も言葉がちっとも出てこなくて、ただ、成徳さんだけを見つめて、ぐんと引っ張られた手首を掴む成徳さんの指先の力強さを感じてた。
どうしてここにいたんです?
偶然、ですか?
それにしてはちょうどいいタイミングで。
それに、ちょっかいって……言ってませんでしたか?
「あ、あのっ、成徳さん? どうしてっ」
さっきの、僕の勘違いだと思うんです。でも、まるで、さっきのは越前くんが僕に好意を寄せていて、それを牽制していたように見えました。
まるで、僕のことを――。
「どうしてって、そりゃ、あの新人はどう見たって、佳祐のこと狙ってただろ」
「狙って?」
そんなまるで狙撃犯みたいなこと。
「だから、佳祐にちょっかい出すなよって釘」
「!」
「打っただけ。それと」
「は、はいっ」
「ヤキモチ、妬いただけ」
「!」
目玉、は飛び出なかったけれど。
でも、心臓は跳ねました。だって、それはつまり僕がそんなことあるわけないけれど、あったのならなんて嬉しいだろうと思ったことなんです。成徳さんが僕のことでヤキモチをやいてくれるようなことがあったら、とても最高だなぁって思ったこと、なんです。
それってつまり僕は成徳さんにすごく好きになってもらえてる証拠だと思うので。
「っていうか、佳祐、なんでそこだけ鈍感かな」
「えと……」
「ランチに誘ったら、困ってたって言ってただろ?」
「はい」
「それ、佳祐とじゃ楽しくないから、とかじゃない。好意を寄せてる奴にランチに誘われて有頂天だったんだよ。俺が突然、佳祐をランチに誘ったら? どう?」
「それはっ、とっても嬉しいです」
「それと一緒」
「!」
きっとその日のランチは特別豪華にしてしまう気がします。あぁ、でも、どうでしょう。きっと、何を食べてもご馳走みたいに感じると思います。
「向こうはちょいちょいつついてきてんのに、佳祐はわかってないから」
「つついて……」
そう言われて、越前くんと交わした言葉の数々を思い出していた。
「可愛いって言われてただろ?」
はい。でも、それは威厳がないというか、頼れないというか。よくないですよね、と。
「そん時、自分が可愛いわけないとか言い出して」
でも、僕には汰由くんのような可愛らしさも、聡衣さんのような魅力も。
「可愛いよ」
「!」
「俺は、一番可愛いって思ってる」
「!」
心臓が。
どうしましょう。
「っ」
こんなに強く手を引いて、あの場からさらってもらえるくらい、僕は成徳さんに好かれてる、と思っちゃってもいいのでしょうか。
胸のところがギュッて締め付けられて、一瞬、目眩がするくらいに、とにかく嬉しいのですが。
「あ!」
その場で急ブレーキをかけて、ぴたりと歩くのを止めると、ぎゅっと僕の手を握って引っ張っていた分、成徳さんがよろけてしまった。
「びっくりした。急に大きな声出すから」
「あ、あのっ、今、越前くんに、成徳さん、僕のパートナーだって言っちゃてましたよ!」
「……」
「お仕事の都合とかもあるのにっ」
古めかしいけれど、今の時代ではナンセンスと言われてしまうけれど、それでも、まだ上司から縁談を勧められることもあるような世界だから、恋人が同性というのを打ち明けるのは慎重にならなければならなくて。なのに、さっきは確かにはっきりと僕のパートナーは成徳さんだって打ち明けてしまっていた。
「た、大変です! あの、越前くんは言いふらすような人ではないと思いますが、でも、明日、僕が」
「いいよ。別に口止めなんてしなくても」
でも、それじゃあ。
「隠すことでもないだろ」
「!」
「むしろ隠さなかったら、佳祐に悪い虫がつかなくてちょうどいい」
あぁ。
「それに……」
うぅ。
「今後、パートナーの変更ないし」
「っ」
そんなことを言ってもらえたら、泣いてしまうのですが。
「あ、あのっ!」
「?」
「でも、あの、越前くんが僕にランチを誘われたら、僕が成徳さんにランチを誘われた時と同じように嬉しくなっていたとおっしゃってましたが、それは違うと思います」
「まだ、そんな、」
「だって、越前くんが僕に好意を寄せていても、大きさが違います」
大きさとか重さとか、長さとか、どんな物差が妥当なのかはわからないけれど。
「僕はもっとすごくすごおおおおく、好きなので」
貴方のこと。
「大好きなので、一緒じゃないです」
春風が成徳さんの前髪を揺らした。いつもは、綺麗にセットされているのに、今日はちょっとした風に揺れて、優しいその目元をこちょこちょくすぐっている。
「っぷ」
「!」
そのくらい慌ててあそこに駆けつけてくれたのかもしれない。
セットが乱れてしまうくらい。走ってきてくれたのかもしれない。駅からは少しあるから。
「確かにな」
そう言って笑う、世界で一番素敵な笑顔に僕は、胸が苦しくなるくらいに締め付けられた。
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