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第15話

 今度は、蓮見が沈黙する。ややあって、彼はため息をついた。 「それは困るね。僕としては、有能な秘書を失いたくないんだ」  そして蓮見は、にやりとした。 「有能な営業社員もね」  おや、と如月は目を見張った。からからと、蓮見が笑う。 「最初から冗談だよ。真島君を転勤などさせないから、安心してくれ。翔馬のことで少し腹が立ったから、君をからかっただけ」  ほう、と如月は安堵のため息をついていた。 「本当に、お詫びの申し上げようもございません。その後、三枝君の具合は?」 「痕も残っていない。綺麗なものだよ」  蓮見は、けろりと答えた。 「だからもう、気にしちゃいない。そもそも如月君は、僕と翔馬のことで、これまでずいぶん助けになってくれた。今回は、お返しができたと嬉しく思っているくらいだよ」  そう言うと蓮見は、書類を出して来た。例のLGBT支援施策に関するものだ。 「それに。君と真島君は、この制度を利用するカップル第一号になってもらわないといけないからね。前例ができれば、他の社員も利用する勇気が出ることだろう。そのためにも、二人には本社に残って、良き見本となって欲しい」  ありがとうございます、と如月は再び頭を下げていた。蓮見が、首をかしげる。 「この施策、何か不備でもあるかい? 何だか、表情が浮かないが」 「いえ、そうではなくて……。私自身の問題です」  如月は、ぽつりと言った。 「これまで私は、人の気持ちを察することにかけては自信がありました。ですが今回は、全く気付けていませんでした。一番身近な人間だというのに。それが、悔やまれてならないのです」 「身近だからこそ、逆に気付けないのかもしれないよ?」  そう語る蓮見の口調は、優しかった。 「灯台もと暗し、と言うじゃないか。僕だってそうだ。翔馬とは七年になるが、こんなことを考えていたのかと驚かされることが、未だにある。まして君らの交際歴は、僕らよりずっと短いだろう?」 「社長……」  蓮見の言葉は本当だろうか、と如月は思った。もしかしたら、自分を励ますために作り話をしているのかもしれない。でも、そんなことはどうでもよかった。 (大切なのは、こうして私たちを応援してくれる人たちがいるという事実……)  だとしたら、自分たちが幸せになることが、彼らへの恩返しだろう。必ずそうなろう、そんな誓いを胸に、如月は心を込めて謝辞を述べた。 「心より、感謝申し上げます。他の社員たちに、この制度を正しく理解し応援してもらうためにも、ありがたく活用させていただきます」  うん、と蓮見はにこにこ頷いた。 「君らが第一号なら、安心だ……。まあ、僕と翔馬が利用することは無いがね」  そう語る蓮見の表情はどこか寂しげに見えて、如月はハッとした。

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