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んじゃ、お望み通りにしてやるよ 4

 シンの持つ土色の手首がついた出刃包丁が放られる。果実が潰れるような音と共にガランと地に落ちる出刃包丁を、周りの男達が遠巻きに見つめた。 「ど、どうやって落とされたんだ、これ……」 「まさか……この赤髪野郎がやったってのか?」 「赤髪野郎だと?」  シンのことを指したのだろうその呼び名に、言われた本人が鋭く睨んだ。レイヴンへ向ける眼差しとは打って変わり、裸の男達に対する眼光には射殺すような恐ろしさがあった。口にしてしまった本人は、「ヒッ!」と声にならない悲鳴を上げて、その場で尻餅をつく。さらにその隣の男が、手首を落とされた男の患部を腰紐で縛りつつ、腰を抜かした男を叱咤した。 「怯むな、情けねえ! 余所者が何をやったか知らねえが、たかが野郎一人だ! 対してこっちは若い衆も含めて十人以上もいるんだぞ! 全員でかかりゃ抑えられる!」 「あ、ああ……そうだな。全員でかかれば……!」  一人の男の叱咤が周りへの激励となったのか、男達は小屋にある銛や縄を手に取り、シンとレイヴンを取り囲んだ。ただの道具が一瞬にして凶器へと変わる。  しかしシンは恐れる素振りを見せず、マントに包(くる)んだレイヴンを横抱きにして立ち上がった。  続け様に、シンは語気を強めた口調で、彼らを冷ややかに見下ろした。 「群れるな、騒がしい。弱者が集ったところでオレには敵わん。徒党を組まねば力を発揮できんお前らがやるべきことなど、ただの一つだ。全員、今すぐ跪いて頭を垂れろ」  まるで王者のような言い分だが、それで怯む者はいなかった。シンとレイヴンを除いたその場にいる全員が、きっと同じ気持ちだったことだろう。いくらシンの体躯が大きく長身といえど、武器も持たない丸腰の人間相手に負けるはずがない、と。その上、負傷した人間を抱えて今やその両手が塞がっている。捕えるなら、今しかない。 「殺せえ!!」  誰かの合図とともに、男達は武器を振りかざしたーーその次の瞬間だった。 「跪け」  彼らは一斉に、その場で跪いたのだ。手にした武器はすべてその身から剥がれ落ち、空いた両手を前にしてシンに向かって深く頭を下げている。 「ようやく黙ったな。結構」  シンが睥睨しつつ、一つ頷いた。  突然静まり返ったこの異様な光景に、レイヴンは開いた口が塞がらない。熊の時も、マキトの時も、シンは通常の人間にはできない芸当を行ってみせた。それがまさか、命令を口にしただけで人間を従わせることまでできてしまうとは。  このレイヴンの驚きに、一方のシンは何ということもないように、すんなりと答えを明かした。 「別に珍しいことじゃない。ただの魔法だ」 「ま、ほう……?」  聞き返すレイヴンに、シンは口調をいつもと同じように和らげた。 「レイヴンがオレに使った治癒能力があるだろう。あれも魔法の一種だよ。レイヴンの場合は少し特殊で、身体そのものに魔力……魔法の力を貯蔵させていて、それが体液を介して相手に使うから、意識して使ってるわけじゃないみたいだけどな。それでもレイヴンが住処にしているあの山小屋を中心とした付近には、しっかりと結界魔法が張られていたよ。まあ、最近はちょっとばかし気が緩んでいたようだから、侵入者を許しちまったみたいだけどな」  シンの言う侵入者は、おそらくマキトのことだろう。にわかには信じ難い話だが、レイヴンは先ほど夢に見た過去の自分を思い返した。 (そういえば、初めて聖女として生を受けた時の僕は治癒能力以外にも色んな力が備わっていて、人や動物以外の魔物から村の人達を守っていた……その聖女の力が、魔法?) 「チュッ」 「ふあっ?」  ふいに、額にキスを落とされ、レイヴンは身体を震硬直させた。シンはすぐに顔を離したものの、唇が触れたそこは誰のものかわからない体液が多量に付着している。いや、そこだけではない。今の今まで、全身を余すことなく犯されていたのだ。こうして近くにいるだけで、鼻が曲がりそうなほどの悪臭を放っていることだろう。そんな自分に躊躇うことなく触れた彼に、レイヴンは困惑が隠せなかった。 「あのっ……あの、今……僕の身体……その……」  だが、微塵も気にした様子のないシンが被せるようにしてレイヴンの言葉を遮った。 「悪いな。レイヴンと違ってオレは詠唱なしの回復魔法が苦手なんだ。触れたところで、痛みを緩和させるくらいにしか役に立たない」 「えい……しょう?」  聞き慣れない単語に、レイヴンは首を傾げた。言われてみると、シンが自身を抱き上げてからそれまで感じていた身体の痛みが不思議と消えている。どころか、風前の灯火だったはずの身体には、気力と体力が戻りつつあった。 「プロテクト完全解除とは、まだいかないか……まあいい。それよりも、だ」  レイヴンの反応に対して、意味深長なことを呟くシンだったが、自身の足元近くにいる一人の男に向かって「お前」と呼び、手足を使うことなく顔を上げさせた。  それまで見えない何かによって額を地につけていた男だったが、またも見えない何かによって上体を起こされ、恐怖に裏返る声で「はい」と返事を口にする。 「この村の人間代表として、申し開きを聞いてやる。なぜ、お前達はレイヴンを嬲る?」  身体を槍で貫かれたかのような衝撃が、その男の身に走った気がした。実際は何も起きていないのだが、シンが男に向けて質問を口にしただけで、男は内臓を抉られるような感覚に陥った。  冷徹な視線を一身に受けるその男は、右往左往に目を泳がせた。どう答えればいいのか、あるいはどう答えたらいいのかがわからないのだろう。男の様子から、この村の首領でないことは明白だったが、それはシンにとって些末なことだった。 「そ、そ、そ、それは……その……ぐええっ!?」  なかなか答えられずにいる男の喉から、アヒルのような鳴き声が上がった。見れば、男の口からこれでもかと、それまで潜んでいた舌が見えない何かによって引き伸ばされている。原因は言わずもがなだ。  レイヴンを抱きながら、人差し指をクイクイと内側へ動かすシンが惚けたように言った。 「ああ、悪い。話しにくいのかと思って舌を伸ばしてやったつもりなんだが、つい引っ張り過ぎてしまったな。如何せん、"誰か"が魔法に制限をかけやがるもんだから、コントロールがまだ上手くできないんだよな」

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