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んじゃ、お望み通りにしてやるよ 5

 悪びれることなく嘯くシンは、ピンと指を弾いた。 「ほら、これで話せるだろ」  開放された男は慌てた様子で自身の舌に触れた。舌はだらりと口から出ているものの、まだ身体の一部として繋がっていることにほっとしたのだろう。男は大粒の涙を零しながらその場で失禁してしまった。  ツンと込み上がるアンモニア臭に、両隣の男達が顔を顰めた。だが無理もない。見えない何かによって、別の男は手首を切断されたのだ。それがまた、いつ、誰の身に起きるのかと、皆が額を地につけながら怯えていた。 「話せ」  シンの容赦ない命令が、男を促した。男はガチガチと奥歯を鳴らしながら、レイヴンへの罰について話し始めた。 「こ、この地は、大昔から……不思議な力を使う聖女が生まれる唯一の村で……聖女が女だった時は、とても……とても栄えていたというんだ。俺の爺ちゃんの、その前の、前の、前の……うんと前のことだ。それが、それが……ある時、男の聖女が生まれ、この村は迫害されるようになった……その聖女が大昔にっ、村を燃やしやがったと……! ちょっとやそっとの火じゃない。燃え上がる炎は、この村だけで終わらず……隣近所の村も巻き込むほどだったという……落とし前は必要だ……だから、その聖女を殺した。殺したのに……! それ以降も生まれてくるのは男ばかり……こんなの不吉以外の何ものでもねえ……それで皆で話し、決めたんだ……男の聖女が生まれたら、罰を下す……! 男としての尊厳を奪う為に、レイヴンを……聖女を犯す……! それがこの村の、昔からの慣わしだ……だから、だから、男で聖女の力を持つそいつは……レイヴンは、責任をとらなくちゃあならないっ……こんな貧困の村にしやがった、レイヴンには……!」  シンは最後まで黙って聞いていた。レイヴンも同様に、男から明かされる自身の罪に顔を伏せていた。  突如として掘り起こされたレイヴンの記憶の中には、燃え上がる炎を見つめる自分の姿があった。轟々と燃える炎はとても熱く、喉の奥が焼けるような痛みを感じた。まるで今しがたそれを体験したかのように、鮮明に残っている。  転生が始まったのはそれからだ。村の人々は知らずとも、奇しくも村を燃やした本人が罰を受け続けている。これが別の誰かであったなら、理不尽な罰に歯向かうこともあっただろうが、罪の意識があるレイヴンには受け入れるしか術がなかった。  自分の犯した罪を聞いて、シンは何と思っただろう。抱き上げられたこの身体を、今すぐ落とされてもおかしくない。レイヴンはおずおずと顔を見上げた。  そこには、げんなりとした様子のシンの顔があった。 「燃やされて当然だろ。こんな村」 「えっ……?」  思わず声が上がってしまったのは、レイヴンだけではなかった。シンのまさかの反応に、明かした男本人と、その場にいる誰もが目を丸くさせた。 「なん……なんで……なんでだよ……だって、そいつは……そいつが、村を……」 「もう少し、まともな意見が聞けるのかと思いきや……何だ、そのクソみてえな理由は。ただ自分達の現状を嘆いて、寄ってたかって一人に八つ当たりをしているだけじゃねえか」 「や、八つ当たり、だと……?」 「口を挟むな」 「むぐうっ!」  見えない力が男の唇を真一文字にさせる。  シンは盛大に嘆息した後、指を僅かに動かした。同時に、小屋の屋根、壁がすべて吹き飛ぶように破壊された。ゴウッと勢いよく入り込むは夜の風だ。凍てつくほどの冷気が流れるように男達の隙間を縫っていく。  暖炉の炎も消え、辺りが暗澹とした闇に包まれた。 「ライト」  シンが一言そう言うと、頭上に不思議な光が照らされた。暖かみのないそれがぼんやりと周囲を明るくする。そんな不思議な事態を不審に思ってか、離れた民家からぞろぞろと、男の妻達が姿を現した。 「これは、いったい……」 「平伏せ」 「きゃあっ!!」  事の次第も知らない女達が、全員その場で倒れた。男達同様、シンの前で頭を伏せ、両手を前に揃えさせられた。自分の妻かもしれない女の悲鳴に、男達が口々に妻の名を呼び叫ぶも、全員が見えない何かによって唇を塞がれる。  くぐもる声の中、シンは滔々に語り出した。 「換気しても酷い臭いだ。小屋全体じゃなく、村全体が腐ってやがる。レイヴンが住むあの小屋を中心とした周りは天国並みに居心地が良かっただけに……最悪だ。反吐が出そうなほどの瘴気に満ちている。虫けら……いや、肥溜め以下だな」  誰かが一際大きな唸り声を上げた。肥溜め以下と耳にして逆上したのだろう。しかしシンは語るのを止めない。 「瘴気についてはこの際置いておくとして、だ。だいたいお前ら、変だと思わないのか? そのレイヴンの罪とやらは、いったいいつの話だ? お前らが体験したのか? 実際に害を被ったのか? 家族を失ったのか? 何かを奪われたのか? 違うだろう。最初からこの状況だったんだろうが。実害を受けてないお前達になぜ、他者を責める権利がある。近隣の村から迫害されている? 馬鹿を言うな。お前らが拒んでいるだけだろうが。なぜこちらから動かない? 過去の栄光とやらに縋りつき、ふんぞり返る頭を地につけられないのか」  語気は強いがその眼差しは真剣だった。低くも玲瓏な声は、説くように語りを続ける。 「この村で唯一客観視ができるオレの目からして、この村はさほど貧困に喘いでいるとは思えん。お前ら男は言わずもがな、女達も痩せこけてはいない上に、子供らも餓鬼のように腹が出ているわけではない。この村には乳を得る家畜があり、米もある。裏手の山は食材が豊富で野草やキノコから栄養を取ることもできる。土地は広く、高低差もあり、雨も降る。味噌も作れるし、醤油だって作れるだろう。好条件じゃないか」  味噌、醤油、という聞き慣れない単語に、村人達は内心首を傾げるも、シンの発する提案には目から鱗といった様子だった。  罰を受けるしかないと諦めていたレイヴンにも、それは同様だった。現状を打破する考えがあるとは、思いもしなかったからだ。  これで村が良い方向へと傾くならば、自分の持ちうるすべての力を村の為に費やそうと思った。 (だからといって……僕の罪がなくなるわけじゃないけれど……)  その一瞬の考えが、レイヴンの顔に影を落とした。それにはシンも気づいたものの、彼は続けて村人へと語り、尋ねた。 「栄枯盛衰は世の常だ。お前達がすべきことはレイヴンを嬲ることではない。現状に納得がいかないのであれば、互いに知恵を振り絞り、解決策を模索し、仲間と共存する為に行動することだ。その上でもう一度聞こうか? なぜ、レイヴンを嬲る必要がある?」  今度は全員の口が開放された。唸るしかなかった口が急に開き、しばし呆然と皆が口元へと手を当てる。  そして互いに顔を見合わせ、シンの問いかけについて意見を交わそうとした。  その時。 「そんな、もの……!」  シンの背後から一人の男が、獣のような声を張り上げた。 「そんなもの……そんなものぉ! 知ったことかっ! すべてっ……すべてそいつがいるから悪いんだ! 昔は栄えて、食物も魚や米だけじゃないっ……牛や豚が食えたんだ! 女子供は太って当たり前、金品も腐る程献上された! それがどうだ! 俺達は生まれた時から親父に殴られた! 女も醜女ばかりでどいつもこいつも痩せていて、抱くに抱けん! 生まれるガキ共は揃いも揃ってうるさい! こんな日々を過ごすようになったのも、その男の聖女が生まれたせいだ……! すべてそいつが悪い! かつての栄光の日々を取り戻すまでっ……そいつは罰せられるべきなんだ!」  肩で息をするほど、大声で喚き散らかした男の目は激しく血走り、怒りで何も見えていないようだった。先ほど、シンが手首を落とした男とは別の男だが、憤る様が同じだった。シンは自分にだけ聞こえるように、「アレが核か」と呟いた。  その男の怒りは自分の内だけに留まらない。両隣、前後、そして周囲の者達へと移るまでに、時間は秒ほどもかからなかった。 「そうだ! 男の聖女が……レイヴンが生まれるから俺達はこんな目に遭っている!」 「これ以上、惨めな思いをするのはごめんだ! レイヴンを罰しろ!」 「罪から逃げるな!」 「そんな聖女は殺してしまえ!」 「殺せ!!」  始まる自身への罵倒にレイヴンは独り言のように「ごめんなさい」と呟いた。その表情は酷く暗く、瞳からはすっかり光が消えていた。  けたたましい人々の声の中、シンはレイヴンに語りかける。 「どうする? レイヴン。こいつらはお前を殺さないと気が済まないらしいぞ」 「それだけのことを、しましたから……」 「覚えがあるのか?」  別段驚いた様子もなくシンはレイヴンに聞き返し、対してレイヴンはシンの顔を見ることなく、俯いたまま質問に答える。 「皆さんの言うことは、本当です。初めてこの村に生を受け、そして聖女の力を授かった僕は……この手で人を、殺しました。その上で、村を焼いたんです」

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