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第10話
昨日のデパートの駐車場へと車を乗り入れる俺を、彼が不思議そうに見つめてくる。
「……あなたに渡さなきゃならないものがあるんだ。あいつからの、プレゼント」
それに彼は驚いたように表情を揺らし…それから、小さく首を振った。
「受け取れない……」
「だめだよ。水都さんが受け取ってくれなきゃ意味がないんだ。あいつが、あなたのために選んだプレゼントなんだから」
「…………」
彼にとって酷なことを言っているのはわかっていた。
でも、あいつが彼のために選んだプレゼントを見てしまった俺としては、あいつのためにもやっぱり彼に受け取って欲しいと思う。なにより、あのネックレスをつけた彼を見たいと思ってしまったから。
それでもためらう彼を何とか店へと連れて行けば、昨日の彼女が微笑んで俺たちを迎え入れてくれた。
「いらっしゃいませ。こちら…このままお付けになりますか?」
差し出されたネックレスに、彼は驚いたように表情を揺らして、それをそっと手に取る。
「……誕生日いつだって聞かれたから、6月って答えたんだ。このため、だったのかな……」
「きっとそうですよ。大切な方への誕生日プレゼントだっておっしゃってましたから」
にこやかに答える彼女に、彼は恥ずかしそうに頬を染めて俺を見た。
「あいつ…全部ここで喋って行ったみたい。あなたのこと、この真珠よりもキレイな恋人だってさ」
それに彼の顔がさらに赤く染まり、まるでそんな自分を隠すように俯いてしまう。
「付けてみてよ、水都さん。俺も見てみたい」
それでも彼はまだ思い悩むように、手の中の真珠をじっと見つめたままだ。
「……もしよろしければ、こちらで」
そう言って彼女が俺たちを促してくれたのは、店の一番奥にある小さな部屋。
全面が鏡張りになっているその部屋は、結婚式のティアラなどを注文した客のための特別室なのだと彼女は言った。
「男性がこういったものを身に付けるのってやはり恥ずかしいものだと思いますから。どうぞごゆっくり」
そう言われて、なんだかお互いに照れくさくて赤くなりながら顔を見合わせ、すぐにそらす。
そっと伺い見た彼はじっとそのネックレスを見つめたまま、だがやがて何かを決心したように俺に声をかけてきた。
「嵌めてくれるかな……。こんなのつけたことないから、うまくする自信ないんだ」
「……わかった」
差し出されるそれを受け取る手が、微かに震えた。
彼の細い首下にネックレスをあてがい、項の部分で金具を止める。
本当なら、この役目はあいつのはずだったのに。こうして彼のこの姿を見るのは、あいつだったはずなのに。
「ヘン…じゃない?」
大粒の真珠が彼の鎖骨の辺りで上品に輝く。
「すごくよく似合ってる……」
そっとそっとその肩に触れて、抱きしめたい衝動を押さえつけるのに必死だった。
俺にはまだその資格はない。この思いを、彼に告げていないのだから。
「……このままで行っても大丈夫かな。せっかく健志がくれたものだから、見て欲しいし」
「そう、だね……」
そっと触れていた手を離して、ドアを開ける。と、それに気付いた彼女が俺たちのほうへと歩み寄ってきて、とてもよく似合っていると笑顔でそう言ってくれた。
「ありがとうございます。これ…このまま持って帰っても大丈夫ですか?」
「ええもちろん。本当にとてもよくお似合いですよ」
それに彼はまた恥ずかしそうに微笑んで、俺たちは店を出ると車へと急いだ。
「俺は、ここで待ってるから」
あいつと母親が眠る霊園の駐車場で彼を下ろし、俺はそう言って車でひとり待つことに決めた。
彼があいつとどんな話をするのか、あのネックレスをどんなふうに見せるのか気にならないといえば嘘になる。
でも、それ以上に彼が語るだろうあいつへの言葉を聞きたくなかった。
「醜い嫉妬だ……」
自嘲気味に呟いて、彼が出て行ってから5本目のタバコを手に取る。
「なあ兄貴…あんたの分まで、あの人を幸せにするから……」
だからあの人を、俺に下さい。
あなたの心を、俺に下さい。
「あなたが好きです…水都さん」
伝えられない思いを呟き、俺はシートにもたれかかるように目を閉じた。
教えられた墓石には、仁野家の墓と刻まれていた。
「健志……」
分かっていたことなのに、こうして現実に向き合うのは初めてで、改めて君がいないことを思い知らされる。
「これ…ありがとう。プレゼントくれるのって聞いたら、そんなもんやらないって笑ったくせに…あんな恥ずかしいことまで言わないでよ」
僕は墓石の前に座り込んで、持ってきた花を手向けて手を合わせた。
「この5年間、僕はずっと君の事で自分を責め続けた。でももう、忘れてもいい? 君は許してくれる? あの日…僕が君を追い出してしまったことも、そのせいで君が……」
『あれは事故。おまえのせいじゃないよ、水都。それに俺は、おまえが出て行けって言わなくてもそのネックレス見に行くつもりだったから。もうそんなに自分を責めるなよ』
柔らかな風に乗って、そんな健志の声が聞こえた気がした。
「健志……?」
『それ、よく似合ってるぜ。やっぱり俺の見立ては正しかったってわけだ』
涙が溢れて止まらない。
『でももういいや。俺はそれつけてくれたおまえを見られただけで満足。今度はあいつがさ、おまえにもっといいもんくれるだろうから』
クスクスと笑いながらそんなことを言う健志の言葉の意味が判らない。
『なあ水都、あいついい奴だろ? 俺のこともさ、あいつ許してくれたんだ。兄貴って呼んでくれたんだ。あいつならさ…俺の一番大切だったおまえのこと、安心して任せられる。おまえも、付いていけるだろ?』
「一番…大切だった? 僕のこと? じゃあどうして…もっと外の世界を見ろなんて、そんなこと……」
ずっとずっと聞きたかったあの疑問を投げかける僕に、健志はしばらくの間なにも答えてはくれなかった。
ずっと止んでいた風が、ふとまた渡る。
『怖かったんだ。ずっと俺のそばにいて、嫌なところとか見ちまったら、おまえが離れていくんじゃないかって。俺には、おまえしかいなかったから…嫌われるのが怖くて、遠ざけようとしちまった』
「……君を嫌いになんて……」
今でもまだ、こんなにも好きなのに。
『今日はありがとな。これで俺も、心置きなく成仏できる』
健志の、いつものおどけたような笑顔が見えた気がして、胸が痛い。
「行っちゃうの?」
『いつまでもここにはいられないからな~。おまえに付きまとうわけにも行かないし』
それでもいいよ、って言いそうになって…唇をかみ締めた。
『幸せになれよ、水都。俺はいつだって、それを望んでるんだからな』
「……うん」
本当はね、誰よりも君に幸せにしてほしかったけど…それを言う資格は僕にはないから。
『じゃ、な。時々花でも供えてくれたら嬉しいんだけど』
「また来るよ。約束する」
最後の笑顔はとても眩しく見えて…僕は溢れ続ける涙を拭いて立ち上がると、車で待っていてくれる彼の下へ急いだ。
泣き濡れた瞳で戻ってきた彼に、何も聞けなかった。彼も、何も言おうとはしなかった。
「ねえ水都さん…俺、今まで通りあそこで暮らしていいかな」
「もちろんだよ。……よかった、今度のことで出て行くって言われたらどうしようかと思った」
ホッとしたようにそう言ってくれる彼に、今はまだそれで満足しなきゃいけないんだと自分に言い聞かせた。
そうして俺たちの共同生活はまだ続いている。
ひとりは辛いから。
せめて俺がそばにいることで、彼が寂しい思いをしなくてもすむのなら。
もう少しだけ…彼の心の中から、あいつの存在がもう少しだけ薄れていくまで。
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