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第11話
雨の音で目が覚めた午後。
「あ…洗濯物」
慌ててベッドを下りてリビングへと駆け込めば、今まさにベランダから洗濯物を取り込んでくれた隼人さんの姿。
「間一髪。でもちょっと濡れたかも」
そう言って笑ってくれる隼人さんに慌てて駆け寄って、抱えた洗濯物を受け取った後、その中からタオルを引っ張り出してそっとその頭にかけた。
「あなたのほうが濡れてる……」
「ああ…そこまで来たらちょうど雨に降られて。でも濡れてるってほどじゃ……」
「でも…風邪ひくといけないから、着替えてきて」
そう言う僕に、彼は黙って頷いてタオルを肩にかけなおしてリビングを出て行った。
彼から受け取った洗濯物を隣の部屋に放り込んで、熱いコーヒーでも淹れようとキッチンへ向かう。
とっておきの豆を挽いて、サイホンにセットしたところで彼がリビングへと戻ってきた。
「いい匂い。あ、コーヒー淹れてくれるの?」
嬉しそうにそんなことを言ってくれる彼に頷けば、さっき僕が渡したタオルをまだ首にかけたままでソファへと腰掛けるのに、なんだかクスッと笑みがもれた。
「水都さん? 俺、何かおかしかった?」
「あ、ううん。それよりも洗濯物ありがとう。おかげで濡れずにすんだみたい」
「それはよかった。せっかく梅雨の晴れ間に乾いたってのにまた濡れたじゃ笑い話だ」
「うん」
出来上がったコーヒーを2つのカップに注いで、僕も向かいのソファに腰掛ける。
「ねえ隼人さん……僕もまた、昼間の仕事に戻ろうと思うんだけど…どう、かな」
「え……?」
「やっと、健志のことも吹っ切れたし。雨の日も平気になったし……」
俯いてしまうのは、なんだか彼を見つめられないから。
そもそもこんなことを他人である彼に相談するのが間違ってるかもしれない。でも、彼に大丈夫だよって後押しをしてもらったら、本当に頑張れそうな気がしたから。
「……うん、水都さんがそう思うなら頑張ってみてもいいんじゃないかな」
そんな彼の返事に、僕はやっとゆっくりと顔を上げた。
彼は僕の淹れたコーヒーを美味しそうに飲んでから、笑顔を向けてくれる。
「でも今の仕事やめる前に、一度飲みに行ってもいいかな。水都さんが仕事してるところ見てみたいんだ」
「え、そんな…なんだか恥ずかしいな」
突然そんなことを言われて、なんだか妙に意識してしまう。
「今度の週末に凛がこちらへ帰ってくるらしいから、誘ってみようと思うんだけどいいかな」
「え、凛も?」
彼の意外な言葉に驚いたのと同時に、どうしてか彼ひとりじゃないってことにホッとしてしまう。
「ひどいな、水都さん。俺一人だったらイヤだって言うつもりだった?」
「そ、そんなこと……」
わざとらしく少しだけ拗ねたようにそんなことを言ってくる彼に、僕は慌ててごまかすもののしっかりと読まれてしまっていたことになんだかまた恥ずかしさが増してくる。
「……水都さんさ、よく笑ってくれるようになったよね。俺がこの部屋に来た頃に比べたら、すごく表情も豊かになったし。いろんな顔、見せてくれるようになって嬉しいんだ」
「…………」
なんだか改めてそんなことを面と向かって言われると、ものすごく照れくさい。
しかも別にお酒なんて飲んでない、まだ夕方のこんな時間。
だけどそんなことを言い出す彼の表情は真剣そのもので……
「……ありがとう。僕が変われたのはあなたのおかげだよ。あなたがずっとそばにいてくれたから…健志のことだって、あなたが…僕が悪いわけじゃないって、そう言ってくれたから……」
きっと他の誰でも、こんなふうに健志のことを忘れさせてくれなかったと思うから。
「俺があなたの役に立てたならよかった」
ホッとしたようにそう言ってまた笑ってくれる彼に、僕も笑顔を向けた。
こんな穏やかな時間を過ごせるようになったのも、彼がいつだって僕を気遣ってくれたからだと改めて思い知る。
「本当に…ありがとう。凛からあなたの話を聞いた時ね、正直言うと…すぐに出て行くか僕のことなんて放っておくんじゃないかって思ってた。だから、何も期待なんてしてなかった。だけどあなたは、自分の殻に閉じこもってる僕に歩み寄ろうとしてくれて…もう一度僕を、普通の生活に戻らせてくれたから……」
正直に胸の内を明かした僕に、彼は何も言わない。
「凛も、僕のことはまるで腫れ物に触るみたいに接してきてたから」
そう言葉を繋ぐと、彼は驚いたように表情を揺らした。
「ずうずうしかったかな…俺」
それに僕は首を振る。
「ううん。本当はね、すごく嬉しかったんだ。一緒に食べようって誘ってくれたの」
一緒に暮らし始めてどれくらい経った頃だっただろう、彼がどこか遠慮がちにそう声をかけてきたのは。
実の弟の凛でさえ、僕にそんなことを言ったことはなかったのに。
いつもそうだった。
一緒にいてほしかったのに、僕が醜態をさらしたらきっと彼は呆れて出て行って、またひとりにされてしまうと思い込んで、出来るだけ彼と顔を合わせないようにしていた。
「ごめんなさい……。ずいぶん失礼な態度をとってたね…僕」
改めて思い返せば、まさしく穴があったら入りたくなるほどに恥ずかしいことばかりだ。
なのに彼は、何もかもを笑って許してくれて。
今だって、優しい笑顔でそんなことないよって言ってくれる。
「凛の選んでくれた相手があなたでよかった……」
心からそう思って彼に告げれば、どこか複雑な眼差しが僕を見つめ、曖昧な笑み。
「隼人さん……?」
何か彼の気に障ることを言ってしまったんだろうか。途端に不安になれば、彼はそれに気付いたように申し訳なさそうに視線をそらし、ゆっくりとソファを立ち上がった。
「コーヒー、ごちそうさま。会社から宿題もらってきたから、夕飯までに片付けちゃうよ。学生じゃあるまいし、なんで今頃ね」
冗談のようにそう言って、彼は空になったカップを持ってキッチンへと向かい、そのまま部屋へと戻っていった。
僕はその背中を見送って、それからもうすっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干し、キッチンへと重い足取りで向かう。
あの時、せっかく一緒に食べようと誘ってくれた彼を僕が拒絶した時、彼もこんな寂しい思いをしていたんだろうか。
「ひとりはつらいね……」
誰へともなく呟けば、どうしてか涙が落ちた。
「……夕飯の支度しなきゃ」
グッと涙を拭いて、僕は気持ちを切り替えるために深呼吸をしてから冷蔵庫を開けた。
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