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第13話
月曜の夜、出勤前に凛にメールを入れた。
今までずっと心配かけっぱなしだったことを詫びて、健志のことを忘れたわけじゃないけど、やっと一歩を踏み出せるようになったことを。
忙しいだろうにすぐ返ってきたメールには、よかったじゃないかとそんな一言だけ。
「うん…よかったよ。おまえがさ、隼人さんに会わせてくれたからかな……」
そんなことを呟いて、もう一度だけメールを送る。
『今度は一緒に飲みに行こうな。ドタキャンはなしだぞ』
それに返事はなかったけど、きっと小さく舌打ちしてるだろう凛の顔が浮かんで笑みがもれた。
月末までで仕事を辞めることをオーナーに告げれば、残念だけど仕方ないねと快く聞き入れてくれた。
そういえばここでの仕事を始めたときも、オーナーにはずいぶん無理を言ったっけって思い出せば、こんな形で辞めてしまうのが心苦しくなった。
「助っ人が必要な時はいつでも呼んでください。すぐに来ますから」
せめてもの恩返しにとそう告げれば、オーナーは笑顔で頷いて頼むよと言ってくれた。
週末の朝、いつものように早起きをしてくれた彼にそれを告げると、彼もまた笑顔でよかったねと言ってくれる。それから、次の仕事先のあてはあるのかと少し心配そうに。
「とりあえず、少しのんびりさせてもらおうかと思ってる。ほら、今までずっと夜の仕事だったから体がそのサイクルに慣れちゃってるでしょう? まずはそこから作り変えないと大変そうだから」
「ああ、そうか……。じゃあしばらくはここに?」
それに僕が頷くと、彼はなんだか嬉しそうに笑ってくれる。
「どうかした?」
「ん…週末以外はいつもすれ違いばっかりだったから、これからはこうやって朝も夜も一緒にメシ食えるのかなと思ったら、嬉しかったから」
どこか照れくさそうにそんなことを言ってくれる彼に、なんだか僕も照れくさい。
「大学時代からずっとひとり暮らししてて、一人で過ごすのは慣れてたはずなんだけど…あなたとここで一緒に暮らすようになってから、なんだかひとりが寂しいなって思うようになってきたんだ」
そんな彼の言葉に、僕は大きく頷いた。
「ひとりは寂しいよ……。誰も僕のことを気にかけてくれないって思ったら、寂しさに押しつぶされそうだった」
健志を亡くして、凛がここへ来てくれるまでのたった数週間のことを思い出す。
「泣いても喚いても、誰も答えてくれない。声が聞きたくても、誰も話しかけてもくれない。ひとりが自由だって思うこともあったけど、でも……」
俯いてしまう僕の頬に、そっとそっと彼の大きな手が触れる。
「俺がいる。水都さんのそばには、いつだって俺がいるから。……忘れないで」
真剣な眼差しで見つめられて、なんだか胸がドキドキした。
「う、うん……」
思わず赤くなってしまう僕をどう思ったんだろう。
彼はそっと手を離して、消え入りそうな声でごめんって呟く。
それから勢いよく席を立って、買い物へ行こうかといつものように誘ってくれる。
「でも、まだ少し早いよ?」
僕がクスッと笑ってそう答えると、彼は壁の時計を見やってから、恥ずかしそうにぽりぽりと頭をかいた。
早起きして、朝食を作って2人で食べて、彼を送り出して家事を済ませる。
そんな生活のリズムにやっと体が慣れてきた頃、近所の小さな喫茶店の存在を初めて知った。
「こんなところにあったんだ……」
隠れ家的なその小さな喫茶店は、人のよさそうなマスターが一人で切り盛りしているようで、常連らしい数人の客がカウンターで時折マスターと談笑しながらコーヒーを飲んでいた。
明るい陽の光が降り注ぐ窓辺の席に腰掛けて、アイスコーヒーを注文すると、おつまみに小さなクッキーが付いてくる。
手作りらしいその優しい味のクッキーとコーヒーがとても美味しくて、また来ますと席を立てば、嬉しそうな笑顔で送り出してくれた。
何度かその店に通ううち、僕もどうやら常連の仲間入りをさせてもらえたらしい。
いつものように窓辺の席に腰掛けていると、カウンターに座っていたお客のひとりが手招きをする。
不思議に思いながらもコーヒーとおつまみを持ってそちらに移動すれば、カウンター席だけの特権だと言って、小さなコーヒーゼリーの器を差し出された。
「水都さん、なんだか最近楽しそうだね。なにかいいことあった?」
いつものように彼と向かい合う夕食の席で、突然彼がそんなことを言い出して驚いた。
「え…そう、かな?」
自分ではいつもと変わらないつもりだったんだけど。
「無意識? 時々鼻歌とか歌ってるし、なによりも笑ってることが多くなったから」
「え……」
なんだかすごく恥ずかしい。彼にそんなふうに見られていたってことが。
「俺は、今のあなたのほうがいいな」
そう言って笑う彼の言葉に、どうしてかときめいてしまうなんて。
「あ、ありがとう……」
こんなときどんなふうに返事をしていいか分からずにとりあえずそんなお礼を言うと、彼はクスクスと笑っている。
「もしよかったらさ、そのご機嫌の理由を俺にも教えて欲しいな」
「あ、うん」
そういえば彼に話したことはなかったっけ。
そして僕は、その小さな喫茶店のことを彼に告げ、最近ではそこへ通ってカウンターに腰掛け、常連のお客さんと他愛もない話をするのが日課になっていることを話した。
「へえ。今度俺も連れてってくれる?」
「残念。そこね、週末はお休みなんだ」
そういう僕に、彼は渋い顔をする。
それにクスクス笑うと、彼も笑ってくれる。
ねえ健志、君がもっと外の世界を見ろって僕に言ったのは、こういうことだったのかな。
あの頃の僕がそれをちゃんと理解してたら、君をあんなふうに失わずにすんだのかな……
「……泣いてるの、水都さん?」
心配そうな彼の声にハッとした。
「あ、ごめんなさい。ちょっと…思い出して……」
「あいつのこと?」
それに頷けば、彼は黙ってどこか切なげに笑っていた。
「俺がここにいても、いいのかな」
「え?」
「ひとりで泣きたいなら、部屋に行くけど」
それに僕は思わず首を振り、縋るように彼を見つめてしまう。
「もう大丈夫だから…本当にちょっとだけ、健志の言葉思い出して……。自分を責めなくていいってあなたに言われたのに、もうこれって癖なのかな……」
そんな僕に、彼はやっぱり優しい言葉をくれる。
「そんなにすぐには忘れられないし吹っ切れるものでもないよ。ただ、あなたが悲しい思いをしなきゃいいってそう思うだけ」
「……ありがとう」
彼の優しさが、僕を救ってくれる。いつだって、どんな時だって。
「夏休みになったら案内するね、そのお店」
もう1ヶ月もすれば夏休みとして3日ほど休みが取れると彼が言っていたことを思い出してそう言えば、彼はまた嬉しそうに微笑んで頷いてくれる。
なんだか僕も、その日が待ち遠しくなってしまった。
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