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第18話
約束の土曜日、水都は朝から落ち着かなかった。
「もう心ここにあらずだね、水都さん」
昼食を向かい合って食べた後、笑いながら隼人がそんなことを言うのになんだか恥ずかしくなる。
「だって…みんなに会うのも久しぶりだもん」
「大学時代の友人だったっけ。羨ましいな、そういう相手がいるのって」
どこか寂しそうに呟く隼人に、水都はなんだかひとりはしゃいでいた自分に罪悪感を持ってしまう。
「ごめんね、隼人さん……」
「え、なんで水都さんが謝るの? あ、俺が余計なこと言っちゃったからか。俺のほうこそごめん」
それに水都は小さく首を振る。
「俺さ…もともとはこちらの人間じゃないし、本当は大学卒業したら地元に帰るつもりだったからさ、大学もその場限りの付き合いしかしてこなかったんだ。それが結局こちらで就職することになって、地元にも帰らなくてよくなって…なのにさ、やっぱり人間関係はヘタで。入社して1年くらいなんて本当、社内の同期でも親しく話せる奴なんていなかったくらいだったんだ。あ、今はちゃんと友人くらいいるから」
初めて聞く隼人の過去。
慌てて付け加えるのに小さく笑えば、ホッとしたようにまた言葉を繋ぐ。
「それでもやっぱりひとりは寂しくてさ…いつも夜の街で行きずりの相手を探してた。そばにいて欲しい、でも深く干渉されるのは嫌だなんてわがままなこと言って……」
「凛に会ったのも、その頃?」
思わず聞いてしまう水都に、隼人は黙って頷いた。
「カウンターで泣きながら自棄酒を煽ってたあいつに…なんだろう、同じ空気を感じたのかな。状況は違っても、俺もちょうど一人身に戻ったときだったし」
懐かしいあの日を思い出しながらそう告げる隼人に、水都は聞いてしまってもいいのだろうかと戸惑う。
「初めて本気で好きになった相手だったんだ。俺、もしかしてあの時凛に出会わなかったら、ずっと一生本気の恋なんて知らないままだったかもしれないって思う」
少し俯き加減、苦笑しながら告げる隼人に水都は黙って耳を傾ける。
きっと、聞いて欲しいからこんなことを言うのだろうと。
「だけど…そのうち凛の気持ちが分からなくなってきて……」
そこで一度言葉を切ると、隼人はゆっくりと顔を上げて水都をまっすぐに見つめた。
「……水都さんがあいつと付き合い始めたときってさ、どんなふうだった?」
「え……?」
「あいつ…兄貴と再会してから」
その問いに微かな胸の痛みを感じながらも、水都は以前に比べればずいぶんと落ち着いている自分に、やはりそれだけ健志の存在が思い出になりつつあるのだと感じる。
「なんだろう…恋をしたっていうよりも、自分の気持ちを再確認したって感じだった。きっと僕はずっと健志のことを好きだったんだけど、それに気付かなかっただけだったんだなって。再会したその夜に、僕たちは関係を持った。それくらい互いを欲してた。健志も…僕と同じ気持ちだって言ってくれたし。特に約束とかしたわけじゃなかったけどね、会いたいなって思うときは2人の好きな店に行くんだ。そうするとね、半分くらいの確率で会えたから。どうしても会いたいときは、よりその気持ちが強いほうが連絡してた。それも多分、同じくらいだったと思う」
遠い日を思い出しながらぽつりぽつりと語る水都の表情を見逃すまいとしながら、隼人は繰り出される言葉の数々にズキズキと胸の痛みを感じずにはいられない。
水都の心はまだ健志のもの。
それを分かっていてこんな問いを向けたのは自分なのに。
「凛とあなたは…違ったの?」
ふと向けられる問いに、隼人は小さく頷いた。
「連絡するのは俺ばっかりで…俺の片思いみたいなもんだってずっと思ってた」
「だって、付き合ってたんでしょ?」
それに隼人は自嘲気味な笑みを浮かべながらまた頷く。
「俺がもっと凛を信じてれば…あいつの気持ちを分かってやってればよかったんだけどさ。難しいね、恋愛って」
小さくため息をつく隼人に、水都は頷きながら関谷のことを思う。
健志に対するものとも、隼人に対するものとも違うこの感情は一体なんだろう。
でもそれは単なる懐かしさだけじゃない何か。
「隼人さんは…もう恋はしないの?」
特に何を意識するでもなく向けたその問いに、隼人の表情が切なげに揺れる。
水都に向かうこの感情は恋。でもそれを本人には告げられない。
「……片思い。凛に振られてからはずっと片思いばっかり経験してる」
努めて明るく笑いながら告げる隼人に、水都は俯きながらごめんと詫びた。
「謝らないでよ、水都さん。俺としてはむしろ凛に謝って欲しい気分だな~」
冗談めかした口調でそんなことを言う隼人に、水都はどこかホッとしながら小さく笑う。
「僕も…前を見なきゃね。新しい出会いでも探してみようかな」
「……そうだよ。いつまでも過去に縛り付けられてちゃもったいない」
なんでもないことのように言いながらも、隼人は切り裂かれそうな胸の痛みを感じる。
「水都さんならさ…すぐにいい相手が見つかると思うよ」
心にもないことを言う自分に苛立ちが募る。
「そうかな…ありがとう。隼人さんも、早くいい相手が見つかるといいね」
はにかんだような笑みを浮かべてそんなことを言う水都に、苦しいほど胸が締め付けられた。
そんなことを言えるほど、水都の心に自分の存在はないのだと思い知らされて。
と、ポケットに入れた携帯が震え、着信を告げる。
「っと、ごめん水都さん。ちょっと電話」
一応断りを入れてから携帯を取り出せば、見知らぬ番号がディスプレイに浮かぶ。
「……仕事関係かもしれないから、部屋行くよ。ご馳走さま」
まるでごまかすようにそう言って席を立ち、慌てて自室へと向かってから送話ボタンを押す。
「もしもし」
だが電話の向こうは無言のまま。
「どちらさんですか?」
いたずらかと思いながらも穏やかな口調で問いを向けても、やはり相手は無言のままだ。
「……いたずらか」
電話を切ってから呟けば、間髪をいれずにまた着信がある。しかも同じ番号。
「なに考えてやがる? こんないたずら電話なんてされる覚えねぇぞ?」
憤りながら一言文句でも言ってやろうと送話ボタンを押し、深く息を吸って怒鳴りつけようとしたその瞬間。
『――俺。久しぶりだけど覚えてる?』
柔らかなそんな声が聞こえ、喉元まで出掛かった言葉が一瞬でかき消されてしまう。
「え? 誰だよ?」
『……そっか、やっぱり覚えてないよな……。ごめん、なんか懐かしかったから声聞きたくてさ…それじゃ』
寂しげにそう言って電話を切ろうとする気配に、隼人は刹那に胸に浮かんだ名を呟いた。
「暁生(あきお)……?」
どこか凛の持つ雰囲気に似ているところに惹かれて口説いた相手。
どちらもフラレ者同士で、まるでキズを舐めあうかのように付き合いを始めた。
『……思い出してくれたの? そうだよ…俺、暁生』
「どうしたんだ? それにしてもおまえ、俺の携帯番号まだ覚えてたのか」
『会えない? 話がしたい』
唐突な誘いに驚くものの、なぜだか突き放せない。
「……今夜、空いてるか? あの頃の店でどうだ?」
『わかった。待ってるね』
少しだけ嬉しそうにそう言って、電話はすぐに切れた。
時間の約束もしていないのに…と思ったものの、そういえば付き合っていた頃からせっかちだったなと思い出して笑みがもれる。
水都は6時半にはここを出ると言っていたから、それから会えるようにしようか。
そんなことを思いながら、隼人は履歴に残るその番号へと電話をかけなおした。
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