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第19話

「じゃあ行ってきます。帰りはもしかしたら遅くなるかもしれないから」 「昔話に花が咲くだろうしね。俺もちょっと出掛けるから、もし水都さんのほうが早かったら先に休んでて」 「うん。……それじゃ、隼人さんも行ってらっしゃい」 少しの不安とたくさんの楽しみをその笑顔に浮かべながら玄関を出て行く水都を見送ってから、隼人は手早く出かける準備をして部屋を出た。 「なんだ、早いな」 約束の店に向かえば、まだ待ち合わせの時間前だというのに、暁生はすでにグラスを一杯空にしていた。 「ヒマだったもん。行くところもなかったし」 カウンターで隣の席に腰掛けると、暁生はグラスを持って立ち上がろうとする。 「おい?」 「あっちの席行かない? 2人っきりがいい」 店の奥のボックス席を顎でしゃくる暁生に、隼人も黙って頷いてあとに続く。 その前に、マスターにウィスキーをロックでオーダーしておいてから。 「ごめんね、突然呼び出しちゃって」 並んで腰掛けると、暁生はそう言って半ば空になっている2杯目のグラスを持ち上げる。 「乾杯は隼人のグラスが来てからね」 「ああ」 そう答えてすぐに、店のギャルソンが隼人のグラスを運んできた。 「じゃあ…乾杯」 そう言って薄く笑いグラスを掲げる暁生に、隼人は黙って従うように自分のグラスを触れ合わせる。 乾いた音と微かな苦味が、久しぶりの酒の味を思い出させていく。 そういえば水都と暮らすようになってから、こうして飲みに行くこともめっきり減ったな…と苦笑する隼人に、暁生が少しのためらいを見せながら声をかけた。 「好きな人…いるの?」 突然そんなことを聞いてくるのに驚き、なぜだと問い返せば無言で俯いてしまう。 「恋人と何かあったのか?」 他に恋人が出来たから別れると言い出したのは、暁生からだった。 その頃にはもうフラレることにも慣れていたし、無理に引き止めるつもりもなくあっさりとそれを承諾した。 「……何にもないよ。だって、他に恋人が出来たなんて嘘だもん……」 手の中でグラスを弄びながら答える暁生を驚いて見やれば、何かを我慢するようにかみ締めた唇が痛々しい。 「嘘だよ…全部ウソ。好きな相手が出来たってのも、その人と付き合い始めたっていうのも…全部、隼人の気を引きたかったからだよ……」 「暁生……?」 「俺は、本気で隼人が好きだった。だから最初は遊び半分で声をかけてくれたのでも、すごく嬉しかった。こうやって一緒にいて、時々抱いてくれるのが嬉しかった。だけどさ…隼人はいつまで待っても、俺を見てくれなかった。だんだんそれが辛くなってきて…だから、あんなこと言ったんだ。もしかして引きとめてくれるかもしれないなんて、そんなことあるわけないのに期待したりしてさ…バカみたいだけど……」 そんな暁生の言葉に、隼人は凛を好きだった頃の自分を思い出す。 「……すまない。気付いてやれなくて……」 「それだけ隼人の心に俺はいなかったってことだよね……」 違うと言い切れず答えられない隼人に、暁生は手の中のグラスを一気に煽った。 「やり直せない?」 「え?」 「俺のこと、今度はちゃんと好きになってくれない?」 どこか必死でそう訴えてくる暁生に、隼人は切り裂かれるほどの胸の痛みを感じながらも、頷くことができない。 「……好きな人、いるの?」 また同じ問いを繰り返す暁生に、隼人は黙って頷いた。 「……俺と付き合っててくれた頃に好きだった人?」 それには小さく首を振る。 凛にフラレて、傷心でこの街を彷徨っているときに出会ったのが暁生だった。 どこか凛に似た面差しに、気付けば声をかけていた。 ずっとずっと、暁生の中に凛を見ていた。今こうして改めて向かい合えば、そんな影など何一つないとわかるのに。 「すまない……」 ただそれだけしか言えない隼人に、暁生はゆっくりと言葉を綴る。 「今夜は帰さないよ。一晩だけでいいから俺に付き合ってよ」 「暁生?」 「それで忘れる…二度と連絡もしない。隼人の携帯番号、消去する」 有無を言わさない強い口調に、それでも隼人は小さく首を振って暁生のそばから離れるように距離を置く。 「出来ない……。そんなこと、出来るわけないだろう?」 「好きな人に義理立てしてるの? その人、恋人なの?」 それにまた隼人は首を振る。 「だったらいいでしょ? 一度だけ…最後にもう一度だけ俺を抱いてよ。それで本当にお終いにするから……」 「暁生……」 なぜこんなにも必死になるのだろうかと思う。 好きな相手を忘れるための手段は確かに人それぞれ違うだろう。だがそう思っても、こんなふうに気持ちをぶつけてくる相手に出会ったのは初めてで戸惑ってしまう。 「俺ね…遠くへ行くんだ。すっごいお金持ちの人に望まれて、その人について行くの。俺の親、小さな会社をやってたんだけどもう首が回らないくらい借金がすごくて…俺がその人のものになれば、全額、返済してくれるんだって。今時そんな気前のいい人いないよね。普通じゃないって分かってて、すごい乗り気なんだよ…それも変な話だよね。俺の気持ちなんて、一切無視でさ」 自嘲まじりにそんなことを言って、暁生は手付かずだった隼人のグラスを掴んでまた一気に煽る。 「いい人だよ…今時珍しいくらい純粋な人でね、こんな手段で俺を縛り付けてごめんっていつも泣くんだ。それでも、俺を好きだって言ってくれるんだ。俺がいいんだって…そんなこと。俺には好きな人がいるから、心はあげられないって言っても、それでもいいって……」 そう語る暁生の瞳から涙が落ちる。 それをそっと拭ってやり、隼人は優しく暁生を抱きしめた。 「……そんなことをしたら、おまえは一生消えない傷を負うぞ」 「そんなことない……」 「一緒にいて、いつかその相手を好きになった時、絶対に後悔する。だからやめておけ」 「そんなことないって……!」 叫ぼうとする暁生を胸に抱きこみ、違うと耳元に優しく囁きかける。 「おまえは、もう分かってるはずだ。自分の気持ちがどこにあるのか」 それに暁生は激しく首を振る。 「おまえが望むなら一晩中でも付き合ってやる。でもそれはベッドの中じゃない…こうして、そばにいるだけだ」 「…………」 こらえきれない嗚咽が聞こえたと思った刹那に、隼人の腕の中で暁生が泣き喚く。 まるで幼子をあやすようにそれを受け止め、隼人はただ暁生をずっと抱きしめ続けた。

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