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第21話

泣き続ける暁生を優しく抱きしめ、髪を撫で、気持ちが落ち着くまで待った。 「大丈夫か?」 ようやく少しだけ顔を上げた暁生に声をかけると、また隼人の胸に顔を埋めてしまう。 それが恥ずかしさのためだと悟った隼人は、またそっとそんな暁生を黙って抱きしめた。 「でも一晩中ここにいるわけにもいかないし…どうする? 部屋でも取るか?」 それに暁生は小さく頷くものの、どこか不満そうな声をその胸でもらす。 「……でも、何にもしてくれないんだろ?」 「こうして抱きしめててやるさ」 「俺って…もう隼人にとって魅力ない?」 ギュッと胸元を掴む暁生の手が震える。 「……そういう意味じゃない。おまえを傷つけたくないだけだ」 諦めたのかと思ったのに、まだそんなことを言い出す暁生に隼人は小さくため息。 「わかんないじゃん…俺がその人のこと、いつか好きになるかどうかなんて。ずっとずっと心だけは隼人のものかもしれないじゃないか……」 どこか拗ねたような暁生の声に、隼人は思わずクスッと笑みをもらす。 「なに笑うんだよ?」 「……あのな、おまえはその人と一緒に遠くへ行くんだろう?」 それに暁生は小さく頷く。 「もし本当に嫌な相手だったら、逃げ出すんじゃないか? 俺にこんなふうに縋ってくるんじゃなくて、連れて逃げて欲しいって言うんじゃないか?」 「……だって、そんなこと……」 「少なくとも、俺と付き合ってた頃のおまえならそう言ってたぞ」 「俺だって成長したんだよ。大人になったんだ。……そんなこと言ったって、隼人を困らせるだけだってちゃんとわかってる……」 そんな暁生の髪を優しく撫で、隼人は宥めるようにその背をポンポンと軽く叩いた。 「……やっぱり、だめなんだ?」 どれほどかの沈黙の後でポツリと呟く暁生の顔を上げさせ、隼人は真剣な瞳を向けながら頷いた。 「確かに俺の片思いだ。この気持ちがあの人に届くことなんてないことも分かってる。それでもな…あの人を好きだと思う気持ちのまま、おまえを抱くことは出来ない」 「…………」 「いい人なんだろう? 信じてみろ、おまえを大切だと思ってくれるその人の気持ちを」 それに暁生はまだどこか迷いを残したような瞳を向けながらも、小さく頷く。 「……でもその人も見る目があるじゃないか。おまえをそんなにも思ってくれるなんて」 ホッとしたようにそんなことを言う隼人を、今度は暁生の拗ねたような瞳が見返してくる。 「今更そんなこと言わないでよ。また期待したくなっちゃうじゃない」 「そりゃ悪かったな」 「もう……」 そうしてまた、ドスンと隼人の胸に顔を埋める。 「一晩中じゃなくていいからさ…もう少しだけ、こうして抱きしめててよ。そしたら俺、あの人のところへ行くから」 「わかった。おまえの望むだけこうしててやる」 そっとそっと髪を撫でてくれる隼人の優しさに身を委ねながら、最後の涙が暁生の頬を流れ落ちた。 少しばかりの寂しさと安堵を抱えながら歩く街は、真夜中だというのにそれを感じさせないほどに人々が溢れかえっている。 結局あの後1時間ほどで、暁生はどこかすっきりしたように顔を上げ、最後には笑顔で席を立ったのだ。 『俺、隼人に会えてよかった。結果的に恋人にはしてもらえなかったけど…隼人に会えなかったら、あの人のことだって素直に受け入れられなかった気がするからさ』 差し出された手をしっかりと握り締めてやれば、嬉しそうな笑みを浮かべて引き寄せられ、不意のことにバランスを崩して唇を奪われた。 『最後のキス。これくらいは許してよ』 触れたかどうかもわからないほどに淡いキスに、隼人は苦笑しながらも頷くしか出来ない。 『どこに行っても、元気でな』 『それは大丈夫。隼人も元気でね』 『ああ』 『じゃあ…今夜はありがとう。俺、もう行くね』 いつまでも立ち止まっていたら、踏み出せなくなりそうだから…と、暁生は背を向けたきり一度も振り返ることなく、雑踏の中に消えて行った。 その姿をじっと見送り、消えていく背に幸せに…と呟く。 自分の腕をすり抜けていった相手が、幸せになろうとしている。それを素直に喜んでやれない自分に苦笑がもれる。 「心の狭い男だな…俺は」 そんな呟きに苦笑し、向かう先は凛と出会ったあの行きつけのバー。 「マスターにでも愚痴って、慰めてもらうかな……」 きっとまだ水都は帰っていないだろう。 それに、こんな気分を抱えたまま水都に会いたくはないから。 そして懐かしい店のドアを開ければ、いつものように店内は穏やかな雰囲気が満ちている。カウンターに向かい、そしてマスターと歓談する客に隼人は驚いた。 「凛?」 呼びかけに振り向いた凛が、穏やかな笑みを浮かべながらグラスを掲げて隣を促す。 「……なんだか久しぶりだな。どうしたんだ、こんな時間に?」 誘われるまま隣のスツールに腰を下ろし、凛と同じものをマスターに注文する。 「今夜は水都さんが大学時代の友人と飲み会だって言ってたから、久しぶりに出てきたんだ」 別に嘘は言っていない。水都が出かけているのは本当だし、暁生と約束したのもだからちょうどいいと思ったからだ。 「……今更俺がおまえの交友関係にとやかく言う権利はないが…その甘ったるい残り香だけは消してから帰れよ」 それに隼人はハッとした。 そういえば暁生の愛用しているコロンは、ほのかな甘さを含んでいたことに。 「誰かと一緒だったんだろ?」 特に責めるわけでもない凛の口調に、隼人はため息まじりに小さく頷く。 「だからって別に、やましいことはしてないぞ。この移り香だって、そいつが泣くのを慰めてたからで……」 必死に言い訳をしてしまう自分を滑稽に思いながら、差し出されたグラスを取って一気に煽った。 結局暁生と一緒だった時には、まともに1杯も飲めなかったから。 「泣かせるような相手だったのか?」 それに小さく首を振り、隼人は凛に簡単に暁生のことを説明した。 「おまえもあいつも…俺のもとから離れて幸せになっていくんだよな……」 「おまえの赤い糸は別の相手に繋がってるってことだ。たとえば、兄貴とかな」 軽い口調でそう言う凛に、正直言えば胸が痛んだ。 今も、水都の瞳の中に自分への特別な感情は読み取れない。 ただそばにいると決めたのに、水都の悲しい気持ちを受け止めてやると決めたのに、時々それが辛くなる。 「……でも、水都さんの赤い糸が繋がってるのはきっと、俺じゃない……」 自嘲気味に呟き、隼人はグラスの底に残った僅かな酒をまた一気に飲み干した。

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