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第23話
関谷との付き合いは順調だった。
まだ答えは出ないのか何も言ってはくれないけれど、昼間は店に客としてやってきて、週末の1日を一緒に過ごす時間がどれほど過ぎただろうか。
「水都さん、出かけるの?」
「あ、うん。そんなに遅くはならないと思うから、夕食はちゃんと作るから安心してて」
玄関を出て行こうとする水都に隼人が声をかけると、そう言って笑う。
「俺のことは気にしなくていいから…楽しんできてね。デートなんでしょ」
精一杯の笑顔でそう聞けば、水都は恥ずかしそうに頬を染めて小さく頷いた。
「……でもまだ、答えはもらってないんだけどね。それにデートって言ったって、映画見たりご飯食べたりするだけだよ」
まるで言い訳のようにそう続ける水都に、隼人は曖昧な笑みを向ける。
出かけるのはいつも日曜日。翌日は仕事があるからなのか、確かに朝帰りをするようなことは今までに一度もない。
それどころか、本当に大人同士のデートなのかと疑いたくなるほどに帰りはいつも早い。
「そうなんだ。……ともかく、気をつけて楽しんできてね」
「ありがとう。じゃあ行ってきます」
その笑顔が胸に痛い。
軽やかな足取りで玄関を出て行く水都を見送り、隼人は自室に戻ると、この数日ずっと胸の中で考え続けていたことを吐き出すかのように、携帯に凛の番号を呼び出した。
「俺…今、大丈夫か?」
『ああ。どうしたんだ? 珍しい』
寝起きなのか、少ししゃがれた声が気だるげに響く。
最後の冬休みを迎えた年下のワン公が遊びに来ているのかと思ったが、それはあえて口にせず、要件のみを告げた。
「俺…ここを出て行こうと思う」
唐突にそう告げた隼人に、電話の向こうで凛が驚いているのが空気だけで伝わってくる。
『って、おまえどうしてそんな突然……』
「水都さんはもう俺がいなくても大丈夫だよ。特別な相手がいるみたいだしな」
『兄貴がそう言ったのか?』
やはり驚いたように聞いてくる凛に、隼人は見えるはずもないのに小さく首を振った。
「いや…はっきりとそう聞いたわけじゃないさ。俺にはその相手の話も一切しないし。ただ…今朝ちょうど出掛けの水都さんにさりげなくカマかけてみたら、デートってのには頷いたから」
『…………』
「まだ次の部屋が決まったわけじゃないし、水都さんにも何も言ってないから今すぐってわけじゃないけど…おまえにだけはちゃんと言っておかなきゃって思って。悪かったな、突然」
『ちょっと待ってくれ隼人。これから会えないか?』
なにやら焦ったような空気が電話の向こうから伝わり、凛が大急ぎで仕度をしている様子が目に浮かぶ。
「会うって…どこでだよ?」
『どこでもいい。ああ…そこから10分くらいのところに24時間のファミレスがあっただろ? そこでどうだ』
「え? おまえこちらにいるのか?」
『ああ。とにかく30分後には行くから、話はその時に聞く』
そして隼人の返事を聞かずに電話は一方的に切れた。
「ワン公が遊びに行ってるんじゃなくて、おまえが来てたわけか……」
無機質な発信音のみを残した携帯に苦笑しながらそんなことを呟き、隼人は深呼吸をしながら窓辺に寄って晴れ渡った空を見上げる。
心を開いて、笑顔を向けてくれる水都への思いはどんどん深くなっていくばかり。
水都が出て行けと言うまでは、それらしいことをほのめかすまでは、そばにいようと決めたけれど……
「切ないよ、水都さん。あなたの心にあいつがいるだけなら我慢できたけど……」
呟いて視線を落とし、諦めたような笑みをこぼして仕度をしようと窓辺を離れた。
30分後には行くと言った凛に合わせ、隼人は眩い青空の下を重い足取りで歩いていく。
突然過ぎたかと僅かばかりの後悔が胸に浮かんで消える。
だがこれ以上我慢を重ねていれば、いつかきっと、水都を傷つけてしまう。
それならば、やはり早いうちに見切りをつけたほうがいいと思い直し、たどり着いたファミレスのドアをくぐった。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
にこやかな笑顔で聞いてくる店員に小さく首を振り、凛がもう来ていないかと店内をざっと見回す。と、どこか落ち着かない様子で窓辺の席に腰掛ける凛を見つけた。
「連れがあそこにいますので」
そう断って窓辺の席へと向かえば、凛の前に置かれたカップはすでに空だ。
「悪い、待たせたか?」
向かいに腰掛けながら声をかければ、凛は驚いたように隼人を見つめてくる。
「ああ…いや、俺が早く来すぎただけだ」
慌てたようにそう言ってカップを持ち上げ、すでに空になっていることに気付いてまた下ろす。
そんな凛に、隼人は思わず笑ってしまう。
「おまえのそんなに動揺した姿見るの、もしかして初めてかもな」
「…………」
「年下のワン公とはうまくいってるみたいじゃないか?」
「―――そんなことより」
からかうような口調の隼人の言葉を遮ったとき、先ほど入口で声をかけてきた店員が注文を聞きに来た。
「コーヒーを。こちらにはおかわりで」
「かしこまりました。すぐにお持ちしますので」
先ほどと同じにこやかな笑顔でその場を辞した店員に、凛はホゥと小さく息を吐く。
「……今の店員に感謝だな。こんなところで大声を上げて話すことじゃない」
苦々しげに呟く凛を黙って見つめ、隼人はお冷のコップを両手で包み込む。
「こんなにも…あの人を好きになるなんて、考えてもいなかった……」
「隼人?」
「あの人のそばにいてやるのが俺じゃなくてもいい日が来るなんて……」
コップを包み込んだ大きな両手が、微かに震えている。そんな隼人に、凛は水都への強い怒りを感じずにはいられない。
もちろん、誰が誰を好きになろうとそれは自由で、誰かが強制できることじゃない。
一緒に暮らしているからと言って、水都が隼人を好きにならなければならない義理はない。
それでも…だ。それでも、この仕打ちはひどすぎると凛は思う。
「これから部屋を探すのか?」
「ああ。引越し先がちゃんと決まったら、水都さんにも話そうと思ってる。俺がいたんじゃ、恋人をあの部屋に呼ぶことも出来ないからな」
儚い笑みを浮かべる隼人に、凛は何もできない自分が歯がゆくて拳を握り締めた。
「……すまない、隼人。俺がこんなこと頼まなければ、おまえが辛い思いなんてしなくてすんだのに……」
「それは違うぞ、凛。最終的に決めたのは俺だし、俺が勝手に水都さんを好きになったんだ。あの人もおまえも、何も悪くない」
「でも……」
と、隼人のコーヒーと凛のおかわりが運ばれ、2人の間に一瞬の沈黙が落ちる。
「……決心は固いのか?」
一縷の望みを託すように聞いてくる凛に小さく頷き、隼人はそれきり無言でカップに口を付けた。
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