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第25話
マンションに帰り着いたときの水都は、まるで心ここにあらずといった感じだった。
「水都さん? 何かあったの?」
出迎えた隼人に歪んだ笑みを見せ、何でもないと小さく首を振ってさっさと自室へ向かう。
喧嘩でもしたのだろうかと不安になり、だがそれを聞くことは出来ない自分が情けない。
と、着替えを済ませた水都がすぐにリビングへと姿を見せ、隼人の向かいに腰掛けた。
「……振られちゃった」
隼人が声をかけようとするより一瞬早く、水都がそう言ってどこか切ない笑みを浮かべる。
「ううん、振られたわけじゃないかな。僕と彼の間には最初から、恋愛感情なんてなかったらしいから」
そんな水都の言葉の意味が、隼人には分からない。
好きだから付き合い始めたのではないだろうか?
一途に健志を思い続けていた水都が、寂しさを埋めるためだけの付き合いをするとは思えない。
「水都さん……?」
「自分の気持ちが分からない……。また一人になりたくなかったら考えろって彼は言ったけど……」
「…………」
水都へと向かう己の邪な思いをその相手に知られたわけでもないのに、凛にしか告げていない決心を知られたわけでもないのに、隼人の心は揺れる。
こんな時、以前の自分なら迷わずそばにいるからと言ってあげられたのに。
「どうしたらいいのかな…何を考えたらいいんだろう……」
今にも泣き出しそうに瞳を揺らす水都が切なくて、その細い体を抱きしめたい衝動に駆られる。
でも自分にその資格はない。
離れていかないとそう約束したくせに、己の心の弱さに負けて水都のそばを離れようとしている自分には。
「何もかもわかんない……」
力なく呟くその瞳から、こらえきれなかったのか涙が落ちる。
「……ごめん、水都さん」
居たたまれず隼人が席を立とうとしたとき、玄関のチャイムが響く。
「誰だ……?」
この部屋に来客があることなど稀だ。それこそ宅急便やらセールスくらいのもので。
「僕が行くよ」
ごしごしと目元を拭って無理な笑みを浮かべる水都に、隼人は自分が行くからと腰を上げかけたとき。
鍵の開く音に思わず顔を見合わせ、続いてこちらへと向かってくる足音に揃ってドアを見た。
すぐに開いたそこから顔を見せたのは、どこか強張った表情の凛。
「凛……?」
「突然ごめん、兄貴。ちょっと隼人借りてくよ」
そうして足早に隼人へと歩み寄り、その腕をグッと掴んで立ち上がらせようとする。
「ちょ…凛!?」
「ここで話していいのか?」
真剣なその瞳に、隼人はグッと言葉を詰まらせて小さく息をつくと、ゆっくりと立ち上がった。
「ごめん水都さん……。ちょっと凛と出かけるから、晩飯いいや」
「え……?」
どこか思いつめたような隼人の切ない笑みと、苦しげな凛の表情。
しっかりと隼人の腕を掴んだままの凛の手から、視線が外せない。
まさか……そんな思いが瞬間、水都の胸をかけた。
自分の知らないところでいつの間にか、2人はまたよりを戻したのだろうか?
隼人はこの部屋を出て、今度は凛と一緒に暮らすのだろうか?
「そんなに遅くならないとは思うけど…じゃあ」
凛に促されるようにリビングを出て行く隼人の後姿に、縋りたいのに縋れない。
ゆっくりとソファから立ち上がり、玄関の閉まる音を聞いて力なく再びソファに身を落とす。
全身が震えた。
もしかして、もう隼人はここへ戻ってこないんじゃないかという恐怖が駆ける。
「……いやだよ、隼人さん……」
無意識にこぼれ落ちる呟きと涙。
「僕をひとりにしないで……」
そばにいてくれるのが当たり前になりすぎて、その存在にこんなにも寄りかかっていたのかと今更に思い知らされる。
「お願い…僕のそばに戻ってきて……」
キリキリと痛む胸に、溢れる涙が止まらない。
「隼人さん……」
その場に泣き崩れながら、水都はただそれだけを繰り返し呟き続けた。
「……すまなかったな、突然」
エレベーターを待つ間に、凛はようやく掴んでいた隼人の手を開放した。
「いや…ちょうど俺も、あの部屋を出る口実を探してたから」
目の前で泣く水都を見ているのが切なくて、でも何も言ってやれない自分が情けなくて。
「やっぱり…気持ちは変わらないか?」
凛がそう問いかけた瞬間、目の前のエレベーターが開く。
それに揃って乗り込み、凛が1階のボタンを押す。
「……ああ」
扉が閉まり、ゆっくりと動き出すエレベーターの中で隼人は小さく呟いて頷く。
「決心が固いなら、早いところ出て行ってやってくれないか」
早口にそう言ったあと、凛はまるでそれを後悔するように軽く唇をかみ締めて俯いてしまう。
「……すまない。自分勝手なことばっかり言ってるのは十分承知してるんだ……」
搾り出すような苦しげな声に、隼人は小さく首を振る。
「でも……迷ってもいるんだ」
「え?」
思いがけない隼人の言葉に、凛は驚いたように顔を上げた。
「さっき、帰ってきた水都さんが言ってた。振られたんじゃなくて…最初から恋愛感情なんてなかったって。でも、水都さんがそんな付き合いをするなんて俺には信じられないんだ」
「そう…だな」
「だから、せめてその意味が分かるまであの人のそばにいようかって」
「隼人……?」
「気持ちが変わったわけじゃない。でも…今あの人を放り出したら、後悔すると思うんだ」
ゆっくりとエレベーターが止まり、扉が開く。
「ここを出たら、もう二度と水都さんには会わないつもりだから……」
そう呟いて、隼人は一歩を踏み出した。
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