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第26話

休日に水都が出かけなくなって1ヶ月。 表面的には穏やかに過ぎていく毎日に、だが隼人はいつも重苦しい思いを抱えていた。 そんなある日曜日。 「ねえ隼人さん、健志のお墓参り行きたいんだけど、連れて行ってくれる?」 いつものように朝食を終えた後、突然水都がそんなことを言い出した。 「あ、ああ…構わないけど」 「よかった。急いで準備してくるね」 ホッとしたように笑顔を向けてくる水都に、隼人は胸が痛む。 健志の墓参りは決まって月命日の18日なのに、どうして突然そんなことを言い出したのかが分からない。 いや、別に他の日に行くのがおかしいというわけではないのだが…… 「おまたせ。途中で花を買って行きたいんだけど、いいかな」 「……ああ、分かった」 恋愛関係のなかったという相手と別れて以来、初めてといってもいいほどの安らいだ笑みを浮かべる水都にホッとしながら、隼人は車を走らせた。 いつものようにたどり着いた墓地で、いつものように水都は一人健志の下へと向かう。 「ちょっと早いけど…今日はね、健志にちょっと聞いて欲しいことがあって来たんだ」 花を供え、両手を合わせてお参りをした後、水都はその場にしゃがみこんでそう言葉を発した。 「僕ね…関谷と付き合ってたんだ。ほんの偶然再会して、ずっとずっと気になっててさ…でもダメだったみたい。関谷に言われちゃった。自分たちの間に恋愛感情はないんだって。それからね、ずっとずっと考えた。どうして関谷がそんなこと言い出したのかって。そしたらね…いっぱい、いろんな事に気付いたんだ。今更遅いこともたくさんあるけど……ねえ健志、ぶつかってみてもいいと思う?」 何か強い決心を秘めた瞳が問う。 「ずっと、一杯考えて僕なりに出した答えを…ぶつけてみてもいいと思う?」 それに当然答えはない。だが、墓石をじっと見つめていた水都は、健志から何か答えを得たように小さく微笑み、深呼吸をしてゆっくりと立ち上がった。 「……ありがと。また来るね、健志」 そして戻った駐車場では、いつものように隼人が車にもたれて手持ち無沙汰に待っていてくれた。 「ごめんね、遅くなっちゃって」 慌てて駆け寄れば、ハッとしたように微笑んで小さく首を振る。 「もういいの? 水都さん」 「うん。言いたいことは言ってきたし、聞きたいことの答えもくれたから」 「……そう」 寂しげに呟いて運転席へと乗り込む隼人に頷き、水都もまた助手席へと乗り込む。 「隼人さん……」 もう間もなくマンションへと帰り着く頃、それまでずっと押し黙っていた水都がふと声をかけてきた。 「話があるんだけど……」 何かを秘めたその声に、隼人は咄嗟に聞きたくないと思ってしまう自分に苦笑する。 「うん…俺も、水都さんに言わなきゃいけないことがあるから……」 そしてそれきり重苦しい無言を乗せ、車はマンションの駐車場に帰りついた。 「コーヒーでいい?」 リビングのソファに腰掛ける隼人に、水都はさっきまでの重苦しさが嘘のように明るく声をかける。 「……うん」 隼人の答えを待たず準備にかかる水都の姿に痛む胸を隠すよう、隼人は重いため息をつきながらグッと拳を握り締め、床を睨みつける。 いつまでもこのままじゃいけないと思い始めたのは、少しずつ水都が笑顔を取り戻しだした頃。 こうして2人でいることに安らいでしまったら、きっと自分はここから動けなくなってしまうから。 「お待たせ。ねえ隼人さん…あなたも僕に話しがあるって言ったけど、僕から話してもいい?」 向かいのソファに腰掛け、隼人の前にカップを差し出しながら水都が問う。 「え…えっと……」 「勝手にごめん。でも、隼人さんの話を聞いたら…きっと、何も言えなくなる気がしたから……」 「…………」 気付かれていたのかと、隼人は驚いて水都を見つめる。 水都はそんな隼人の視線を感じているのかいないのか、僅かに視線を落としたままコーヒーカップを持ち上げ、ゆっくりと口元に運ぶ。 そして、ひとつ深呼吸をした後で言葉を発した。 「僕の付き合ってた相手ね…大学時代の友人で、もちろん健志とのことも知ってる人だった。マスターから譲り受けたあの喫茶店の常連だったらしくて、ずっと海外に行ってたのを戻ってきたから来てみたって言って…本当に久しぶりに再会したんだ」 一度言葉を切り、気持ちを落ち着けるようにまたコーヒーを一口飲んで言葉を繋ぐ。 「嬉しかった。嬉しくて舞い上がって…それを勘違いしてたのかな。自分たちの間に恋愛感情なんてなかったって言われて、考えろって言われて、今日までずっと僕なりに考えた。何が悪かったのか、僕の何が彼にそう思わせたのかって」 黙って水都の言葉に耳を傾けていた隼人は、その後に続けられるだろう言葉に思わず緊張してしまう自分を感じ、ゆっくりと詰めていた息を吐く。 「……僕たちの間に、特別な関係なんて一度もなかった。好きあって付き合ってる大人同士がさ、キスのひとつもしないなんて…そんな恋愛、隼人さんはどう思う?」 突然むけられる問いに、隼人は戸惑うだけで何も答えられない。 「そういう気持ちが、全然なかった。ただ一緒にいるのが楽しくて、それだけだった。彼はそれが気に入らないのかなって思ったけど…そうじゃなかったんだ。そうじゃなくて、全部僕が悪かったんだ。僕の気持ちそのものが、彼のところになんて本当はなかったから……」 「水都さん?」 ポロポロと水都の瞳から溢れ落ちる涙に戸惑う隼人に、ゆっくりと顔を上げた水都がまっすぐな視線を向けてくる。 「一人になりたくないからじゃない……。僕はもう、一人でも大丈夫。ちゃんと立って、歩いて行ける。だからね隼人さん…同情なんかじゃなくて、本当の事を聞かせて。このまま僕とここで、一緒に暮らしてくれる?」 思いがけない水都からの問いに、隼人は一瞬言葉に詰まった。 自分が水都に話さなければならないと思っていたそれを、先に言われてしまったのだから。 「俺は……」 「……凛と、よりが戻ったの?」 切なげに問う水都に、隼人は大きく首を振る。 「それはないよ、水都さん。あいつにはもう、揺ぎ無い相手がいるんだから」 そして小さく息を吐き、隼人もまたまっすぐに水都を見つめて言葉を綴る。 「俺もずっと考えてた。あなたがその人と付き合い始めてからずっと…いつまで俺は、ここにいていいんだろうって。他の誰かと付き合うあなたを見るのが、正直辛かったんだ。だから、出て行くつもりだった。でもあなたは、その人と恋愛関係にないってそう言ったから…それがどんな意味なのか、それだけ知りたかった……」 正直に胸の内を告げ、まるで重い荷物を下ろすように隼人はゆっくりと息を吐く。 そして、水都の返事を待つように微かに俯き、手付かずだったコーヒーカップをそっと取り上げた。

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