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第27話
沈黙だけが過ぎていく。
以前ならこんな時間を重苦しく感じることなどなかったのに…そう思うほど、やはりここにはいられないと隼人はそう思う。
「……ここを出て行こうと思ってるんだ」
沈黙の重さに耐え切れずそう言葉を発した隼人に、水都はどこか切なげな目を向けた。
「僕と一緒にいるのが嫌だから……?」
それに隼人は小さく首を振る。
「そうじゃない…水都さん。さっきも言ったけど、あなたがその人と付き合い始めたときからずっと考えてたことなんだ。その時は、俺なんかが一緒に暮らしてたらその人に申し訳ないからって気持ちだったけど……」
今は違う。
さっきの水都の言葉の中に感じてしまった、自分に都合のいい思い。
水都はそんなつもりなどないかもしれないのに、きっとそばにいたら、大きくなりすぎたこの思いを持て余す自分が、水都に何をしてしまうか分からないから。
「次の部屋が決まり次第、ここを出るよ。今までありがとう…水都さん」
すっかり空になったカップをテーブルへと戻し、隼人は水都に小さく頭を下げてソファから立ち上がった。
「コーヒー、ごちそうさま。これからちょっと出かけるから、飯はいらない」
俯いたまま顔を上げられずそう告げる隼人に、水都もまた行かないでと引き止められない。
「……分かった。部屋が決まったら、早めに教えてね」
精一杯の強がりでそう答え、水都もゆっくりと立ち上がってカップを片付けるため、キッチンへと向かった。
形ばかりに不動産屋を訪ね、一人暮らしのための部屋を探す。
引越し先の部屋など、どんなところでもよかった。
どんな部屋だって、今ほど心地いい場所はきっとないだろうから。
凛に水都との同居を持ちかけられた時、まさかこんなに好きになるなんて思ってもいなかった。
いつか水都が健志を忘れ、新しい恋人とやり直す時が来たら、笑ってあの部屋を出て行けると思っていたのに。
何件かの不動産屋を回り、だがどれにも決断できないまま、また来ますと言葉を濁して当てもなく歩き、たどり着いたのはふと目に付いた大きな公園。
「バカだな…俺は」
休日の午後といってももう夕方に近いこの時間、他に人の姿はなく、隼人は手近なベンチへと腰を下ろしてそんな呟きがもれる。
少しずつ心を開いてくれた水都に恋心を抱いてしまった時に、決断するべきことだったのだ。
それを今までずるずると先延ばしにして、取り返しの付かないところまで引きずってしまった自分が悪いのだと、自分を責めてももう遅い。
俯いた顔を上げられず、水都の表情は分からなかったけれど…微かに揺れていたその声に、泣かせてしまったのだとまた自分に嫌気がさす。
こんなふうに、こんな形で水都を傷つけたくなどなかったのに。
「最低だ…俺は」
薄闇のかかり始めた公園のベンチで、隼人は大きなため息をつきながら自嘲気味に呟いた。
2人分のカップをキッチンへと運び、水都は言いようのない悲しみが胸にこみ上げてくるのを感じていた。
すべて自分が悪い。それは分かっている。
今までずっと隼人の優しさに甘えていたことへの罰なのだと、そう思った。
微かに聞こえた玄関の閉まる音に、ビクリと全身が震えた。
いつかこうして、隼人はこの部屋を出て行く。そしてもう二度と戻っては来ない。
すべて自分が招いてしまったことなのに、その日が来るのが怖くてたまらない。
「隼人さん…お願い行かないで……」
そう素直に縋ることができたらどんなにいいだろうか。
でもこれ以上、自分のわがままだけで隼人を傷つけるわけには行かない。
隼人には隼人の人生があり、運命の相手がいるのだろうから。
「泣いちゃだめだ…水都。隼人さんの前ではちゃんと笑わなきゃ。一人でも大丈夫だって言ったのは自分じゃないか。これ以上あの人を繋ぎ止めちゃダメなんだよ」
自分の腕でしっかりと自分を抱きしめ、まるで言い聞かせるようにそう呟く。
それでも後から後から溢れてくる涙が止まらない。
飯はいらないと言った隼人の言葉が、今はありがたかった。
このままこの場所から動けなくなってしまいそうな錯覚に襲われながら、水都はただただ泣き続けた。
今だけだから…今だけは泣いてもいいからと自分に言い聞かせて。
玄関のドアの前で、凛は気持ちを落ち着けるように深呼吸を繰り返す。
もう使うことなどないだろうと思っていた合鍵に苦笑しながら、ドアを開ける。
「兄貴?」
隼人から連絡をもらったのは、ついさっき。
もしこちらへ来ているなら、水都のそばにいてやって欲しいと言われてやってきた。
そしてキッチンで泣きながら蹲る水都のそばにしゃがみこみ、そっとその背を撫でてやる。と、驚いたように顔を上げた水都がその瞬間にくしゃりと表情を歪め、凛の胸に飛び込んでくる。
「隼人さんが…出て行っちゃう……」
「……ああ。聞いた」
「僕のせいで…僕が隼人さんを傷つけた……」
違うと言えない自分が情けなくて、凛はか細く震える水都をそっと抱きしめながら唇をかむ。
「いつだってそばにいてくれたのに…いつだって僕のことを大切にしてくれてたのに。僕は、勝手に他の相手を好きなんて思い込んで…本当に一番大切な人を置き去りにして……」
たくさんの後悔を口にする水都の背を優しく撫で、凛は隼人がここを出て行くと聞いてからずっと考えていたことを口にした。
「もう一度俺がここへ戻ってくるよ」
「―――え?」
ゆるゆると顔を上げた水都が、驚いたように凛を見つめる。
「でもおまえ…仕事……」
「新しい就職先を探すよ。決まるまでは兄貴の世話にならなきゃいけないけど」
それに水都はか弱く首を振り、凛の体をそっと押しやる。
「ダメだ…そんなことしちゃダメだ、凛。僕は大丈夫だから、一人でもちゃんと生きていけるから」
「でも……」
「その強さを、隼人さんがくれた。もう僕のために誰かを傷つけたくない。迷惑をかけたくない。だから凛、僕のことは心配しなくていいから……」
「…………」
涙を拭いながら、水都は自嘲気味な笑みを浮かべる。
「なんて、こんなふうにおまえに縋ってて説得力もないけど……でも本当に、僕は大丈夫。健志を失った時とは違うよ。僕は一人じゃない、たくさんの人たちが周りにいてくれるってちゃんとわかったから」
その強い瞳に、凛はホッと安心しながらもう一度そっと水都を抱きしめた。
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