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第29話

翌日、逸る気持ちを抑えられず朝早くから目覚めた隼人は、まだ開店前の喫茶店の駐車場へと車を乗り入れ待った。 どうしても、水都が一人きりのときに話をしたくて。 かといって、マンションへと押しかけていく勇気などない。 運転席のシートをリクライニングさせて悶々と考え込んでいると、コンコンと窓をたたく音。 そちらへと視線を流せば、昨日と同じ笑みを浮かべた水都がそこにいてまた驚いた。 「早いね、隼人さん。まだお店は開けないけど、もしよかったら中に入ってて」 慌てて窓を開けると、そんなことを言い置いて店へと向かっていく。 店の入口の鍵を開け、招き入れるようにドアを大きく開け放つ水都に、隼人は車を降りると足早に店へと向かい、そのドアをくぐった。 「昨日はごめんね、せっかく来てくれたのに追い返しちゃったみたいで」 「あ、いや……仕事中だったのは本当だし、あなたがそう言ってくれなかったら次の商談にも間に合わなかったかもしれないから」 促されるままカウンターの席に腰掛け、忙しそうに立ち働く水都をじっと見つめた。 「でも驚いた。突然隼人さんがいるんだもんな」 「……ごめん」 「え、どうして謝るの? ビックリしたけど嬉しかったんだ。久しぶりに会えたから」 そうして目の前に差し出されたのは、水都に会いに行こうと思ったきっかけを作ってくれたあの野菜ジュース。 「これね、メニューに載せてみたら結構評判よくって驚いちゃった」 「……そうなんだ」 差し出されたジュースを飲み、やはり水都の味だと苦笑がもれる。 「昨日の子は…バイト?」 「あ、昨日も来てくれたの? うん…ちょっと一人で切り盛りするのは忙しくなってきちゃったから。バイト募集したら来てくれたし」 「商売繁盛。いいことだよ、水都さん」 「そうかな。ありがとう」 こんなふうに、半年前と変わらず言葉を交わせるなんて思っていなかった。もっと重苦しい雰囲気に包まれて、一言も何も言えないかと思っていた。 それにホッとすると同時に、もしかして水都はもう自分のことなど何とも思っていないからなのではないかと隼人は思う。この半年の間にいい相手を見つけて、その人と幸せでいるから、気持ちが落ち着いているのではないかとも。 「あの…水都さん」 「朝ごはんは? もうちょっと待ってもらえれば簡単な食事は出せるんだけど」 まるで隼人が何かを言おうとするのを遮るかのように、水都は早口にそう言ってカウンターの中で背を向ける。 「あ、うん…でも申し訳ないかな。開店前に押しかけてるのに」 「そんなこと隼人さんが気にしないで。僕がやりたいんだから」 「ありがとう……」 とりあえずその好意に甘えることにして、隼人はそれ以上を言わず黙って野菜ジュースを飲みながら待った。そして水都もまた沈黙のまま隼人の朝食を作る。 でもその空気は妙に穏やかで、2人ともが以前のような感覚を味わっていた。 場所は違えど、もう一度あの頃に戻れるのじゃないかとそんなことを考えてしまう。 「おまたせ、隼人さん」 そう言って差し出されたのは、まだ一緒に暮らしていた頃、水都が休日の朝に作ってくれたメニュー。 「水都さん……」 一度は萎えそうになった勇気を振り絞り、また背を向けようとする水都を呼び止める。 「……あのバーに、来てくれてた?」 その問いに水都の瞳が微かに揺れる。それに隼人はやはりと安堵の吐息をつき、気持ちを落ち着けるように深呼吸をして言葉を続けた。 「一昨日、マスターがこれと同じ野菜ジュースを出してくれたんだ。時々来てくれるお客さんの奢りだって。水都さんだよね? それ」 縋るように見つめてくる隼人に、水都は小さく頷きながらごめんと口にする。 「迷惑だって分かってたんだけど…あの店しか、隼人さんとの繋がりがなくて……」 凛にさえ教えなかった新しいアパートの部屋。 「会いたくて…ううん、会ってもらえなくても、元気でいるのかだけでも知りたくて……」 早口に言葉を繋ぐ水都に、隼人は言いようのない嬉しさが胸に溢れてくるのを感じた。 「これ、受け取ってくれる?」 そして隼人が水都に差し出したのは1枚の名刺。 「俺が仕事で使ってるのだけど、これ…俺のプライベートの携帯番号だから」 会社から支給されている携帯番号の下に、ボールペンで書き込んだ番号をさして隼人が笑う。 「もし…水都さんが俺に会いたいと思ってくれたら…電話してくれるかな」 どこか遠慮がちにそう言う隼人に、水都はその名刺を受け取って頷いた。 「隼人さんは…もう僕に、会いたいとは思ってくれない?」 「え?」 だが水都はすぐに小さく首を振る。 「違うね…僕に会いたいと思ってくれたから、ここへ来てくれたんでしょう?」 縋るような眼差しが、そうだと答えてくれと訴えているようで…… 「……そうだよ。水都さんに会いたかったから、来たんだ」 最初の一歩を、水都が踏み出してくれたから。 見つめあう視線の奥に、水都の思いが見え隠れする。こんなふうに自分の気持ちも、水都に伝わればいいのにと思いながら、隼人はゆっくりと席を立つ。 「隼人さん?」 帰ってしまうと思ったのか、焦ったようにその名を呼ぶ水都に、隼人は小さく首を振ってカウンターの中へと回り込んだ。 「水都さんに会いたかった……ずっとずっと会いたかった。ずっとずっと好きだったから」 一息に言い切った隼人に、水都の表情が驚きに揺れる。 「隼人…さん……?」 まさかそんな言葉をもらえるなんて思っていなかった。 「あなたが好きなんです、水都さん」 まっすぐに水都を見つめてもう一度そう言う隼人に、涙が溢れ出す。 「あり…がとう……。嬉しい、あなたからそんな言葉もらえるなんて……」 慌てて涙を拭う水都に優しい笑みを向け、隼人はポケットを探ってハンカチを取り出して水都に差し出した。 「久しぶりの一人暮らしだけど、ちゃんと洗濯はしてるから」 それに水都が思わず笑みをもらすのに、隼人はホッとしたように一歩近付き、手にしたままのハンカチでそっとその目元に触れた。 「……僕も、隼人さんが好き……」 心からのその告白に、それを向けられた隼人もそして水都も恥ずかしそうに俯いてしまう。 「あ、えっと……」 だが先にその緊張を解いたのは隼人。 静かに右手を差し出し、不思議そうに顔を上げた水都を視線だけで促した。 「これから…よろしく。水都さん」 「……うん、僕のほうこそよろしくね。隼人さん」 しっかりと握り合ったその手は、未来への約束。 たとえ今は離れていても、その心はそばにいるからと、一人じゃないんだと互いに感じあうように。

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