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第9話-5

マシューは酒豪だ。彼が酔い潰れているところなんて一度しか見たことがない。今日も夥しい量の酒を胃に流し込んでいるが平気なのだろうか……。チャーリーは彼の飲む量を見て毎度心配になる。 「マシュー、そろそろ飲むのやめたほうが……」 「問題ない」 「ダメです。もうおしまいです」 n杯目のビールジョッキをチャーリーが取り上げると、彼は真っ赤な顔でしょんぼりとした。代わりにチャーリーは飲んでいたミネラルウォーターを渡すと一気に飲み干した。 「お前も高くて好きなもの食べていいから……」 「ダメです」 「厳しい。おれお前の主人なのに」 「仮に赤の他人だったら、好きなだけ飲めと促しますけど」 「はい……」 心なしか、彼は酒を飲むと素直になる。チャーリーは満足すると、じゃあそろそろ帰りましょうか、とマシューを引っ張って店を出た。帰ってからもう一杯だめ?ダメです。ダメなものはダメ。 ワープで魔法界に戻ると、いつも通りに賑やかな風景から一転無音の世界になった。建物の灯りは点いているため誰か住んではいるのだろうが、住人と鉢合わせることはほぼ皆無だ。一体魔法使いたちはいつ外に出ているのだろうか。それとも出不精が魔法使いの大多数を占めているのだろうか……。そんな事をチャーリーはいつも考えながら家に帰る。 「明日こそお出かけしましょうか?公園とかどうですか?」 「いつも芝生で昼寝するだけなのに」 「芝生で昼寝するのが良いんじゃないですか〜」 魔法界に戻ってからマシューは酔って猫みたいに体を擦り寄せてくるし、頬を膨らませたり何かを口ずさんだりしている。それを見ているとチャーリーも楽しくなってくる。気持ちが昂り、抱きしめたくなった。そうだ、抱きしめてやろう!もう周りに人は居ないし……。チャーリーがマシューを抱きしめようとした、その時だった。 マシューが急に歩みを止め、警戒態勢に入った。 「マシュー?」 「……誰だ?何か用か?」 周辺は静まり返ったままで、見回しても何かいるとは思えなかった。だが、勘の鋭いマシューが急に警戒し出したということは、何かいるのだろう。生まれながらの魔法使いは、同族の気配に敏感だ。 2人の前方、10メートルほどの所で黒い影が浮かび上がってきた。チャーリーはぞわっ、と全身に鳥肌が立つのを感じた。背丈はおおよそ170センチほど、抵抗できない恐怖感。アレだ。なぜここに? マシューに視線だけ寄越すと、彼は既に魔法を発動する寸前だった。敵から目を逸らさずに、頭から首にかけてオレンジ色の火花がパチパチと散っている。火花が散ると、いつでも火力高めの魔法をぶっ放せる。 「なぜここに居る。どうやって入ってきた」 すると、顔が見えない影にも関わらず、アレが笑ったように思えた。 『交渉に来たのです。わたくしを止めないでいただけませんか』 2人は仰天した。影が口を聞き、その声はまるで讃美歌のようだった。チャーリーは狼狽し、マシューを見た。彼は依然アレから目を離さずに口を開いた。 「止めないで、とは?捜査を打ち切れと?」 『ええ、その通りです。代わりに、この街からは手を引きます』 「他の街に行く、ということか?」 『ええ、そのつもりです』 「目的は何だ?なぜ殺す?」 『殺していません、これは福音です』 アレは美しい声とは対照的に、体をぐにゃぐにゃと不気味に歪ませた。どことなく楽しそうだった。 「福音?何を言っているんだ。お前がやっていることはただの殺人だ」 『これは必要なことなのです。それに、彼らは心地よいまま天に迎えられるのです。これ以上の幸せはありますか?』 話が噛み合わない。だが、情報を得られるまたと無い機会だ。マシューは続けて尋ねた。 「……それはお前の本体か?随分個性的なんだな」 『いぃえぇまさか。本体は動けないのです。だから影を借りているのですよ』 「……必要なこととは何だ?人を殺めてまでしなきゃいけないこととは?」 『食事、するでしょう』 「……?」 『あの子にも、ご飯が必要なのです』

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