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第354話
九条が今、あの日を思い出しているのが分かる。
そして祐羽にとっても忘れようにも忘れられない、あの日。
怪しい事務所で危機的状況に陥っていた所にやって来た九条は、相手を無惨にも凪ぎ倒し偶然とはいえ救ってくれた。
最後は蹴りを入れられてしまったが、それは自分が間に入ったからであって九条は悪くない。
あとから聞いた話では、蹴り入れる寸前で止めようともしてくれていたという。
2度目に会った時は、絶望の中で助け出してくれた。
けれど、九条の自宅で体を無理矢理奪われたのだ。
悲しくて苦しくて悩んだけれど…。
どうしよう…。
不思議な事に、怖く辛い記憶のそれらよりも他の記憶がどんどん溢れてくる。
あの日の翌朝に食べたパンの味だったり、ソファに並んで観た映画。
九条の作ってくれた食事を一緒にしたり、自分を車で迎えに来てくれた時、出張していた九条と初めて直接連絡を取り合ったあの夜…。
そして、今日の楽しかった水族館で観た九条の顔。
色んな表情が甦る。
無表情だったり、怖かったり、意地悪だったり…優しかったり。
優しい九条の表情と声がどんどん溢れてきて胸が苦しくなってくる。
今日で別れると決めていたはずなのに、それが正しいはずなのに、それを口に出来ない。
出来なくなってしまった。
たくさん笑ったし、嬉しかった事がある。
そんな自分を見つめ直すと、九条と別れる決意が何故揺らいで、正しいと主張していた自分が居なくなって、胸の奥から沸き上がるある思いに気がついた。
「…ぁ」
知らなかった感情に今、初めて気づいてしまった。
僕は…、
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