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the last act. Plastic Kiss side A 〜 prologue 2

夜の隙間を縫うようにささやかな散歩を終えた僕たちは、ひとつのベッドに潜り込んでいた。 軽くシャワーを浴びたせいか、少し肌寒い。 「おいで」 短い言葉と共に伸びてきた腕に抱きすくめられて僕は素直に身を寄せていく。心地よい体温に包まれながら、気持ちが次第に落ち着いてくるのを感じる。少し興奮していたのかもしれない。 こうして肌を寄せ合うことは日常茶飯事だけれど、身体を重ねることはなくなった。 ユウは少しずつ僕がここを出る準備をしてくれているのだろう。僕が容易く感情に流されないように、うまくコントロールしてくれている。だからこそ、今のように穏やかな日々を過ごすことができる。 それでも僕たちは、いつまでもこうしているわけにはいかない。 「ユウ」 名前を呼ぶと、頭にかかる手が優しく髪を梳いてくれる。くすぐったさに小さく息を吐けば、穏やかな低音が僕の鼓膜を震わせた。 「なんだ」 「……何でもない」 僕は胸につかえている言葉をそっと呑み込む。ユウは訊き返さなかったけれど、僕の言いたいことをもうとうに理解しているのかもしれない。 ──もしかしてユウは、全てを知ってるのではないだろうか。 サキが僕に隠れてルイと会っていたことも。 サキが僕を愛していなかったのに一緒にいた理由も。 知っていて、その上で何かを待っているのかもしれない。 フットライトの仄かな灯りを反射して、鳶色の瞳はクリスタルガラスのように煌めく。何もかもを見透かす、サキと同じ双眸だ。 冷えた空気が二人の呼吸で少しずつ温まっていく。ユウと離れるということは、このぬくもりを失うということだ。 ここにいれば、抱いてはいけない希望をいつか忘れられるのかもしれない。サキを置いて未来へと歩き出すという、赦されない罪を。 ユウと僕を結びつけているのは、サキに他ならない。けれど僕には、サキが何を望んでいるのかが今もわからないままだ。だからこそ僕は、ユウの中に存在するサキに囚われたいとずっと願っていた。 目を閉じれば瞼に浮かぶのは、遥かなる景色。 「ごめんなさい、もう少しだけ……」 ここに身を委ねることは、赦されるだろうか。 仄かに微睡みを含んだ懇願の言葉を発すれば、そっと頷く気配を感じる。そのことに心底安堵しているにもかかわらず、僕は自分が怯えていることを自覚する。 ひどく心地よい安寧の中に浸かりながらも、ここは僕の居場所ではないとわかっているからだ。 僕が誰かと身体で繋がることで自分の感情をごまかそうとしていたことも、そして結局それが叶わなかったことも、ユウは察していた。だからこそ今こうして僕が束の間穏やかに過ごせる時間をくれるのだ。 僕がここから外へ出る、そのときのために。 ゆらゆらと穏やかな、けれど強い力を孕む波が僕の思考を引き摺り込むように攫おうとしていた。 残酷なまでに美しい眠りの世界で、今夜も僕は夢を見るのだろうか。 ──アスカ。契約を交わしたんだ。 ユウの言葉を、僕は遠のく意識の果てで聞いていた。 「僕、こういうところを歩くのが苦手なんだ」 フロントガラスから射し込む陽射しの眩しさに目を細めながらそう言えば、運転席のユウが意外そうに僕を振り返る。 濃い色をしたサングラス越しに視線を感じながら、僕はそっと微笑みを返した。 昼下がりの交差点を忙しなく行き交う人々をガラス越しに眺めていると、なぜだか無性に不安になってくる。 「スクランブル交差点が?」 「うん、そう。歩いてると、すぐにぶつかりそうになるんだよね」 行く先の違う人々が交わる場所。そんなところを歩いていると、足を運んでいるにもかかわらずぽつんと取り残された気分になる。 僕には自分の行くあてがわかっていないからだ。 「近くばかりを見ているからだ。全体をぼんやり眺めるといい。人の流れがわかる」 流れに乗ること。それが今の僕には難しいことなのだと思う。 「ユウは人混みの中を歩くのが得意そうだね。背が高いから」 歩行者信号がチカチカと点滅している。途切れようとする通行人の波を軽く見渡しながらそう言えば、ユウは横目で僕を見て笑った。 「そうだな」 「じゃあ、渡るときはユウの後ろを歩けばいいのかもしれないね」 重厚なエンジン音と共に車が発進する。このイタリア車の滑らかな走りは、昼間帯の街乗りではその能力を発揮しない。 僕の言葉にユウは何も返さなかった。静かな車内にはカーステレオから流れるピアノの音色が鳴り響く。有名なポップスをジャズ調にアレンジした、軽やかで美しい曲だ。 次第に目的の場所が近づいてくる。 「──いいのか」 沈黙を破ったのはユウだった。 「何が?」 そう訊き返すのは少し意地悪だったのかもしれない。答えはわかっていたからだ。 「お前をこうして、外へと送り出すことだ」 「ユウが契約したんだ。僕に必要だと思ったから、そうした。違う?」 契約した相手の元へユウがこうして送ってくれることは珍しいことではない。けれど、今日はどこか違和感を覚える。言葉にするには難しい、いつもとは違う不穏な空気が流れていた。 「そうだ」 吐息を漏らすような短い返事だった。 サキを失い、絶望して行くあてもなく生命を落とそうとしていた僕は、ユウのところに逃げ込んだことでこの世界に留まっている。ユウが誰かと契約を交わした四日間を過ごすことが僕のすべきことで、それは旅立つ準備を始めた今も変わらない。 この人は、いつだって僕に必要なものを与えてくれる。だからこの契約も、それに違うことはないはずだった。

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