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the last act. Plastic Kiss side A 〜 prologue 3

僕たちの乗る車は左にウィンカーを出しながら、速度を落として路肩へと滑り込む。停車したその先で降りるように促され、僕は後方から車が来ていないことを確かめてから助手席のドアを開けた。 ここを出れば、新しい四日間が始まる。 僕にとって他者と過ごすこの日々は、透明な時間だ。相手のことを考えながら関わっていく。そうして誰かを救うことのできる人になりたいと願っていたのに、いつの間にか僕自身がいろんなことに気づかされて与えられてきた。 失うはずだったこの生命を、僕は共に過ごしてくれた人たちに繋いでもらったのだ。 「外へ出たら、こっちにおいで」 背後からそう声を掛けられる。僕は足を踏み出して車の後部に回り込み、運転席の傍へと歩み寄った。 「どうしたの」 パワーウィンドウがゆっくりと開いて、ステアリングから離れた手がおもむろにこちらへと伸びてきた。 明るい陽の下で肩を掴まれて身体を引き寄せられる。こつりと額が合わさって、間近で視線が絡まった。 濃い色をしたレンズの向こうで、瞳が小さく揺らいでいた。 泣いている。 そんなはずはないのに、なぜだかそう見えた。 「ユウ……?」 同じ瞳を僕は見たことがある。 それは、病に侵されたとわかってからサキが時折僕に見せたものにとてもよく似ていた。 しっかりと確かめたくて、身を引いて目元に伸ばしそうとした手を阻まれてしまう。 「アスカ、時間だ」 そう促したユウは、人差し指で僕の唇をゆっくりとなぞった。 その時突然、忘れがたい既視感に襲われる。脳裏に浮かぶのは、先日生き別れた父と過ごした時のことだ。 流れ星が煌めきながら姿を消すかのような、あの別れの情景。 指先が唇から離れて、失われたぬくもりに胸が鈍い痛みを覚える。 何かを言わなければならない気がして口を開こうとしたけれど、そんな僕の胸元をユウは優しく押し返す。それが、これから僕が迎える四日間の始まりを告げる合図だった。 「……いってきます」 形式的な挨拶を口にした僕に、ユウはただ頷く。慣れたはずの挨拶がひどく他人行儀に思えた。 帰ってから、話をすればいい。ただそれだけのことだ。 そう思うのに、頭の中をじくじくと占める違和感を払拭することができない。 踵を返せばパワーウィンドウが閉まる音がした。背中に何かが纏わりつくけれど、それを振り切るように歩み出す。 照りつく陽射しはこの時期にしては強く肌を刺激する。アスファルトを踏みしめれば、ビルの隙間から涼やかな風が吹き抜けた。 懐かしいにおいがする。 ユウから聞いていた店は、商業ビルの一階に構えるレストランだった。 白が基調の内装で、外観から想像していたより中は広くなっている。親子連れやカップルが多い。カジュアルで、けれど賑やか過ぎない明るい雰囲気の店だ。 平日の昼下がりでピークは越えているはずだけれど、店内はほぼ満席だった。 案内を断って、テーブルの並ぶ客席へと足を踏み入れる。 今回の契約者のことを、僕は何も聞かされていなかった。これまでにも度々そういうことはあったから、別に珍しいことではない。けれど、間違いなくその相手はランダムに選ばれたわけではなく、この契約が僕にとって特別なものであることは明らかだった。 緊張感で鼓動がいつもよりも速い。 時刻は約束の午後一時半を指している。このレストランの中に入れば、向こうから声を掛けてくれる。ユウからはそう言われていた。 通路を歩きながら視線を流して順に客の顔を確認していく。こちらに目を留める人はいるけれど、それらしき人物は見当たらない。奥の席にいるか、もしかするとまだ着いていないのかもしれない。 店内を一周して、声を掛けられることがなければ一旦出ようか。 そんなことを考えながら歩いていると、ぼんやりと広がる視界の中で不自然に影が横切った。 「アスカ!」 聞き覚えのある、懐かしい声だ。 反射的に身を引いた僕に、それでもその愛おしい影は真っ直ぐに飛びついてきた。 ──ああ。 大きくなったね。 咄嗟に屈みこんで広げた両腕で抱きとめながら胸を突いたのはそんな思いだった。本当は今すぐにここを立ち去らなければならないのに、そうすることができない。足が強張ったように竦んで動けなかった。 「アスカ、元気?」 屈託のない無邪気な笑顔が眩しくて、目を細める。湿った大地に降り注ぐ太陽のような、子どもらしい匂いが鼻を掠めた。 「……うん、元気だよ。久しぶりだね」 「俺、一年生になったんだ! 今日は四時間目までだから、学校が終わるの早かったんだよ」 子ども特有の高い声に相槌を打ちながら、僕はこの子の向こうに立つ人に目を留める。 ああ、これが偶然であるはずがない。 震える声で、僕は抱きしめたこの子に声を掛ける。 「アユムくん、今日は二人で来たの?」 「うん、そうだよ」 胸が焦がれるほど会いたいと思っていた。なのに、いざこうして現実となればまるで夢の続きのような感覚がする。 あの情熱的な強い眼差しが、記憶と寸分違わず僕を射止める。逸らそうとした視線は捕らわれてしまったかのように動かすことができなかった。 ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる姿を、ただ呆然と見つめ続ける。 これは一体どういうことなのだろう。 「──アスカ、久しぶり」 少し強張った、けれど変わらない優しい笑顔でミツキは真っ直ぐに僕を見下ろしていた。

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