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the last act. Plastic Kiss side A 〜 the 1st day 6

「そうなんだ」 僕の相槌に頷いて、ミツキは影を踏みしめるように足を運んでいく。 幼い頃、どうすれば地面に伸びた影が自分から離れるのかを試したことがある。影が僕から離れて自分の意志で動き出す瞬間を見たいと思ったからだ。 だけどいくら走ったり跳ね上がったりしても、影はいつも僕の足元からけっして離れることはなかった。 成長するにつれてそんな遊びをすることはなくなった。けれど、今は足元にいたはずの黒い塊が心の中に棲みついていることに気づいている。 僕がどれだけ離れようとしても、目に見えないその影から逃れることはできない。 「でも、親とのことはずっと心の中で引っかかっててさ。もう過去のことを引き摺るのはやめたいって、ここんところ強く思ってた。だから、きっかけが欲しかったんだ」 「きっかけ?」 「そう。俺にとって、きっかけはアスカ」 急にこちらを見つめられて、どぎまぎしてしまう。夕陽が影を落とすその顔は、潔いほどに美しかったから。 「アスカや歩と一緒だったら、一人で帰るよりうまくいくんじゃないかと思った。だからアスカには悪いけど、ついてきてもらいたいんだ」 「僕には何もできないよ。却って邪魔になると思う」 「何もしなくていい。傍にいてくれるだけで、俺にとっては十分だ」 そんな重要な場面に、僕が居合わせてもいいのだろうか。 戸惑いはそのまま表情に出てしまっていたらしい。ミツキは僕の不安を打ち消すように軽く笑った。 「いいんだって。アスカは俺のお守りみたいなもんだから」 「お守り……?」 「アスカのことが好きだから」 さらりと口にされた告白に心臓が大きく高鳴った。止まらない鼓動が鳴り響くのを全身で感じながら慌てて俯けば、隣から凛とした声が聞こえてくる。 「あれからずっと会いたかった。こうして願いが叶ってやっと会えたから、アスカと一緒なら何でもできる気がしてるんだ」 真っ直ぐな言葉に、僕は答えることができなかった。 「光希はホントにアスカのことが大好きだもんな」 からかうような幼い声が聞こえてきて、思わず顔を上げると「うるさい」とはにかんだ笑顔が目に飛び込んでくる。 そうだ、ミツキはいつだってごまかさない。偽ることなく想いの全てを僕に注ぎ込んでくれる。 だから、それを受け止められなくて居た堪れなくなる。 「なんだか少し、緊張するけど」 僕でよければ一緒に行くよ。 そう笑って答えれば、ミツキはなぜか照れたように前を向いた。 三人で並んで大きなお社に向かい、参道を歩いていく。 ふと、右手が指先に触れた。一瞬のぬくもりは失なってしまえばひどく恋しいものになる。 指と指が何かを手繰り寄せるようにまた近づき合う。 もう一度触れた時には、僕の手はもう囚われてしまっていた。まるで縋るように繋がれた手を、僕は振り解くことができなかった。そこから痛いぐらいに想いが伝わってきたから。 左手には小さな手。右手には大きな手。 僕たちは無言で参道を歩き続ける。耳が痛くなるほどの静けさはむしろ心地よかった。 キィ──ン……と突如鼓膜をつんざく高音が響いて、僕は思わず目を瞑った。 ──訪れる闇の向こうから、何かが聴こえてくる。 再び目を開ければ、誰もいなかったはずの参道がいつのまにか大勢の人でごった返していた。賑やかな喧騒に混じるのは、お囃子の音だ。 しゃんしゃんと鳴り響く音の中を、僕は足を踏み出して潜り抜けていく。 年に一度の夏祭りは、地元の人のみならず遠方からの観光客さえ呼び寄せる盛大なものだった。 夜のはずなのに、不思議とまるで昼間のように明るい。ここは光の神様が守る土地だと言い伝えられているらしい。 『ねえ、沙生』 着慣れない浴衣や下駄に足がおぼつかなくて、僕は繋いだ手を頼りに人混みの中をたどたどしく歩いていた。 『ちゃんと掴まってないと駄目だよ』 そう言う沙生の手は頼もしくて、導かれるままに僕は足を運ぶ。肩を並べるよりも沙生の後についていく方が随分と楽なのは、人の流れを阻む盾になってくれているからだ。 初めて二人で足を伸ばしたこの盛大な夏祭りも、そろそろ終焉を迎えようとしていた。暑さを紛らすために買ったカキ氷を交互に口へ運べば、ほんの少し涼しさを感じることができた。 おばさんに手伝ってもらって着付けをしたという沙生のしじら織の浴衣姿は普段とは違う雰囲気を醸し出している。それだけで僕の気持ちはいつもより余計に昂ぶっていた。 しばらく歩いていると、露天の並ぶ一角に大きな桶が見えた。水の中でひしめき合って泳ぐ小さな赤や金の群れが目を引く。 『金魚すくいだ』 子どもの頃は好きだったけれど、掬った金魚を家へ持って帰るとすぐに死んでしまうから、いつの間にか金魚すくいの桶には足も止めないようになってしまっていた。 『きれいだね』 僕の言葉に足を止めて、沙生は少し黙り込む。僕たちはしばらく肩を寄せ合い、ひらひらと忙しなく泳ぐ金魚を眺めていた。 一匹、また、一匹と小さな光の煌めきが子どもたちに掬われていく。 『金魚って、本当は丈夫で長生きをする生き物なんだよ』 沙生はそう言って僕を見下ろす。見つめ合えば愛おしい鳶色の双眸が僕を映していて、どぎまぎしてしまう。

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