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the last act. Plastic Kiss side A 〜 the 1st day 11

食事を終えると、客人だからと一番風呂を勧められた。遠慮しようとしたけれど、アユムくんがすかさず「アスカと一緒に入りたい」と手を引いてくれて、結局先に入ることになってしまった。 そういえば、こうして友達の家族が住む家に泊まった経験が今までなかったことに気づく。 ユウに導かれるままにこの仕事を始めてから、他人と四日間を過ごすようになった。その度にいろんな家へ行ったけれど、それとはまた違った感じがする。 ミツキに付き添って突然訪問したにも関わらず温かく迎えられているこの状況が、どこか新鮮で不思議だった。 アユムくんは以前一緒にお風呂に入ったときよりも大きくなっていた。あれから一年も経っていないのに、子どもは本当に成長が早いと思う。 時間は絶えず流れているけれど、僕の中では止まったままだ。サキを失ったあのときからずっと、世界から置き去りにされている。 アユムくんから小学校のことを中心に話を聞きながら、どこか気持ちが落ち着かないまま入浴を済ませた。衣服を纏ったところで、入れ替わりにミツキがやって来た。 何となく気まずくて、視線をうまく合わせられない。 「ごめん、先に入らせてもらって」 何かを言わなければと口にした言葉に、ミツキは少し笑ってアユムくんの小さな頭を撫でた。 「歩の世話、大変だっただろ」 「うるさい」 ブンブンと湿った髪のまま頭を揺らして振り切るのがかわいくて、つい笑みがこぼれた。 「ううん。もう自分で髪を洗えるようになってたからびっくりした」 「ああ、そうか。久しぶりだもんな」 会えなかった時間を噛みしめるような言い方に頷きながら、胸の疼きを感じる。 「じゃあ、一緒に戻ろうか」 アユムくんの手を引きながら踵を返せば、背後から緊張感を孕んだ声が僕を追いかけてくる。 「アスカ、またあとで」 どくんと大きな音を立てて心臓が跳ね上がる。ミツキと二人になる覚悟が僕にはできていない。向き合うその瞬間が訪れるのが怖くて、言葉を返すことができなかった。 リビングへ戻ると、ミツキのお母さんが一人でダイニングに掛けていた。お父さんの姿が見えないのは、別の部屋にいるのかもしれない。 「ばぁば!」 駆け寄っていくアユムくんの頭を撫でながら、彼女は優しい微笑みを向ける。 「歩、一緒に寝ましょうか」 「うん。ばぁばはお風呂に入ってから来て。先に寝てるね」 「あら、一人で大丈夫? 怖くない?」 躱すように祖母の手を離れていったアユムくんは、笑いながら扉に手をかける。そのいたいけな眼差しは、無邪気であるにも関わらずまるで全てを察しているかのように見えた。 「当たり前だよ。じゃあね、おやすみなさい!」 得意げにそう言い残して、リビングから出て行ってしまう。 急に取り残されてしまって所在なく立ち竦む僕に、その人はかわいい孫へ向けていたのと同じ笑顔を見せてくれた。 「賑やかな子だから、相手をするのは大変でしょう。よかったらどうぞ」 勧められるままに向かいの席に腰掛ければ、彼女は入れ替わりのように立ち上がってキッチンへと向かっていく。 「温かい紅茶はいかが。眠る前に飲むと目が覚めてしまうかしら」 今日一日、本当に色々なことがあった。どうせすぐに眠りにつくことはできないのだから、厚意に甘えてしまう。 「いえ、いただいてもいいですか」 「よかった。でも、期待しないでね。ティーパックなのよ」 キッチンで小さなケトルに水を入れながら、彼女は少女のように軽やかに笑う。思いがけない茶目っ気のある表情に、気持ちが和んでいく。 しばらく待っていると、シュンシュンとお湯の沸く音が聞こえてきた。やがてゆったりと漂ってくる紅茶の香りは、爽やかで優しいものだった。 シンプルな白いティーカップを二つテーブルの上に置いて、彼女は椅子に腰掛ける。カップの中を覗くと、深い琥珀色がきれいに揺れていた。 「いただきます」 カップの縁にそっと唇を付けて一口含めば、シトラスの香りがふわりと広がっていく。アールグレイがベースになっていて、けれどペルガモットとは別に柑橘系のものがブレンドされている。甘く爽やかで、深みのある芳香だ。 「おいしい」 感じたことをそのまま口にすると、彼女は隠していた秘密を告白するようにそっと微笑む。 「そうでしょう。大好きなブレンドなの」 少しずつ飲むうちに、緊張が解れていく。さり気ない気遣いがとても素敵な人だと思った。 「娘の使ってた部屋が空いてるから、よかったらそこをどうぞ」 それがミツキの姉のことだと気づいて、僕はそっと頷く。 「ごめんなさい。急にお邪魔して、ご迷惑でしたね」 軽くかぶりを振って、その人は口角を上げる。穏やかで美しい微笑みだ。 「とんでもないわ。光希から、本当に久しぶりに連絡があったの。大学の同級生を連れてこっちに帰るって」 大学の同級生──通わなくなって久しい場所に、僕はまだ属していることになっているのだろうか。 ミツキからそんなふうに自分のことを言われていたんだと思うと、何だか擽ったい気分だった。 「突然だったから、てっきり彼女を連れて来るのかと思ってたんだけど」

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