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the last act. Plastic Kiss side A 〜 the 1st day 12

眉を上げてそう言う表情は、春の陽射しのように穏やかだった。 「光希はあなたのことをとても信頼してるんでしょうね。ここまで来てくれてありがとう」 「そんな……」 礼を言われて胸が小さく疼く。この人に僕たちの曖昧な関係を説明するわけにはいかないけれど、僕はけっしてそんな言葉を掛けてもらえるようなことはしてこなかった。ミツキの気持ちをわかっていたのに、それを受け入れることができずに酷い形で突き放した。 「光希から聞いてると思うけど、あの子が高校生のとき、お付き合いしてた女の子を傷つけてしまったのね。その時は、私も主人も頭の中が真っ白になってしまって。ちょうど咲世子が──あの子の姉が離婚の話を進めていた時期と重なったというのもあって、余計に気持ちに余裕がなかった。光希は高校を辞めて働きたい、彼女や子どもを養うと言ってたけど、私はどうしてもそうしなさいとは言えなかった。相手のお嬢さんには本当に申し訳なかったと思うし、無責任な親だと非難されて当然だと思う。だけど、それで光希が幸せになるとは思えなかったから」 それは、前にミツキと過ごした四日間で聞いた話だった。けれど当時付き合っていた彼女は、ミツキの意志とは裏腹に子どもを堕ろすことを決めてしまったはずだ。 「あの子、頑固なところがあるから。真っ直ぐなんだけど、前しか見えてないんだと思う」 「でも、それがミツキのいいところだと思います。どんな時も自分の気持ちをごまかしたりしない。だから僕も信じられる」 思わず遮るように口にしてしまうと、彼女は嬉しそうな笑みを浮かべる。 「そうね……ありがとう」 こうしてミツキのお母さんと話をしていることが、不思議で仕方ない。 昨日までは、こんなことになるなんて思ってもいなかった。だけど、これは今の僕にとって必要な時間なのだという気もしている。 この人は我が子の幸せを誰よりも願っているのだろう。こうしてミツキがきちんと愛されていることが、なぜかとても嬉しいと思った。 そして、気がつけばなぜか僕はこの人に、自分でも思ってもみなかったような問いかけをしていた。 「聞かせてください。ミツキが、この先いつか」 いつか。それは、ありふれているようでそうではない、尊い未来。 「愛する人と結婚して、子どもができて……幸せな家庭を築くことができればいい。あなたはそう願いますか」 暫しの沈黙の後、彼女は微笑みを湛えたままそっと首を縦に振った。 「ええ、そうね」 掌の中で次第にぬるくなっていくカップを持て余しながら、僕も同じように頷く。けれど彼女の言葉はそこで終わりではなかった。 「それがミツキにとっての幸せであればね」 穏やかな視線が真っ直ぐに僕へと注ぎ込まれている。凛とした眼差しは、ミツキと同じものだ。 「幸せの形は人によってそれぞれ。どうすれば幸せになれるかは、何かを選ぶその時にはわからない。それは、咲世子──あの子の姉もそうね。幸せになろうとして結婚したけれど、相手の方とはうまくいかなかった。だけど咲世子は結婚したことも歩を産んだことも、離婚したことも後悔はしていないでしょうし、自分を不幸だとは思っていないんじゃないかしら」 どうすれば幸せになれるかは、何かを選ぶその時にはわからない。 彼女の言葉のひとつひとつを僕は心の中でゆっくりと反芻し、咀嚼していく。 「どんな生き方でも幸せだと思えるようなものだったらそれでいい。光希が選んだ道を歩んでほしいと願ってる。でも、あの大変だった時期にはそうは思えなかった。考え方が変わったのは、きっと時間が経って成長したからね」 「成長、ですか」 時間が経つこと。変わること。どちらも今の僕からは掛け離れたものだ。 ペルガモットの香気が燻る時間は、僕たちをゆったりと包み込む。不意にサキの身体からいつも放たれていた微かな香りのことを想い出す。 ああ、記憶の中のものととてもよく似ている。これは僕にとって郷愁の香りに違いない。 「そうよ、あの頃よりも成長した。光希も、私もね。人には幸せになる力が具わってるんだと思う。でもその力は、何もしなくても働くというものではないのかもしれない。幸せになりたいという希望を抱くこと。幸せを掴み取るために努力をすること。そういう意志や行動が、どんなに過酷な状況であっても人を幸せへと導いてくれることがある。少なくとも私はそう信じてるの。自分の生き方を決めることはとても難しいけど、選んだ方向が間違っていなかったと後から思えるようにすることが大切なんだと思う」 ミツキのお母さんが話していることは、少しはわかるような気がした。そのどれもが、僕には具わっていないものだけれど。 こうして話を聞いているうちに、ミツキは確かにこの人に育てられたのだということを実感する。 「ミツキは強くて優しいと思います。いつも前を見ているし、ひた向きで嘘をつかない。僕は彼を信頼しています」 だからこそ僕はミツキに甘えてしまったし、友達の一線を越えてしまった。 全てを後悔しているわけではないけれど、僕のせいでミツキが無意味な時間を過ごしてきたということに対する罪悪感を覚えていた。

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