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the last act. Plastic Kiss side A 〜 the 1st day 13
そんな僕を見つめながら、彼女は頬杖を突いて少女のようにかわいらしい微笑みを浮かべる。
「もしかしたらあの子はもう見つけてるのかもしれないわね。自分が幸せになる方法を」
まるで秘め事をそっと漏らすかのような言い方だった。けれど、僕がその真意を問い質す前にこの小さな世界は遮断されてしまう。
リビングの扉が開いて、ミツキが入ってくる。僕たちを見た途端、ミツキは足を止めて固まったように動かなくなった。この雰囲気に違和感を覚えたからに違いない。
「……二人とも、どうかした?」
何を言えばいいのかわからないままようやく口にしたであろう疑問符に、僕はかぶりを振る。戸惑いの表情を見せるミツキにどんな言葉を返すべきだろう。思わず彼女と顔を見合わせると、自然と笑みがこぼれた。
「なんにも。ね?」
念押しをするように口にして彼女は立ち上がり、優しい瞳で僕を見下ろす。
「よかったらお部屋に案内するわ」
「はい。お願いします」
狐につままれたようなミツキの顔を見て、少し申し訳なく思った。
「なんか置いてきぼりにされた気分なんだけど」
釈然としない顔でぽつりと愚痴めいたことをこぼすのが、拗ねた子どものようでおかしかった。
「一緒に話をしていただけだよ」
そう返しながら扉へと足を進めて、すれ違いざまにミツキと視線が絡まる。まるでこれがごく当たり前の日常であるかのように、僕たちは自然と会話を交わしていた。何ということはないやりとりを繰り返すうちに、少しずつ緊張が解れていく。
さっきまでずっと、自分が家族の輪に入っていることに気が引けていた。本当にここへ来てよかったのかを懸念していたし、場違いだと感じていた。
だけど、ミツキのお母さんに会えてよかった。今は心からそう思えた。
マットレスに脚が付いただけのシンプルなシングルベッドに横たわる。ミツキのお姉さんが使っていたという部屋は整然としていて、すっかり片付けられていた。
振り返れば今日は色々なことがあった。昨日まではこの四日間がこんなことになるなんて想像もしていなかった。
ユウは一体何を考えているのだろう。
こんな形で送り出されたことに、僕はまだ戸惑いを拭い切れていなかった。
ミツキやアユムくんと再会して、導かれる場所へと赴く。そうしているうちに、どういうことか忘れていたサキとの想い出が少しずつ蘇ってきた。
いや、忘れていたのではない。記憶の奥底に封印していただけだ。
今日一日、僕はもうこの世にいないサキと一緒に過ごしていた。なぜだかそんな気がして仕方がない。
ひとつ溜息をついてから、暗がりの中で見慣れない天井に向かって手を伸ばす。幾度か瞬きをしながらそうしているうちに、そこにキラキラと煌めく水面がぼんやりと現われた。
僕がいるのは深く暗い海の底だ。水面に乱反射する光もここまでは届かない。サキのいるところには、あまりにも遠い。
その時ノックの音がして、返事をする前に人影が現れる。
あとでと言われていたことを思い出して、僕は天井へと伸ばしていた手をそっと下ろす。
部屋に入ってきたミツキは僕の方へとゆっくり歩み寄る。心なしか遠慮がちな足取りだ。
「……アスカ」
闇に慣れた僕の目が、近づいてくる彼の表情を判別する。砕けたように振る舞ってはいるけれど、ミツキが緊張しているのがわかった。二人だけの空間にいるには僕たちの関係はあまりにも曖昧過ぎる。
「手を上げて、どうかした?」
そんなことを訊かれて、僕は素直に答える。
「届かないなと思って」
ベッドの傍まで来たミツキは、僕の言葉にわずかに眉を上げる。何かを訊き返されるかと思ったけれどそうではなかった。次の瞬間には、先程上げていた手首を掴まれていた。
「あ……」
反射的に振り払おうとしたけれどうまく力が入らない。ミツキは僕の腕を引き上げるようにして口を開く。
「立ってみろよ」
導かれるままに身体を起こし、ミツキと並んでマットレスの上に立ち上がる。持ち上げられた手の指先が、ざらりとした天井に触れた。
「ほら、届いただろ」
なんてことのないような顔をしてミツキが僕にそう言うから、拍子抜けして笑ってしまう。
「本当だ」
二人で顔を見合わせながら指先で天井を何度か掻いてみる。届かなかったのはベッドに横たわっていたからだ。
僕が手を伸ばしているのを見て、何を考えていたのかミツキにはわかっていたのかもしれない。
そうしているうちに、ふと交わる視線に異質な雰囲気が混じり出した。時間が止まったかのような静寂の中、目を逸らさなければと思うのに射竦められてそれは叶わない。
「……アスカ」
次の瞬間、僕はその腕の中に捕らわれていた。バランスを崩して後ずさりしてしまう背中が壁にあたる。それを庇うようにミツキの腕が僕を抱き寄せた。
「ミツ、キ」
頭の中が真っ白になって足に力が入らない。ずるずると崩れ落ちる身体を支えながらミツキも同じように座り込んだ。
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