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the last act. Plastic Kiss side A 〜 the 2nd day 14
ハニーリップ。
懐かしい商品名に思わず目を細めた。かつて試作品だったその商品を僕は手にしたことがある。蕩けるような粘度のリップグロスは、舐めれば官能の味がした。
あの商品が発売直後から年代を問わず爆発的に売れていることは、風の噂に聞いていた。
以前、デパートのコスメカウンターに貼られたハニーリップのポスターを見たことがある。清らかな黄金色の光に包まれて、少女と大人の狭間にいるような可憐なモデルが、外国人の男性とキスをする寸前を切り取ったかのようなシーン。その顔にはアンニュイな微笑みが浮かんでいた。
──ああ、あの子だったのか。
もう一度画面の方を向いて彼女の姿を目で追いかける。
キラキラと明るい陽射しを浴びていても、表情には愁いの翳りが見えた。これが演技なのだとすれば、彼女は天性の女優なのだろう。
「彼女、アスカに似てるなと思ってた。だから、その子を見るとついアスカを想い出しちゃってさ」
そんなことをさらりと言われて軽く心臓が跳ね上がる。画面に映る彼女の姿をまじまじと見つめてみたけれど、自分に似ているのかどうかはよくわからなかった。
「そうかな」
それだけを呟けば、ミツキは小さく頷いて再び料理に集中し始める。
似て非なるものに想いを馳せる。その行為がどれだけ苦しいものか、僕は知らないわけではなかった。
しばらくして食卓に並んだ料理は、手の込んだものではなかったけれど、味付けはどれも優しかった。
豚肉と野菜の炒めものに豆腐とわかめの味噌汁、ほうれん草のお浸し。小鯵の南蛮漬けは、作り置きしていたのだろう。
「ミツキ、料理が得意だったんだね」
「得意じゃないよ。前にアスカがここへ来た時は、自炊なんてほとんどしてなかった」
「でも、おいしいよ」
素直な感想を口にすれば、向かい合って座るミツキは照れくさそうに笑った。
「練習したんだ。次に会った時に、ちょっとは成長したところを見せたかったから」
成長には時間が必要だ。ミツキは僕とこうしていつか再会することを予想していたんだろうか。
「実は、カクテルを作る練習もしてる」
「カクテル?」
鸚鵡返しに訊き返す。ミツキがそんなことをしているなんて、意外に思った。
「今度、アスカにも何か作ってあげようか」
「でも僕、お酒が呑めないから……」
「知ってる。だからノンアルコールで」
そう言って、だけどそれ以上押し切ることなくミツキはまた箸を運び続ける。今度という単語が出てきたことを、今更ながら意識してしまう。
僕たちに、共に過ごす未来があるはずもないのに。
僕の知らないところで、ミツキはどんどん変わっている。それにもかかわらず、以前と同じように僕を想ってくれていることがひどく不思議な気がした。
ミツキにとって変わっていくものの中に、僕への気持ちは含まれていないのだろうか。
視線を伏せて食事をしながら、また小さく溜息がこぼれた。僕はこの状況をきちんと消化し切れずにいる。
穏やかな時間は、流れるように過ぎていく。
片付けも手伝わせてもらえずに、勧められるまま入浴を済ませてしまった。自分のペースで進まないこの四日間に戸惑う。
濡れた髪をドライヤーで乾かしながら、正面を見つめる。鏡の中に映る自分はひどく不安げな表情をしていた。
交代で入浴を済ませて、部屋に入ってきたミツキは所在なくベッドに座る僕を見て一瞬目を見開いた。
「……何?」
何かおかしなことをしてしまったのかと不安になる。先に寝ておけばいいと口にしたのはミツキで、そうは言われてもこの状況で寛げるほど僕には余裕がなかった。
「ああ、うん」
歯切れ悪くそう言って、ミツキは僕の方へと歩み寄ってくる。
「夢みたいだと思って」
近づいてきたかと思えばスプリングがじわりと軋んだ。伸びてくる手に反射的に後ずさる。壁に背中があたって、息を詰めた途端ミツキは僕に覆い被さってきた。
吐息を感じる距離で、だけどそれ以上は縮まらない。
「何度も夢を見たんだ。アスカとこうして一緒に過ごす夢だ」
壊れてしまったみたいにドクドクと鳴る鼓動が聞こえてしまいそうだ。ここから逃げ出したいと思うのに、目が逸らせない。
ミツキはいつも僕をひた向きに見つめてくる。胸が痛くなるほどに、真っ直ぐ。
「でも、お前はいつも泣きながらいなくなってしまう。起きてしばらくは幻だったのかどうかもわからないぐらいに鮮明で、嫌な夢だ」
僕も同じだ。幾度もミツキの夢を見た。眠りの海に揺られて曖昧な意識が辿り着くのは、霞のように朧げで実体のない世界だ。
けれど目が覚めると、いつもどんな夢だったのかを思い出せない。
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