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the last act. Plastic Kiss side A 〜 the 3rd day 1
モノクロームの世界は、覚醒と共に色味を帯び始める。
目が覚めてまず感じたのは、身体を包み込むぬくもり。ぬるま湯に浸かっているのに似た心地よさだ。気分がとてもすっきりとしている。
こぼれ落ちてくる優しい木漏れ日。瞼の裏に感じる眩しさに恐る恐る目を開ければ、光に透けて舞う塵が輝いているのが見えた。
キラキラと朝陽を反射しながら、ヴェールが風に靡くようにゆっくりと頭上を通過していく。
ああ、この世界はサキを失ったはずなのに美しい。
深く息を吸って、ゆっくりと吐く。まるで初めて呼吸することを覚えたかのようだ。僕を取り巻く空気は新鮮で瑞々しかった。呼吸を繰り返す度に、身体の隅々まで酸素が行き渡る感覚がする。ぼんやりとしていた意識がはっきりとして、やがて朧げに見えていた白い空が見知った天井だと気づいた。
「アスカ」
耳元で囁かれる声は甘く、くすぐったい。その瞬間、僕は全てを思い出す。ここがどこで、この腕が誰のものなのかを。
「おはよう」
「……おはよう、ミツキ」
同じ言葉を返しながら、僕は未だに夢と現実の境目を彷徨う。
人肌の温もりに包まれて、光舞う朝を迎えたのだ。触れる吐息の優しさに、身体の力が緩んでいく。
もしも全てを忘れて今ここにいるのだとすれば、僕はどれだけ幸福だっただろう。けれどそれは、叶わぬ夢でしかない。
微睡みは澄んだ空気の中に融けていく。明瞭になっていく意識に、ゆっくりと一昨日からの記憶が押し寄せてくる。
閉ざされた空間であるにもかかわらず、ここはまだ見ぬ世界に繋がっているような気がした。
もう少しだけ。このままこうしていることは、赦されるだろうか。
流れることをやめた時間の中で、僕はただじっと息を潜める。
生きるのは贖罪のためだ。けれど僕が赦しを請うべき相手は、一体誰なのだろう。
天井に向けて手を伸ばせば、僕を抱きしめる腕の力が緩んだ。空を掻く指先に、ぬくもりが触れる。
指と指が絡み合う。頭上で手を掴まれながら、僕は正直に今考えていることを口にした。
「いろいろなことが、わからないんだ」
天井の白いクロスをじっと見つめていると、横顔に視線が注がれる気配を感じた。
「無理にわかろうとする必要はないよ」
何もかもを心得ているかのようにそう返される。張りつめていた冷たい空気がふわりと和らいだのは、ミツキが微笑んだからだ。
「わからないならわからないなりに、俺が付き合うよ」
無責任な言葉だ。そうあしらうことができなかったのは、ミツキが本気だということを肌で感じているからだ。だからこそ、安易に受け入れることもできない。
恐る恐る視線を移せば、真摯な眼差しが僕に注ぎ込まれていた。心臓を射抜き真実を見透かす双眸だ。けれど、その穏やかな光は戸惑うほどに優しい。
僕たちを繋ぐのは、見えないぐらい細く、けれど今はまだ切れることのない糸なのかもしれない。
それでも僕は、その尊いものを手繰り寄せるに値しない存在だ。
「目が覚めたなら、何か食べるか」
そう言葉を紡ぐ唇が肌に触れる感覚を、僕は自然と想い出している。あのくすぐったく熱っぽい肉感を欲しているのだと自覚した。
その願望が浅ましいということは、僕自身がよくわかっている。
「うん、ミツキもお腹が空いてるよね」
そっと起き上がると急に肌寒さを感じた。失った温もりの大きさに軽く身ぶるいする。自分で思っていたよりもずっと、僕はミツキの優しさを受け入れてしまっていたのだろう。
続いて身体を起こしたミツキの手が僕の髪に触れる。摘まんだひと房の髪が光に透けるのを、上目遣いに見つめた。
「きれいだな」
溜息をつくようにそう囁いて、ミツキは僕の手を取った。導かれるまま床に足を付ける。鼓動が少し速まったのは、急に立ち上がったからだと思いたかった。
指を軽く絡ませながら手を繋がれる。振り解くことも握り返すこともできずに、僕はミツキのあとをついていった。
部屋を出て食卓へと辿り着く。促されるままに腰掛けた僕は、ミツキがキッチンに立って手際よく動くのをぼんやりと眺めながら、ふと思った。
ミツキには朝陽がよく似合う。死ぬことに憧憬を覚えていた僕には、この人は眩し過ぎるのだ。
「何がいい?」
食べたいものを訊かれているのだと気づいて、少し考えてから素直に答える。
「温かいものが飲みたい」
朝食を口にしたいと思わなくなったのは、子どもの頃だ。僕のことで忙しい母の手を煩わせたくなかったというのが、発端だったのかもしれない。
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