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the last act. Plastic Kiss side A 〜 the 3rd day 6

『飛鳥。チョコレート、あげる』 ふと後ろから瑠衣の手が伸びてきて、小さな包みを渡された。コロンと掌に転がるふたつの塊を、僕は懐かしい気持ちで見つめる。 銀紙に包まれた小さな粒は、僕達が子どもの頃によく食べていたチョコレートだった。食べたいと思えばどこでも買うことのできる、オーソドックスな商品だ。大きな袋の中身を分け合って食べることが、幼い僕達にとって楽しみのひとつだった。 最後の一粒はもちろん、いつも瑠衣のものになっていたのだけれど。 『へえ。懐かしいね』 思わず感嘆の声をあげて、僕は隣にいる侑の横顔をそっと覗き込む。侑が甘いものがあまり好きではないと昔からこぼしていたことを思い出しながら、それでも尋ねてみる。 『侑も食べる?』 『ああ、貰おうか』 『本当に?』 帰ってきた意外な答えが嬉しかった。そっと包み紙を外して、ハンドルを握る侑の口元へと持って行く。 けれど口の中に入れた途端、侑は端正な顔をそっと顰めた。 『甘ったるいな』 『当たり前よ。チョコレートだもん』 呆れたようにそう言って瑠衣は笑う。後ろを振り返れば、後部座席で瑠衣と並んで座る沙生と目が合った。胸の奥が、じくりと疼く。 不安に駆られて、沙生の名前を呼ぼうとしたところを瑠衣に遮られた。 『沙生もこのチョコレート、好きだったわね』 『うん、でも長い間食べてないな』 甘やかに光る鳶色の瞳。幼い頃の記憶が、万華鏡のようにくるりと回転して鮮やかに蘇る。 ── 沙生、あげる。 いいよと幾度か断るけれど、沙生は根負けして最後には受け取ってくれる。大好きな幼馴染みと同じものを一緒に口にすること。それが小さな頃の僕にとっては幸せなひとときだった。 沙生が僕から視線を逸らし、瑠衣に視線を向ける。そのタイミングで僕もやるせなく前に向き直った。 包み紙を解いて口に入れたチョコレートは甘味が強く、飲み下せばどろりとしたものが胸の内を掻き立てた。 沙生と僕は、本当にずっと幸せなままでいられるのだろうか。 侑の車は弧を描きながら、山の麓から続く緩やかな上り坂を登っていく。対向車とどうにか擦れ違うことができるぐらいの幅員がある道を走り続けた。いつのまにか次の山へと移り、そこを少し上がったところに目的の清流はあった。 僕達と同じように遊びに来ているのは、車のナンバーから推測すると地元の人たちなのだろう。 河岸の砂利に車をとめて、僕達は地面へと降りた。目の前に広がる川の水面は、強い陽射しを浴びてキラキラと輝く。 『いいじゃない。穴場って感じで。前にも来たことがあるの?』 瑠衣の言葉に侑は返事をせず曖昧に首を傾げる。微妙なニュアンスを含んだ微笑みに、瑠衣は頬を膨らませた。 『何それ。いやらしい』 瑠衣は肘で軽く侑の脇腹を小突いた。二人で顔を見合わせて笑い合う。その様子は絵に描いたような似合いのカップルに見えた。 侑と瑠衣はとても仲がいい。顔を合わせる機会は少なくても、二人が時々連絡を取り合っていることを僕は知っていた。 ハッチバックを開けて、僕達は手分けしてコンロや簡易テント等を取り出していく。 高速道路に乗る前に立ち寄った小さな店で、侑はバーベキューセットを頼んでくれていた。食材だけでなく、機材もレンタルできる店だ。業者がそんなサービスを提供してくれることを僕は初めて知ったけれど、侑は前日から予約を取り付けていたらしい。 しかも、僕たちがバーベキューを楽しんだ後、その店の人がここへ来て片付けをしてくれるというのだから、本当に便利なサービスがあるものだと感心する。 四人で手分けして簡易テントを広げて、折り畳みの椅子とコンロを並べる。侑は重なる木炭の隙間に着火剤を入れて順番に火をつけていった。侑はこういうことに随分手慣れている。 次第に広がっていく赤い炎がもっと強くなるよう、僕達はうちわで懸命に扇ぎ続けた。 『昔はよくこういうことをしたわね』 『うん、懐かしいな』 小さな火種を囲みながら、僕達は口々にそう言って過去に想いを馳せる。 僕が物心ついたときには侑はもう成人して家を出ていた。けれど実家に戻ってくるときには、瑠衣と僕をよくどこかへと連れて行ってくれた。 仕事が忙しい母に代わって土曜参観に来てくれたこともあった。突然教室に現われた侑はとてもよく目立っていて、誰の家族なのかとそこにいるみんなが気に掛けているのがその場の雰囲気でわかった。僕は事前に侑が来ることを知らされていなかったから、その時の驚きと喜びはよく憶えている。 僕と十八歳も離れた侑は、記憶にない父に限りなく近い存在だった。今でもその感覚は変わらない。

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