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act.4 Lost-time Kiss 〜 the 3rd day 2

「気持ちいい。熱くないから、ずっと入っていられそう」 そう言ってアスカは夜空を仰ぐ。満月に近い形の月が浮かんでいた。外の冷たい空気は澄んでいて心地いい。 「アスカ、おいで」 遠慮がちに距離を空けて座っていたアスカがそっと近づいてくる。 湯の中で触れた手がぬるりと滑って、しっかりと繋ぎ直した。 「なんか、修学旅行みたいだね」 「そうか?」 俺にはそんな感じはしないけど、アスカにとっては旅行と言えば修学旅行なのかもしれない。 「修学旅行の夜って、楽しかったな。好きな子の名前を告白したり、怖い話をしてから肝試ししたり」 そっと肩を抱き寄せながらそう話すと、アスカのきれいな瞳に俺が映っていた。 「ミツキって、もっと淡白な人だと思ってた。女の子と付き合ってるのは知ってたけど、彼女の話をほとんど聞いたことがなかったし」 確かにそうだった。今思えばアスカのことが気になっていたからというのもあるが、俺には付き合っている彼女に入れ込むことができない理由があった。 「……アスカに話しておきたいことがあるんだ」 湯舟の中で握りしめた手にそっと力を込める。光から逃れるように月に背を向けて、俺は自分のことを語っていく。そうすることで、少しずつアスカが心を開いてくれることを願って。 「俺、高校生のときに同級生の彼女がいてさ。勉強なんて手に付かないぐらい本当に大好きだったんだ」 突然そんな話をする俺のことを、アスカは真剣な眼差しでじっと見つめる。 「ある日彼女が、不安そうな顔で生理が来ないと言い出した。検査したらやっぱり妊娠してたんだ。彼女のことが好きだったから、産んで欲しかった。俺が学校を辞めて働いて、彼女と子どもを養おうと思った。でも、彼女は堕ろすことしか考えてなかったんだ。こんなことで人生を無駄にしたくないって言われたよ」 『子どもは大人になってから作ればいいから』 リセットボタンを押したのは、彼女だった。堕ろすことで傷つくのは自分だと十分わかっていたのだろう。だから、俺の意見なんて初めから聞く耳を持たなかった。 「俺は土下座して頼み込んだ。絶対に産んで欲しかったんだ。いつかまた妊娠したとしても、堕ろしたその子は帰ってこない。それでも彼女の意志は固くて、中絶してしまった」 アスカが俺の手を強く握り返してくる。その顔色は空に浮かぶ月のように青みを帯びていた。 「彼女の妊娠がわかって、悩んだけど自分の親に話したよ。家の中はめちゃくちゃになった。父親には殴られるし、母親には泣かれるし。向こうの親に謝りに行ったら、もう二度と娘に会わないでくれと言われた。彼女の身体を傷つけたのは俺だから、責任を取ってこの先もずっと付き合っていきたかったし、結婚しなければいけないと思ってた。でも、そういう風に思い始めるともう駄目だった。そんな付き合い方は重いって、彼女に言われたよ。結局そのまま別れて、それっきりだ。俺は親ともギクシャクするようになって、姉が間に入ってくれようとしたんだけど、うまくいかなかった。大学入学をきっかけに、家を出たんだ」 アスカは何も言わなかった。風ひとつない静かな夜に、自分の声がやけに大きく響いている気がした。 「その彼女と別れてからも、何人かの女の子と付き合った。でも、全然入れ込むことができないし、距離を置いてしまう。彼女のことが忘れられないとか、そういうのじゃないんだ。生まれてくるはずだった生命を犠牲にした後ろめたさがあるのかもしれない。誰と一緒にいても、誰を抱いても心が動かない」 「どうして、僕にそんな話をするの」 ようやくアスカが口を開いた。感情を抑え込んだような、淡々とした口調だった。 「アスカに聞いてほしかったんだ」 俺は両腕を回してアスカを抱きしめる。こうして湯舟に浸かっていても、不思議と甘い匂いは消えることがない。 「俺にとってアスカは特別なんだ。もう真剣に誰かを好きになるのは無理だと思ってた。適当に付き合って、楽しく過ごせればそれでよかったんだ。なのにアスカだけはそうじゃない。今も、アスカが欲しくて堪らないよ。そのためなら何を犠牲にしてもいい」 アスカの瞳が切なげに揺れる。その全てが愛おしいと思った。 「愛してる……」 口づけて舌を絡めればゆっくりと熱が交わっていく。このままこの夜に融けてしまいそうだった。 重ねた唇を離せば、アスカは躊躇いがちに俺を見る。その瞳の哀しげな揺らめきに胸が痛んだ。 「僕、子どもは産めないんだ。それでもいいの?」 あまりにも唐突な言い方に驚く。アスカが男だとわかってて好きになっているのに、そんなことを言われるなんて思ってもいなかった。 「馬鹿なことを言うなよ、当たり前だろ。アスカじゃなきゃ駄目なんだ」 俺はこのとき、まだ何も知らなかった。

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