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act.4 Lost-time Kiss 〜 the 4th day 1

「こら、ちゃんと食べないと駄目だ」 朝ごはんを一口しか食べないことを咎めると、アスカは上目遣いでこっそりと俺を見る。叱られるのをやり過ごす子どものような仕草につい笑ってしまう。 「だって、朝は食べられないんだ」 罰の悪さを感じるのか、語尾が消え入りそうだった。確かにアスカは昨日も一昨日も、朝は何も食べていなかったことを思い出す。 「駄目。あとでちょっと運動するから、もう少し食べろよ」 「運動?」 途端に犯罪級に色っぽい瞳で見つめてくるのはよからぬ想像をしているからに違いなくて、軽く眩暈を覚える。 「ちょっと歩いたところにきれいな滝があるんだって。せっかく来たんだから、散歩がてら一緒に行ってみたいなと思って。嫌か?」 そう誘えば、きょとんと目を見開いてからゆっくりと顔を綻ばせる。 「ううん。行きたい。頑張って食べる」 俺を見ながらおずおずと味噌汁に手を付けるアスカは、やっぱり散歩なんてやめて今すぐにでも愛し合いたいぐらいかわいかった。 昨夜は、泣きじゃくるアスカを抱きしめて宥めているうちにいつの間にか眠ってしまっていたらしく、目が覚めると空が白み始めていた。 慌てて腕の中を覗き込めばアスカは小さく寝息を立てていて、穏やかな寝顔を見て心の底から安堵した。 昨夜聞かされた事実には驚いたけれど、アスカを想う気持ちはむしろ時間が経つにつれて増している。これからは俺が傍について支えてやりたかった。 俺に話をしたことなど忘れてしまったかのように振る舞うアスカを見ながら、胸に誓う。 全てを受け止めて、愛していきたい。 いつかアスカが心から笑える日が来ることを願って。 チェックアウトを済ませてから、二人で一旦最寄り駅まで行ってコインロッカーに手荷物を預けた。 旅館でもらった地図を頼りに、アスカと手を繋ぎながら歩き出す。 緑に覆われた山道へと入っていくと、静かな空間に鳥の鳴き声が響き渡る。見上げれば、空が随分高いなと思った。 「あんまり人がいないね」 「すぐって言ってたのに、結構遠そうだな」 ところどころに出ている案内板の矢印を辿りながら、足場が悪いところを避けて一歩一歩進んでいると、ふとアスカが口を開いた。 「ミツキ、憶えてる? D館の奥にサルを見に行ったときのこと」 そう言われて俺は、アスカと一緒に過ごした時間を想い出す。 「……ああ、そんなこともあったな」 ある昼休みのことだった。大学構内で実験用のサルを飼っていることを知った俺は、つまらない好奇心からサルを見に行こうと飛鳥を誘った。 すると、飛鳥はキラキラした瞳で俺の話に乗ってきた。 『光希、せっかくだからバナナを持って行こうよ』 その発想がかわいくて、思わず俺は吹き出す。 『だってサルが本当にバナナが好きなのか、実験したくない?』 購買部でバナナを買った俺たちは、意気揚々とサルがいるというD館の周辺に行って探し回った。やがて建物の奥まったところにひっそりと置かれたケージを発見する。 ケージに入ったサルは、俺たちを見た途端なぜだか異様に興奮してキーキーと高い声で吠え出した。何も悪いことはしてないのに妙に罪悪感を覚えた俺は踵を返し、呆然とするアスカの腕を掴んで走って逃げ出した。 ひとしきり走った後、二人で笑い合いながらサルに渡し損ねたバナナを分けて食べ合った。 「楽しかったね」 懐かしそうな微笑みが本当にきれいだ。アスカの子どもみたいに純粋で屈託のないところが、俺は好きだった。 これからもアスカと想い出を作っていきたい。哀しい記憶が埋もれてしまうぐらい、たくさん。 草木が生い茂る足場を少しずつ登っていくうちに、息が切れてきた。 どこがすぐなんだよ。心の中で悪態をつきながら足を進めていく。 駅を出てから早くも一時間近くが経とうとしていた。アスカは見た目は華奢なのに意外と体力があるようで、ちゃんとついて来ている。 川のせせらぎがだんだん大きく聞こえてきていた。きっともうすぐだ。 木々を掻き分けて足を踏み入れれば、急に視界が大きく開ける。ようやく目的の場所に辿り着いたらしい。 天国に架かる梯子。 細く長く、絶壁を流れ落ちる白い滝は空と水面を繋ぐ。 滝壺に吸い込まれる水流を眺めながら、俺はアスカと岩場に座り込んだ。 辺りには誰もいない。澄み切った冷たい空気を胸いっぱいに吸い込めば、ここまで登ってきた疲れが残らず消えていくようだった。 「癒されるね」 「滝からはマイナスイオンが出てるらしいからな」 そう言いながらアスカの顔を見ると、瞳がゆらゆらと潤んでいた。繋いだ手に力を込めて、強く握りしめてくる。 「ミツキ、ずっとこうしていたい……」 顔を覗き込んで掬うように桜色の唇に口づけると、手を離して首に両腕を回してきた。 何度も、何度も。互いの存在を確かめるように、キスを重ねていく。 「アスカ、愛してる」 耳に届く心地よい水音に意識を委ねながら、細い身体に腕を絡めて抱きしめる。 神聖な二人だけの世界で、俺はアスカと魂を求め合うように口づけを交わし続けた。

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