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act.5 Caged Kiss 〜 the 2nd day 4

「ごめん、ユイ」 車のリアシートで、俺は隣に座るユイに謝る。ユイの専属ドライバーにはアスカが連絡して引き上げてもらったらしい。 車窓越しに見えるのは、夕闇の迫るグラデーションの空。でもこの街の空はビルに囲まれてるから、落ちていく陽を見届けることができない。 「身体、キツイだろ。悪かった」 「どうして謝るの。僕、大丈夫だよ」 ユイはいつもと同じように、空気を柔らかく包み込むような微笑みを俺に向ける。笑顔がひどく痛々しかった。 「それに、あのお客さんに途中からもう一人呼ぶように言われて、ヒナがいいって事務所に電話したのは僕なんだ。でも、ヒナは嫌だったよね。ごめんね」 俺は首を横に振りながら、ぼんやりと窓の外を眺める。 街並みは絵の具が混じるみたいに茜色から薄紫色に移り変わり流れていく。 外の景色はクリアに見えるけど、このガラスはすごく堅いんだ。だから俺は、もう向こう側へは行けない。 『雄理って、耳が潰れてないんだな』 整った横顔を覗き込みながら、俺はそう話し掛けた。柔道をしてる奴は全員耳が潰れると思ってたけど、それは偏見だったらしい。 『寝技ばかりすると潰れるんだ。俺は寝技が嫌いだから』 三年に進級して、俺は雄理と同じクラスになってた。休み時間の教室で、春の陽射しを纏う雄理は、眩しいぐらいにきれいだった。 『陽向』 雄理は俺をそう呼ぶようになった。落ち着いたトーンの声で名前を呼ばれるのが、俺は好きだった。 『昇段審査が近いから、形の練習をしてるんだ。一度、見に来い』 柔道の形なんて全然知らないし興味があるわけでもなかった。だけど、雄理がそう言うから放課後に柔道場へと足を向けた。 そこには、他の部員と二人で投の形を練習している雄理がいた。 宙を舞う演舞のような動きに、目が釘付けになる。 凛とした眼差し。静かな空気を鋭い刃で切るような所作。その場にいた皆が、俺と同じように視線を奪われてた。 無駄な動きなんてひとつもない。目の前の空間を支配するように、雄理は次々に技を決めていく。 見る者を圧倒させながら黙々とひたむきに取り組むその姿は、この世の人じゃないみたいにただ美しかった。 その日以来、俺は気がつけば雄理のことばかり考えるようになった。時折見せる不器用な優しさに触れると、すごく嬉しかった。ただ傍にいて、他愛もないことを話して、そんな毎日が本当に楽しくて。でも、その時はまだその気持ちを何て呼ぶのかなんて、考えたこともなかったんだ。 そんなある日、俺は唐突に雄理に告白された。 『陽向……俺、彼女ができたんだ』 雄理が口にしたのは、違うクラスの女の子の名前だった。学校中の誰もが知ってるような、かわいらしくて清楚な感じの子だ。 『そっか、よかったな』 そう言いながら、どうしようもないぐらい俺は落ち込んでた。そんな自分自身にものすごく戸惑った。 この凛とした優しい眼差しを彼女に注いで、大きくてきれいな手で触れて、普段の素っ気なさからは想像もつかないような甘い声で、好きだと言うんだろうか。 いろんな想像が次から次へと湧き起こっては、ぐるぐると頭の中で巡っていく。胸が痛くて、息苦しかった。 ああ。俺、雄理のことが好きなんだ。 はっきりと自覚した途端、涙が出そうになって慌てて顔を背ける。 『じゃあ、これからは一緒にいない方がいいな。俺、邪魔だし』 無理に言葉を絞り出すと、雄理は首を振った。 『別に、今までと同じでいい。陽向は友達だから』 ──友達。 当たり前だったその響きが、今は俺を雁字搦めに縛りつける。 どうして好きになってしまったんだろう。この気持ちにきれいな終着点なんてないのに。 その頃から、雄理はすっかり変わってしまった。 結局その彼女とはすぐ別れたけど、間を置かずに別の彼女ができた。でもそれも、一ヶ月と持たなかった。 雄理は今までどれだけモテても女っ気は全然なかったのに、急に取っ替え引っ替えするようになって、何があったんだと周りの女子が騒ぎ出した。 雄理の俺に対する態度は変わらない。俺も表面上は今までどおりに取り繕おうとしてた。それでも、雄理が彼女と別れてまた新しい彼女ができる度に一喜一憂して、その度に神経はすり減っていく。 苦しさを紛らせようと、俺も女の子と付き合ってみた。相手は誰でもよかった。雄理ほどではないけど、こんな俺にも言い寄ってくれる女の子はそれなりにいた。片っ端から付き合ってたから、もう名前も思い出せない子だっている。 軽い付き合い。軽いキス。軽いセックス。 でも実際には、最後までできなかった。俺は誰とセックスしても勃たなかったから。 雄理から逃げたくて、でも離れたくなくて。 毎日が苦しくて、俺の中で何かが少しずつ壊れていった。

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