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act.6 Platinum Kiss 〜 the 1st day 3

「カズミさん。ここ、どうしたの」 二人で交互に熱い温度のシャワーを浴びていると、アスカが身体の一点に視線を留める。 「ガキの頃、事故に遭ったんだ」 十センチ程の古い縫合跡が、右の脇腹をザックリと斜めに走っている。 鮮やかに蘇るのは、幼い俺を取り巻く世界の全てを灼き尽くした、あの炎の記憶。 闇を切り裂くように照らす、忌々しい紅。 あの時俺に唯一残された希望の星は、もうこの世にいない。 アスカがそっと跪いて、指先で傷跡をなぞった。 「じゃあこの傷は、あなたの生きてきた勲章だね」 そう言って、醜く膨れた部分に舌を這わせていく。それがひどく神聖な光景に見えた。 肌に触れる柔らかな舌の感触に、俺は声を押し殺しながら息を吐く。 「……アスカ」 名を呼んで身体を引き起こし、唇を重ねる。口の中で互いの濡れた熱が混ざり合い同じ温度になる頃には、アスカの手は再び俺の下肢を弄り出していた。 「ねえ、もうちょっとだけ……」 しどけなく甘える身体を抱き寄せながら、ひどく狼狽えている自分がいる。 その理由はわかっていた。俺は誰かに求められることを恐れているからだ。 どうしてこんなにも容易く俺の懐に入ってくるんだろう。俺は、お前に酷いことをさせようとしているのに。 空と俺の両親は、親族と随分疎遠にしていたらしい。 事故で両親を亡くした七歳と五歳の姉弟を引き取ってくれる者は、とうとう現れなかった。けれどこの国には、そんな子どもにも生きる道が拓かれている。 俺たちは郊外の施設に入所が決まり、そこで集団生活を送ることになった。 乳幼児から十八歳までのおよそ五十人が暮らす児童福祉施設『ひまわりの家』は、入所する児童や職員から『ホーム』と呼ばれていた。 ホームにいる子どもは、様々な事情を抱えて過ごしている。俺たちと同じように親を亡くして身寄りがない者もいれば、親が長期入院中であったり、服役中だという者もいた。 そして、俺が十歳のときに入所してきた永井幸也は、親から棄てられた子どもだった。 入所初日の夜、幸也はホームの夕食に全く手を付けようとしなかった。 俺と同い年のはずなのに、ひどく小柄で枯れ木のような手足をしている。 心配した職員らが交互に幸也の傍に来ては食事を勧めるが、食べる気配はない。 たまたま向かいの席に座っていた俺は、箸さえ持とうとしない姿を見かねて幸也につい声を掛けた。 『ちゃんと食えって』 『お腹、すかないんだ……』 無表情で呟くようにそう声を漏らす幸也は、痩けこけた頬に目ばかりが大きく、見るからに痛々しくて堪らない風貌だった。 『──幸也』 俺の隣に座っていた空が、おもむろに立ち上がる。幸也の隣に回って屈み込みながら、柔らかく微笑んだ。 『大丈夫だよ。口、開けてごらん』 幸也の箸を手に取って白い米飯を掬い口元まで持っていく。 『私の真似をして。できるよね』 幼子に言い聞かせるように優しく言いながら、自らがあーんと声をあげて大きく口を開ける。 『ほら、やってみて』 根負けして、幸也が恐る恐る口を開ける。空はすかさずそこへ箸先を持っていき、遠慮がちに開いた口の中へと放り込んでしまった。 『ね、平気だよ。おいしいでしょ』 ゆっくりと咀嚼しながら、幸也がおずおずと頷く。 『じゃあ、次は一海ね』 悪戯っ子のような眼差しで俺に微笑みかける空に、なんで俺が、と言いかけて口を噤んだ。幸也が俺のことをじっと見つめていたからだ。 縋るようなその目を、振り払うことができない。 俺はスプーンを手に取り、コーンポタージュを掬って幸也の口まで持っていく。 誕生日。入学式。卒業式。新たに子どもが入所する日。 このホームで祝い事や節目のときになぜか必ず出されるスープは、幸福の色をしている。 『……ほら、食えよ』 そう促すと、震える唇がゆっくりと開いてそれを受け入れようとする。魂が抜けたように虚ろな瞳をしているのは、何もかもを諦めてきたせいだろうか。 こいつはここでもう一度生まれて、今度こそ幸せにならなければならない。 餌を与えられる雛鳥のように口を開けるその姿に、俺はそんなことを感じていた。 ホームの部屋は六人割りだった。 俺の部屋は五人しかいなかったために、その日入ってきた幸也と同室になる。 『風呂に行くから、お前も来いよ』 夜になっても入浴に行こうとしない幸也に、俺は痺れを切らして声を掛けていた。 ホームの風呂は大きめに造られていて、男用なら一度に十人は入れるようになっている。 集団で賑やかにするのが苦手で、俺はいつも決められた入浴時間の終わる直前に風呂へ行くようにしていた。その時間なら誰もいないことが多いからだ。 俺の誘いに幸也は戸惑った顔をしながらも頷き、後をついてきた。 俺は決して面倒見のいい人間じゃない。けれど、その時の幸也は見ていて放っておけないぐらいに危うく脆弱だった。 脱衣所へ行くと、いつもどおり中には誰もいない。服を脱ぎながら、ふと隣で同じようにシャツを脱ぐ幸也に目を向ける。 その後ろ姿を見て、俺は息を飲んだ。 痩せた背中を覆う、夥しい打撲痕。一面に広がるそれは、皮膚を黒く変色させていた。 何か硬いものを使って力一杯殴らなければ、こんな状態にはならない。 『これでもまだ、よくなったと思うんだけど』 俺の視線に気づいたのか、こちらを振り返りながら幸也が表情を歪ませる。そんなに痛々しい笑顔を俺は見たことがなかった。 『僕、駄目な子だから……ちゃんとできなくて、だから叩かれてたんだ』 『ちゃんとって、何をだよ』 『夜なかなか寝られないと、早く寝ろって叩かれたり……あと、お父さんやお母さんのために先生や周りの人に嘘をつこうとしても、すぐにばれちゃう。何をしてもうまくできない』 そう言って目を伏せる。 そんなことが子どもを殴る理由になるということが、俺には理解できなかった。

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