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act.6 Platinum Kiss 〜 the 1st day 5

十六歳の春が、すぐそこまで迫っている。 ホームで育った俺たち姉弟は、ある問題に直面していた。それは、空の退所だ。 もうすぐ空はここを出なければならない。ホームで子どもたちが暮らせるのは、十八歳の三月いっぱいまでと定められていた。 空は高校卒業後、大手の食品会社に就職が決まっている。仕事の内容は、工場でのピッキング作業だった。通勤に便利なようにと、勤め先の工場近くにある小さなアパートを既に契約していた。 空が施設を出て独り立ちをする準備は整っている。全てが順風満帆だった。そう、俺のことを除いては。 『一海、ここを出て一緒に暮らそう』 誰もいないホームの廊下ですれ違いざまに、空は立ち止まってそう切り出してきた。 口調は重くないが、硬い決意を思い切って口にしていることは感じ取れた。こちらを見上げるその瞳は、澄んだ空に瞬く星のように強い光を宿して煌めく。 『私、ずっと悩んでたし迷ってた。でも、やっぱり離れ離れはいや。私たちは家族なんだから』 艶やかな黒髪が白い肌によく映えている。見下ろしたその姿に自分の姉は華奢だと改めて思う。 いつの間にか俺は、美しく成長した空の身長を軽く超えてしまっていた。けれど、空にとって俺はいつまで経っても小さな弟だ。 『俺はここでいい』 強がってはいたが、本音を言えば空と離れることは不安だった。ずっと一緒に過ごしてきた唯一の肉親が傍にいなくなる。そんなことを想像するだけで、胸の中に自分自身ではどうすることもできない大きな空洞ができるような心地がした。 けれど俺たちが二人で暮らすことは、つまりは空に大きな負担を掛けるということだ。俺は空の足を引っ張りたくはなかった。ホームにいれば俺の生活は保証されるし、空に金銭的な迷惑を掛けることもない。 『一海と一緒じゃなきゃ、私は頑張れない。お願い』 そう言って空は俺を説得しようとした。 空の新しい住まいは、俺の通う高校から電車を使って一時間ほどのところにあった。そこからの通学は十分可能な距離だ。 『ごめん。でも俺はホームにいたいんだ』 理由をつけては断る度に、空の表情は曇っていった。俺はそんな姉を見るのが嫌で、空との接触を極力避けるようになった。 刻々と空が退所する日が迫ってきていた。けれど俺はどれだけ強く言われても、一緒にホームを出るという選択は取れなかった。 空との気まずい関係が続いた。喧嘩をしたわけではないのに、顔を合わせても妙にぎこちなくて会話が続かない。 終いには、入所したときから俺にベッタリと懐いていた幸也まで痺れを切らして口を挟むようになった。 『空があれだけ言ってるんだから、ちゃんと応えてあげないと駄目だよ』 幸也はまだ痩せ気味だったが、小さな頃に抱えていたものを克服して、ホームで人並みの生活を送れるようになっていた。 『空に迷惑を掛けたくないんだ』 居室で椅子に掛けながら素直な気持ちを口にすれば、幸也は小さく笑った。 『空は一海と離れることの方がずっとつらいから、一緒に暮らしたがってるんだよ。空と一海は血の繋がった姉弟じゃないか。遠慮なんていらない。一海だって本当は空と一緒にいたいと思ってるはずだ』 そう言って幸也はやり場に困ったように目線を少し下げた。どこか哀しげな瞳には、入所した頃よりもずっと生気が漲っている。 『僕は一海がここを出たらすごく淋しいよ。でも、手の届かないほど遠くへ行ってしまうわけじゃない。連絡だってできるし、会おうと思えばいつでも会える』 俺にとって幸也は世話の焼ける弟のような存在だった。幸也もきっと俺のことを慕ってくれている。だから、決して俺に対して軽々しくここを出るように言っているわけではないこともよくわかっていた。 幸也は喰い入るように俺を見つめていた。強い意思のこもる、真っ直ぐな眼差しだ。 落ち着いた声で、全力で俺の背中を押すように言葉を紡いでいく。 『ホームを出てから独り立ちするのは、きっととても大変なことだ。空の傍で支えてあげることができるのは、この世界で一海だけだよ』

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