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act.6 Platinum Kiss 〜 the 1st day 7※

幾度かの呼出音の後、応答があった。 アスカに渡した携帯電話は、着信音を消した上で自動応答になるようにしている。どうやら不具合なく作動しているようだ。 スピーカーホンに設定していることで、こちらの音も向こうに聴こえるようになっている。息を潜めて、食い入るように受話口を見つめ続けた 『夜景がすごくきれいだ』 ──聴こえた。 『素敵なところに住んでるんだね』 しどけなく甘えるような、アスカの声が耳に響く。 『飲み直そうか』 あの男の声がした。湧き起こる憎悪でゾクゾクと身の毛がよだつのを、俺はゆっくりと息を吐いてどうにか押さえ込む。 『ねえ、エイジさん』 さり気なく呼ぶその声は、よく注意していなければ気づかない程度の緊張感を孕んでいた。 『男の人とセックスしたことある?』 一体どんな顔でそんな言葉を口にしているのだろうか。 『……いや』 その答えが耳に届いた途端、理性を根こそぎ絡め取るようなあの美しい微笑みが見えた気がした。 『よかった、じゃあ──』 衣擦れの音は闇を裂き、隠された欲を掻き出していく。 『僕が初めてだね』 降りてきた静けさに、俺は息を潜めたままじっと耳をそばだてる。 ギイ、と小さな悲鳴が聴こえた。スプリングの軋みだろう。 『……ん……、エイジさん……』 鼻に抜けるような声。息遣いに混じる、濡れたリップ音。 地の底へと誘う優美な声に、俺はアスカの甘い匂いを思い出す。花の蜜のように男を惹きつけて捕らえる、官能的なあの匂いを。 衣擦れの音に混じって、立て続けに金属音がした。ベルトを外しているに違いない。 美しい眼差しでおびき寄せて捕らえた獲物を、アスカは確実にその身の内に沈めていくだろう。離れていても、その情景は容易に脳裏に浮かんだ。 『……ん、ん……っ』 淫靡な水音が耳に届いて、何かを口に含んだようなくぐもった声が受話口から漏れ聴こえる。その度に、背筋をゾクゾクと薄ら寒いものが走り抜けていく。 しばらくすると、誘うような甘い囁きが聴こえてきた。 『ここ、触って……』 愛しい人にねだるかのような言い方だ。アスカはもうあの男を完全に手中に収めている。 スプリングが深く軋んだかと思うと大きな喘ぎ声がした。 『あぁ、あ……っ』 上擦った声が刺すように鼓膜を刺激する。 『もっと、奥……、ん……ッ』 貪るようなキスの音。やがて、微かに聴こえてくる濡れた音が、この広いリビングの隅々を侵すかのように響き渡る。 『……ん、ふ……、んッ』 衣擦れ。スプリングの軋み。くぐもった呻き声。卑猥な水音。 頭の中で、渦を巻くように全ての音が廻りだす。甘い欲望を掻き立てる旋律に乗せられた強い毒は、男の身体中に回り込んでいくだろう。 『エイジさん……欲しい』 切羽詰まった熱の篭る声に──堪えられなかった。 電源を切り、携帯を床に叩きつける。小さな端末は重くバウンドして、毛足の長いカーペットに沈んでいった。 荒く息をつきながら、拳を硬く握り締める。 アスカは俺のために、姉を抱いたあの男に抱かれている。そうさせているのは俺なのに、鋭い棘で抉られたかのように胸が痛く、どす黒いざわめきは止まらない。 この衝動の正体は、嫉妬だ。 自覚はしていても、俺はそれに気づかない振りをする。 夜はまだ終わらない。 遠慮がちに扉が開く音がした。 忍び寄る足音。ベッドに腰掛ける気配。スプリングのわずかな軋み。 少し前まであの二人の様子を盗聴していたせいか、聴覚がひどく鋭敏になっているようだ。 ふわりと芳香な匂いが鼻をくすぐった。その身体から漂う甘い香りが、微睡む俺を覚醒させる。 うっすらと目を開ければ、カーテンの隙間から射し込む薄明かりが夜明けを告げていた。窓の向こうではもう空が白み始めているだろう。 「……ごめんなさい、カズミさん。起こしちゃったね」 囁くように謝罪の言葉を告げるアスカの声には、隠し切れない疲労がじわりと滲み出ていた。それでも俺の顔を覗き込みながら、美しい微笑みを見せる。 「大丈夫、うまくいったよ」 どんな顔をして、どんな声で泣き、どれだけ身体をしならせて、あの男を受け容れたのだろう。 まだ少しあどけなさの残るその顔を見つめ返せば、締め付けられるように胸がギリギリと痛んだ。 「もうシャワーはしたから……一緒に寝てもいい?」 そう言って、俺の返事を待たずベッドにスルリと潜り込んでくる。まるで猫のようだとぼんやり思った。 冷たい水でも浴びたのだろうか。アスカの身体は芯から冷え切っていた。 「一人じゃ眠れないんだ。夢を見るから」 その瞳が、わずかに潤む。それを見た俺は、胸の中に渦巻いていた正体のわからないわだかまりを押し殺してしまう。 細い身体をそっと抱き寄せれば、ゆっくりと息を吐きながら抱き返してきた。 アスカが見るという夢は、どんなものなのだろうか。 俺もよく夢を見る。空と一緒に見た、あの星降る夜空を。 夜の夢ばかりを見るせいか、いつの間にか俺は闇の中でしか呼吸ができない。 「カズミさん」 甘えるような声と共に、顔が近づいてくる。触れるだけの口づけは、物足りなさを感じさせないほどに穏やかで優しい。 「おやすみなさい……」 そう言って、アスカはそっと目を閉じる。間もなくして寝息が聞こえてきた。 なんて無防備に眠るのだろう。 無垢な寝顔は、二十歳という年齢よりも幼く見える。その身体が放つ甘い匂いが、俺を優しく包み込んでいく。 俺は眠りに堕ちたアスカを抱いたまま、再び微睡みが訪れるのをじっと待ち続けた。

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