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act.6 Platinum Kiss 〜 the 3rd day 8
真っ直ぐに前を向き、泳ぐ魚の群れを見るアスカは今にも泣き出しそうな顔をしていた。
青い光を仄かに反射するその姿は、繋ぎとめておかなければ今にも水に溶け込んで泡になり消えてしまいそうだった。
「いいよ、ほら」
そう返事をして、手を差し出す。どうせ周りは知らない奴ばかりだ。どう思われようと構わない。
アスカの手を取って指を絡めてやると、繋いだ手をしっかりと握りしめてきた。指の長い、華奢な手だ。
少しひんやりとしたその感覚を心地よく感じながら、俺は気づく。アスカとは身体を重ねているのに、手を繋いだのはこれが初めてだということに。
「カズミさん、ありがとう……」
ぼんやりとした表情でそう呟いたアスカは、潤んだ瞳で目の前の水槽をただじっと見つめていた。
この水族館の目玉だというイルカショーの上演中も、アスカは心ここに在らずという様子で、まるで上の空だった。ここがいいと言うから連れて来たのに、全く楽しんでいる気配はない。
イルカが弧を描いて宙を舞う度に、跳ね上がる水飛沫の残影を追うように眺めている。
虚空を見つめるアスカの手を引きながら、館内を周遊していく。
それまで無表情だったのに、ぴょこぴょこと歩くオウサマペンギンを見たときだけ、アスカはそっと笑みを浮かべた。
「子どもって、ペンギンが大好きだよね」
何かを懐かしんでいるような微笑みだ。その様子に、俺はようやく気づく。
ここはアスカにとっての大切な想い出の場所なのだということに。
俺は知らないうちに、アスカの過去に付き合わされているのだろう。
深い青のグラデーションに輝く水槽の中を縫うように、極彩色の深海魚が優雅に泳いでいる。それを俺はアスカの隣でただ眺め続けた。
冷たく暗い海の底で生きるこの魚は、自分がどれだけ鮮やかな色をしているのかを知らない。
館内を一周して辿り着いた最後のコーナーには、美しくライトアップされたクラゲの水槽が並んでいた。
暗闇の中で色とりどりの光を纏って発光するクラゲは、傘を広げては窄め、長い足を縺れさせながら自由気ままに水中を揺蕩う。
水に溶け込んでしまいそうに儚げなその姿は、狭い空間の中で伸びやかに揺れ動く。
とりわけ目を奪うネオンブルーに染まった水槽の前で、アスカが立ち止まった。光り輝く青い生物がゆったりと泳ぐ様を、目で追っていく。
キラキラと宝石のように煌めくその姿は、ひときわ美しい。
『ギヤマンクラゲ』
水槽に掲げられたプレートの文字を読んで、その名を確認する。
「ギヤマンって、ガラスのことなんだな。確かにきれいだ」
何気なくそう呟いた途端、繋いだ手を強く握りしめられる。思わず振り向けば静かに涙を流すアスカの横顔が見えた。
この世界の全ての哀しみを背負うかのような、悲愴で美しい泣き顔だった。
「おい、アスカ」
狼狽えた俺の呼び掛けにアスカは俯く。その拍子に幾つもの大粒の涙がはらはらと落ちていった。
「ごめんなさい」
振り絞られた声に合わせて、華奢な肩が小さく震える。
「ごめん……」
俺に言っているわけではないのはわかっていた。
では、誰に謝ってるのだろう。
問い質したいのを堪えながら、俺は繋いでいた手を解く。アスカの腰に腕を回し、壊れ物を扱うかのように抱き寄せた。
本当なら恥ずかしくて仕方のない状況のはずだ。けれど人目も憚ることなく涙を流すその姿はあまりにも痛々しい。
「いいよ、アスカ」
だから俺は、赦しの言葉を掛けずにはいられない。
息を殺しながら涙をこぼし続けるアスカの細い腰を引き寄せながら、幻想的な青に浮かぶガラス細工のような生き物を見つめ続けた。
夕暮れが近づいている。
帰りの車内で、アスカは少しずつ落ち着きを取り戻しているように見えた。
「……全部、忘れられると思ったんだ」
フロントガラス一面に拡がる青と橙色のグラデーションを眺めながら、アスカはぽつりと呟いた。
「でも、どうしても……」
美しいカーブを描く頬に落ちる睫毛の影が、小刻みに揺れている。
アスカの抱えるものが何かを俺は知らない。けれど、背負う荷はその細い肩には重過ぎるのだろうと思った。
何の慰みにもならないことはわかっていながら、片手でステアリングを握りしめて空いた手を伸ばす。繊細な作りをした手を取ってしっかりと繋いだ。
それに応えるように、絡めた指に力が込められる。少し冷えた掌の感触が伝わってきた。
「カズミさんのことが好きだ」
唐突にアスカがそんな告白をしてきた。
「何となく感じるんだ。カズミさんは、過去を生きている人だって。だからこそ僕はカズミさんに惹かれてるのかもしれない。契約したこの四日間は、あなたに全てを捧げたい。本当にそう思ってる」
過去を生きている。
それは、肉体がここに存在するにも関わらず、魂は記憶の中を彷徨っているということだ。
おもむろにウインカーを出して、車を高速道路の路肩にとめる。身体を助手席側に向けてから、右手をアスカの頭に回してこちらへと引き寄せた。
穏やかで優しい口づけを交わす。柔らかな弾力の唇を割って舌を挿し込めば、甘い吐息が流れ込んできた。
「ん……」
身を乗り出して抱きついてくる身体をしっかりと支えてやる。
アスカ、お前も記憶に引き摺られて生きているんだな。俺と同じように。
「カズミ、さん……」
唇を離せばアスカは恍惚とした顔をしていた。熱っぽく頰を染めて名前を呼んでくる。
それほど深いキスではなかったのに、その瞳にはもう溢れんばかりの情欲が浮かんでいた。
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