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act.6 Platinum Kiss 〜 the 4th day 1

「……ごめんなさい」 遠慮がちに扉が開く音に顔を上げれば、シャツ一枚を気怠げに羽織るアスカの姿が視界に飛び込んできた。 射し込む陽の光に目を細めながら、リビングに足を踏み出してこちらに歩み寄ってくる。その足取りがしっかりしていることに少し安堵した。 「具合はどうだ」 「大丈夫。起こしてくれてもよかったのに」 白い壁に掛かる時計の針は、正午を示そうとしていた。 困惑した顔をして上目遣いで俺の様子を窺う姿は、二十歳という年齢よりもあどけなく見える。 「シャワーでも浴びて来いよ。メシは今用意してるから」 「いいよ、僕がする」 戸惑いを覗かせてそう言うアスカは、手を伸ばせば届く距離で艶めかしい色気を放ちながら俺を見つめる。 わずかに幼さを残した頬に触れて、うっすらと開いた桜色の唇を親指でそっとなぞってからおもむろに口づけた。細い腰を抱き寄せれば、待ち兼ねていたかのように身体を委ねてくる。 アスカの唇は熱を失って乾いている。朝露がしっとりと花弁を濡らしていくように、時間を掛けて何度も唇を重ね合わせた。 柔らかな下唇を小さく吸って、名残を惜しみながらゆっくりと離していく。互いの息遣いを感じて見つめ合う時間は、甘く穏やかだった。 「じゃあ、お言葉に甘えて行ってくるね。少し待ってて……」 ふわりと花が開くように微笑んで、アスカは俺から離れていった。遠去かるしなやかな後ろ姿に、激しい情事の記憶が蘇る。 アスカはその華奢な背中に目に見えぬ十字架を背負っているのだ。 ダイニングテーブルに並ぶシンプルな白い器に視線を移しながら、アスカは俺と向かい合わせに腰掛ける。 鷹の爪とオリーブオイルを絡めたシンプルなパスタに、あり合わせの野菜を切っただけのサラダ。 二食分を兼ねた食事は、全く手の混んだ料理ではなかった。それでもアスカは俺の顔を見て嬉しそうに笑う。 「素敵だね。ありがとう」 こうして一緒にいると、もうずっと前からアスカとここで過ごしてきたような気がする。その姿はこの空間にごく自然に溶け込んでいる。 恐らくそれがアスカの持つ特別な力なのだろう。どんな場所にも、誰の心の中にもするりと入り込んで、自然な形で馴染んでいく。 けれどアスカは、自分の心には決して踏み込ませようとしない。 「いただきます」 アスカは手を合わせて、まず水の入ったグラスに口を付けた。ゆっくりと喉を動かしながら、みるみる一杯分を飲み干していく。 ああ、そうか。喉が渇いていたんだ。昨夜あんな状態だったのだから、無理もなかった。 替えの水を入れ直してから、アスカはフォークにパスタを絡めて口に運び、ゆっくりと味わうように咀嚼してから飲み込んだ。さらりとした髪に窓から差し込む陽の光がキラキラと反射している。 昨夜この腕の中で乱れていたあの姿からは想像もつかないような、清らかな笑顔を向けてくる。 「おいしい」 「大したことないだろう。正直、料理はあまり得意じゃない」 ホームを出てから空と二人で暮らしていた日々を思い出す。せめて人並みに食事の支度ができるようにならなければと思い料理に取り組んだのは、あのわずかな期間だけだった。 「そんなことないよ、カズミさん。本当においしい」 アスカは柔らかな眼差しで俺を見つめながら、フォークの先に器用に巻きつけたパスタに視線を移して言葉を続けた。 「誰かに作ってもらった料理って、すごくおいしく感じるよね。僕が一緒に住んでる人も、料理が得意なんだけど……」 アスカの言う相手が誰なのかは、わかっていた。 「あのバーのマスターか」 そう口にした途端、アスカの顔色は陽に翳りが射したように曇っていく。 「……カズミさんがPLASTIC HEAVENに来たときには、もうこの契約についてある程度理解していたって聞いた。僕のことは、インターネットか何かで知った?」 嘘をついても仕方がなかった。俺は正直に頷く。 「ネットに出回っている情報を頼りにあのバーへ行ったのは確かだ」 「そうなんだね」 フォークを持つ手を置いて、アスカは目を伏せる。長い睫毛が頬に小さく影を落とした。 「こういうことをするのはもう潮時だって言われた。確かにそうかもしれない。僕のことは知られ過ぎてしまっている」 そんなことを言うのは、あのマスターなのだろう。契約を交わしたときに店でやり取りしたことを思い出す。 『……あいつは、今あまり外に出せる状態じゃないんだ』 アスカと一緒に暮らすあの男は、そう口にして俺のことも断ろうとしていた。今ならその意味がわかる気がする。 ──僕は、人を殺したことがあるんだ。 昨夜アスカが意識を失う寸前、唇からこぼた言葉。 まさかそんなことがあるはずはない。そう心の中で否定しながらも、俺は心のどこかで危惧している。 我が身を顧みようともしないアスカのひたむきさは、諸刃の剣だ。それが誰かのためになるのだとすれば、自らの手が汚れることも厭わず人を殺すことができる。目の前のアスカからは、そんな強い気概さえ感じられる。 「でも、まだなんだ」 アスカはぽつりと呟いた。その瞳は俺を通して遥か遠くに向けられている。 桜色の唇から淡々と紡がれる言葉は、俺にではなく自分自身に言い聞かせているかのように聞こえた。 「僕はまだ、赦されていない」

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