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act.6 Platinum Kiss 〜 the 4th day 4

力をこめて繰り返し胸骨を圧迫しながら、俺はなぜか子どもの頃に見たプラチナの夜空を思い出していた。 最後に空と二人で見た、星降るような煌めく美しい夜。 ──じゃあ、一海の夢を叶えるのが、私の夢。 『空……』 視界がゆらゆらと揺れながら霞んでいく。 人の生命を救う仕事がしたいだなんて、どうして俺はあんな馬鹿なことを言ったのだろう。 星ひとつ見えない闇の中で無駄に足掻き続ける俺は、目の前にいる大切な人の生命さえ救うことができない。 そのまま、空は帰らぬ人となった。 ただ一人の遺族として葬儀を終え、空が住んでいたマンションで遺品の整理をしているうちに、わかったことがある。 空名義の預金口座から、ここ三ヶ月で数回に渡り合計五百万円の現金が引き出されていること。 早川瑛士の名刺に記載された会社はこの世に存在せず、携帯電話の番号は既に不通になっていること。 そして、空のハンドバッグから出てきた光沢のある薄い感熱紙を俺は呆然と見つめ続ける。 白黒の超音波写真に刻まれた日付は、空の亡くなる前日だった。 空は、妊娠していたのだ。 俺は早川瑛士を必死に捜し出そうとした。インターネットで検索を掛け、似た名前を含めて片っ端からあたっていくうちに、ある掲示板を見つける。 そこでは、早川瑛士に騙された女たちが被害者の会を結成し、各々の経緯について書き込みをしていた。 警察に駆け込んだという者も何人かいたが、いずれも事件として立証することは難しいと突き返されている。 法の隙間を掻い潜って、自分に絆された女から金を騙し取ることで生計を立てる、下劣極まりない人間。 空が愛した男は、幾つもの偽名を使い分けては女をその気にさせて金をむしり取り、姿を消していく狡猾な詐欺師だった。 俺が早川に騙された被害者とコンタクトを取り、入手した写真をもとにその行動範囲から本人を特定するまで、そう時間は掛からなかった。 空の無念は、俺が必ず晴らす。 それさえ果たすことができれば、もう何も望まない。 アスカと二人で、何度もシミュレーションを繰り返していく。 頭の中のイメージを行動に移す作業に取り組むうちに、俺はいつしか重厚な儀式の予行をしている気分になっていた。 「僕、あの人のこと嫌いじゃないよ」 クイーンサイズのベッドに二人並んで寝そべっていると、アスカがおもむろにそんなことを口にする。 『あの人』というのは、早川瑛士のことに他ならなかった。 「嫌いな人とは、セックスできない」 アスカは淡々と言葉を紡ぐ。仰向けになり目を閉じるその姿は、神に捧げられた美しい生贄のようだ。 「身体を重ねれば、その人がどういう人なのかが何となくわかるんだ。あの人は僕と少し似てる」 「まさか、情が湧いてきたのか」 俺の問いかけには答えることなく、アスカはただ目を閉じて無防備に横たわっていた。俺は身体を起こし、手を伸ばしてその細い首に触れる。 指先を這わせれば、容易に頸動脈を探り当てることができた。熱く脈打つそこを押さえても、アスカは身じろぎもしない。 今、この生命の灯火は俺の掌中にある。 「大丈夫だよ。僕の四日間を契約したのはカズミさんだから。今日が終わるまで、僕の全てはあなたのものだ」 アスカはゆっくりと目を開ける。美しく煌めく瞳は、穢れを知らない子どものように澄んでいた。俺の顔を映すその双眸に、みるみる光が滲んでいく。 「だから、殺してもいいよ……」 首に掛けた手に少しずつ力を込めていけば、アスカは再び目を閉じる。 何もかもを受け入れる覚悟を当たり前のように備えてここにいるのだろう。 そのまなじりから伝い落ちた涙は、キラキラとプラチナの輝きを纏いながら細い筋を描いていく。 首元から手を離してその光を指で拭えば、うっすらと瞼が開いた。 「カズミさんのことが、好きなんだ」 微かに震える声で伝えられるのは、罪深き偽りの告白。そのきれいな顔に覆い被さり、そっと唇を合わせていく。 アスカと一緒にいることで呼び起こされるのは、郷愁に似た感情だ。けれのそれを何と表現すればいいのかもわからない。 だから俺は、アスカのついた嘘に嘘を重ねることを選んだ。ゆっくりと唇を離して、囁きで罪をなぞっていく。 「……好きだ、アスカ」 きれいなその瞳に俺を映しながら、美しい人は夢見るように微笑んだ。両腕が伸びてきて、縋るように抱きしめられる。 アスカは、人を殺したことがある。 昨夜、朦朧とする意識の中でそう口走ったことをアスカはきっと憶えていない。 もしもお前の言うことが真実だとすれば、人を殺すことはこの世界で最も美しき罪なのだろう。

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