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act.6 Platinum Kiss 〜 the 4th day 9
「──嘘だ」
そう呟きながらも、俺は心の中で自分の言葉を否定していた。
こいつの話に偽りがないことを、本能で感じ取っていたからだ。
「本当に……悪かった」
今や銃口を向けられたこの男よりも、引き鉄 に指を掛けている俺の方が震えていた。
「やめてくれ……!」
そんな苦渋に満ちた表情をするなよ。俺が見たかったのは、その顔じゃない。空を騙して死に追いやったことを、お前に心底後悔させてやりたかったんだ。
死にたくない助けてくれと泣き喚いて命乞いをするお前の無様な面を拝みながら、情けをかけることなく殺す。空が死んでからこの二ヶ月、ただそれだけのために俺は生きてきたんだ。
突然、扉の開く音がした。
「なんだ。まだそんなことをしてるの」
部屋に響くのは抑揚のない澄んだ声だ。振り返れば、衣服を纏った美しい男が微笑みを浮かべながらゆっくりと歩み寄ってくるのが見えた。
髪が濡れているのは、シャワーでも浴びていたのだろうか。まさか、こんな状況で。
呆気に取られる俺の前で、アスカは鳥が飛び立つように軽やかにベッドに飛び乗った。その弾みでスプリングが小さな音を立てて軋む。
「お前、まだ」
帰ってなかったのか。
そう言い終える前に、俺は把持していた拳銃を奪い取られていた。
全てが一瞬だった。
そのまま両手でグリップを握りしめて、アスカは銃口を男の頭に押しつける。
「おい、アスカ」
目を疑う光景に、俺は焦ってその名を呼ぶ。アスカは俺に視線を流して、穏やかな口調で語り始めた。
「カズミさん、僕には最初からわかっていたんだ。あなたに人を殺すことはできない」
真実を射抜く瞳は背筋が凍るほど強く美しい光を放ち、妖しく煌めく。
男は目を見開いて横目で必死にアスカを凝視していた。きっとこいつも肌で感じているのだろう。アスカが戯れでこんなことをしているのではないということを。
「こんな口車に乗せられて簡単に絆されるなんて、あなたは本当にいい人だ。でも、そんなことではお姉さんの仇は討てない」
穏やかな声で強い言葉を紡いだ口元が、微笑みの形を結ぶ。けれどその眼差しは、揺らぐことなく真っ直ぐに銃口の先を捕らえていた。
「エイジさん、僕はあなたが好きだったよ。僕に見せてくれた優しいところも、弱いところも。あなたと一緒に過ごした時間は、短かったけど本当に楽しかった」
想いを告げる口振りは単調で、まるで用意された台詞を読むかのようだ。
故意に感情を押さえつけて語っている。そんな印象を受けた。
「ねえ、言ったよね。僕は人を殺したことがあるって」
心地よい低音で投げかけられた言葉は、俺に向けられたものだった。
冷たいものが背筋を這い上がっていく。薄ら寒くて堪らない。
「一人殺してるんだから、もう一人殺すのも変わらないんだ」
その瞳が薄っすらと潤んで、小刻みに震えた。
自らを穿とうとする杭を進んで呑み込んでいくかのようなその姿に、俺は息を詰めて見入る。
アスカ。お前が殺したと言うその相手は、一体誰なんだ。
「ねえ、エイジさん。知ってた? この人のお姉さんは、妊娠してたんだ」
唄うように紡がれた言葉に、男の顔が険しさを増す。
「妊娠って……」
「もちろん、あなたの子どもだよ。彼女はあなたと家族になろうとしていたんだ」
「……そんな」
男は眉根を顰めながら見開いていた目を閉じた。自責の念に駆られたかのように、唇を震わせる。
「空が、俺の子を」
「悔やむことはないよ。彼女と、彼女のお腹の中にいた小さな生命。あの世であなたを待つ二人に会って、気が済むまで謝ればいい。エイジさん、初めて会った時に僕と約束したことを憶えてる?」
甘く囁きながら、アスカは深い哀しみを閉じ込めた眼差しを男に向けて、優しく微笑んだ。
「僕が、あなたを連れて行ってあげるって」
魅惑的に奏でられる別離の台詞に被さるように、低く響く声が不意に耳元で蘇る。
それはPLASTIC HEAVENのマスターが言っていた、あの言葉だ。
『アスカが無茶なことをしようとしたら、絶対に止めてくれ』
──もう、後悔したくない。
細い人差し指に力が込められて、引き鉄がギリギリと絞られていく。目の前で繰り広げられるコマ送りのモーションに、心臓がドクリと大きな音を立てて鳴り響いた。
その弾みで俺は声に出して叫ぶ。こんな下らない俺の代わりに、罪を犯そうとする者の名を。
「アスカ!」
頭で考えるよりも早く、身体が動いていた。
緊張を孕み膨張していた時間が、この掌の中で堰き止められる。
アスカが押し殺していた息を漏らした。三人分の呼吸音が、渦巻くように部屋を満たす。
力一杯右手で握り込んだシリンダーは、凍てつくほどに冷たい。
『回転式拳銃は、引き鉄を引くことでシリンダーが回って弾が発射される仕組みになってるんだ』
そう言って幸也は蓮根型のシリンダーを開き、俺に見せる。中は空洞になっていて、弾が入っていないのが確認できた。
カチャリという音と共にシリンダーが閉じられて、拳銃を渡される。
『一海。撃鉄を起こしたら、引き鉄に指を入れて』
言われるままにグリップを握り締め、撃鉄を起こして引き鉄に指を掛ける。幸也が手を伸ばし、シリンダーを包み込むように右手を被せて上目遣いで俺を見た。
『撃ってみて』
指に力を込めるが、ビクともしない。
『こうしてシリンダーを固定してしまえば、引き鉄を引くことができないんだ。つまり、銃から弾は出ない』
幸也。お前の教えてくれたことが役に立ったよ。
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