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act.6 Platinum Kiss 〜 the 4th day 10
「アスカ、銃を離すんだ。頼む」
発砲を喰い止められたことに安堵の溜息がこぼれた。
必死に説得しようとする俺を見て、アスカは不意に表情を緩ませた。憑き物が落ちたかのように、その顔に穏やかな微笑みが戻ってくる。
アスカは硬く握りしめていたグリップをゆっくりと手離して、拳銃をこちらに差し出してきた。澄んだ眼差しで、ただ俺をじっと見つめる。
桜色をした唇が紡ぐのは、意外な事実だった。
「……中の弾を確認して」
──まさか。
言われるままにシリンダーを開けて銃口を上に向け、掌に弾を落とす。落とさないようにしっかりと受け止めた弾は随分軽い。鈍く光る真鍮の先端をよく見れば、プラスチックで加工されていた。
「これはね、一昨日ミリタリーショップに寄って買った空薬莢 。火薬は入ってない」
「お前……すり替えたのか……」
いつの間に。
呆気に取られながら、俺は記憶を手繰っていく。
誤射することのないよう細心の注意を払いながら拳銃に実弾を装填したのは、アスカとこの部屋で何度も復讐を果たす段取りを確認した後だった。
『もう一度だけ、寝室を確認しておきたいんだ。すぐに済むから、少し待ってて』
家を出る前に、そう言ってアスカが一人でこの部屋に戻っていったことを思い出す。
あの時に違いない。
唖然とする俺の目を見ながら、アスカは悪戯っ子のようにあどけなく笑う。
「びっくりさせてごめんなさい」
今や完全に自由の身になった姉の仇は、面喰らった様子でアスカの顔を呆けたように見つめていた。今の俺もきっとこんな顔をしているのだろうと、他人事のように考える。
「カズミさん、大丈夫だよ」
アスカは匂い立つような艶やかな微笑みを俺に向けてくる。
ああ、なんてきれいなのだろう。この状況でさえそんなことを思ってしまう。
「あなたは誰かを救える人だ。あんなに憎んでいたこの人の生命だって、救うことができたじゃないか」
俺にそう言ってから、天使の笑顔で今度は男を見下ろして語り掛ける。
「エイジさん、あなたはこれから罰を受けながら生きていくんだ」
唇からこぼれる響きは、ひとつひとつ美しさを伴って重厚に聞こえる。宝石のように光輝く魔法のような言葉で、アスカは忌まわしいこの世界を覆していく。
「罪を償って死ぬことより、罪を背負ったまま生き続けることの方がずっと苦しい。僕はそう思う」
アスカを隣に乗せて、俺は車を走らせる。
フロントガラスには澄み切った夜空が一面に広がっていた。
今夜なら、きっと大丈夫だろう。
パワーウィンドウを開けると、流れ込む冷たい空気が頬にあたり心地いい。
ふと隣に目をやれば、アスカのさらりとした髪が風に靡いていた。一欠片の曇りさえない美しい眼差しが、俺を捕らえる。
「風が気持ちいいね」
その言葉に頷きながら、差し出されたアスカの右手を左手でそっと握っていく。
身体に纏わりつき心の奥まで侵蝕していた全ての柵 を断ち切るように、俺はアスカを連れて夜の世界を駆け抜ける。
冷たい風にそよぐ緑の草原を、一歩一歩踏みしめる。懐かしいあの丘は、昔と全く変わらない光景を保っていた。
誰もいない世界の片隅で、俺はアスカと並んで仰向けに寝転ぶ。芝生の匂いに包まれて目を閉じると、冷えた地面に背中が吸い込まれていきそうだった。
このままじっとしていれば、この身体が大地の一部になれるような錯覚がする。
長い歳月を経て、人はいつか土に還っていく。
「本当だ。星がすごくきれい」
アスカが感嘆の声を漏らす。プラチナの輝きが、砂をこぼしたかのように夜空を覆い尽くしていた。
「子どもの頃、空と一緒にホームを抜け出して、よくここで星を見ていた」
風が吹くたびにサワサワと草が音を立ててそよぐ。そのざわめきは、人の話し声にも似ていた。
「ここへ来れば、死んだ両親に会える気がしたんだ」
『人は死んだらお星様になるのよ』
幼い頃、ホームの職員が口にしたことを、空と俺は信じていた。
肉体は土になり、魂は空へと昇る。そうして人は自然に還っていく。もう目には見えず、触れることも話すこともできないけれど、この世界のどこかで確かに存在する。それが人の死なの
だ。
両親を失った俺たちがホームに入所して間もない頃、そんなことを教えてくれたのは年若い女の職員だった。
自分も施設育ちだというその人は、それから数年で別の施設へ移ってしまった。もう名前さえ憶えていないけれど、その穏やかな笑顔は今でも記憶の片隅に残っていた。
アスカがおもむろに天に向かって手を伸ばしていく。
「確かに、ここは天国に近い気がする」
もしかするとあの場所よりも。
そうアスカは小さく呟いた。
天国に近い、高い場所。それが今アスカの住んでいるところなのかもしれない。
死者の魂は、その手に掴むには遠過ぎる。だから俺は、手を伸ばしてその細い手を握りしめた。
指を絡めながらそっと地面へと降ろせば、アスカは子どものように穢れのない眼差しを俺に向けてくる。
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