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act.6 Platinum Kiss 〜 the 4th day 12

そう返せば、アスカは屈託のない笑顔を見せながら畳み掛けるように話し続ける。 「でも、警察には捕まったことがない。年齢も受験資格は満たしているはずだ。試験は受けられる」 「だからと言って、そんなわけには」 「カズミさん」 言葉を遮って、アスカが俺の顔を覗き込む。ずっと繋ぎ続けている温かな手が、俺に勇気を与えるように強く握り返してきた。 「カズミさんの夢を叶えるのが夢。おねえさんはそう言ってたんだよね」 余計なことをベラベラと話してしまったことを瞬時に悔やむ。あからさまにそれが顔に出てしまったらしく、アスカはそんな俺を見ながら目を細めて笑った。 「やってみて、もしも駄目だったらその時に考えればいい。だってもったいないよ。カズミさんには人を救う力があるのに」 人を救う力。 俺ではなくお前こそが、それを備えているんだ。 「おねえさんは、カズミさんのことを本当に愛してたんだね」 不意にアスカがそんなことを言い出す。 街が近づくにつれて空は少しずつ濁り、星が遠くなっていく。けれど俺はもう知っていた。目には見えないけれど、この空の向こうには確かに数多の星が存在していることを。 「エイジさんは顔立ちだけじゃなくて、ちょっとした表情や仕草が本当にカズミさんとよく似ていた。僕はあの人と一緒にいたとき、何度もカズミさんじゃないかと錯覚したよ。おねえさんがあの人に惹かれた理由がよくわかる」 あの男に似ていると言われて、やはりいい気はしない。それが空があの男を愛した理由のひとつなのだとすれば──そんなことを想像するだけで、居た堪れない気持ちになる。 アスカの澄んだ瞳は俺の胸中を全て見透かしているかのようだ。見つめ合えば美しい微笑みを向けられて、どうしようもなく心がざわめく。 「僕もカズミさんが好きだ」 アスカは躊躇いもなくそんな告白をする。そこに恋情はなくとも、その言葉に偽りがないことはわかる。 穢れのない眼差しは、無垢な子どものように煌めいて俺を映し出す。 アスカと過ごす時間が、終わろうとしていた。俺たちの人生が交わることも、もうないのだろう。 別れが近づくにつれて、今更ながら名残惜しさが胸の中に押し寄せていた。 「本当にいいのか。家まで車をつけるのがまずいのなら、せめて近くまで送っていく」 「いいんだ。少し寄り道をしようと思ってるから」 そう言って目を逸らしたアスカの表情は憂いを帯びていて、みるみる翳りが射していく。 その様子が気掛かりだけれど、引き留めることはできない。PLASTIC HEAVENで契約したアスカとの時間は、四日間を終えた午前0時まで。それを必ず守るという条件が、マスターとの契約に含まれていた。 客待ちのタクシーが並ぶ真夜中のロータリーに車をつける。ドアロックを解除する音が鳴り響いた瞬間、アスカは顔を上げて俺を見つめた。 作りもののように整った美しい顔には、うっすらと笑みが浮かんでいる。 潤んだ眼差しは、今にもそこから涙がこぼれ落ちそうに揺らめいていた。 なんて淋しげな顔をするのだろう。 このままアスカを行かせてはいけない。そう強く思った。 「……おいで」 繋いだ手を強く引いて、こちらに傾いた身体をしっかりと抱きとめる。小刻みに震える肩をそっと撫でて宥めるように背中をさすれば、アスカは詰めていた息を吐きながら両腕を回して抱きついてきた。 ほんの気休めにしかならないのはわかっている。せめて今だけでも、お前が背負うものを降ろしてほしいんだ。 「アスカ、ありがとう。俺はお前に救われたよ」 耳元でそう囁くと、俺を抱きしめる腕に力が篭る。 「……本当に?」 大きく頷けば、耳元で安心したように小さな吐息が聞こえた。 「カズミさん」 ゆっくりと顔を上げてこちらを向くアスカの頬は、涙に濡れていた。瞬きをする度に、次から次へと光の筋が頬を伝い落ちていく。 「やっぱりあなたは人を救えるんだね」 そう言って柔らかな微笑みを向けながら、顔を近づけて唇を重ねてくる。合わさる部分から流れ込むのは、ずっと昔に姉と無数の星を見上げながら抱いていた、甘く懐かしい感情だ。 哀しみも苦しみもない穏やかな優しい世界を、俺たちは束の間味わう。 『罪を償って死ぬことより、罪を背負ったまま生き続けることの方がずっと苦しい』 アスカ。罪を背負って生き続けたその先に、何かがあると信じられないか。 「さようなら、カズミさん」 淋しげな顔で俺を見つめたまま、アスカは助手席のドアを開ける。繋いだ手が離れれば、ぬくもりを失った肌に冷たい空気が触れた。 車内にゆらりと(くゆ)る甘い花の残り香が、俺の鼻腔を掠める。 午前0時。 プラチナの夜を超えて、美しい罪人は巡礼の旅へと還っていく。

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