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act.6 Platinum Kiss 〜 epilogue 1

小洒落たダイニングバーに足を踏み入れる。かつて家族のように暮らした旧友とこの店で再会したときの記憶が蘇ってきた。 四人掛けの席に向かい合って腰掛ける。幸也は いつもと同じように愁いを含んだ眼差しで俺をじっと見つめていた。 既に全てを察しているかのようなその視線から目を逸らし、俺は足下に置いたアタッシュケースを見ながら口を開く。 「せっかく調達してもらったんだが、用がなくなった。俺が持っていても仕方ないから、できればお前に返したいと思ってる。無理か」 そう切り出すと、幸也は小さく頷いた。 「何も問題ない。僕が引き受けるよ」 腕を下に伸ばしてアタッシュケースを前に押し出しすと、幸也がケースの取っ手を握り、素早く自分の足下に引き寄せた。そうして何事もなかったかのように顔を上げる。 「やっぱり、使わなかったんだね」 その落ち着いた穏やかな表情が、まるで予想どおりに事が進んでいくのを見届けているかのように見えた。 「正確な言い方をすれば、使わせてもらったが弾は減ってない。だからこうして返しに来たんだ」 俺の言葉に一瞬目を見開いて、幸也はわずかに頬を緩ませた。 「わかってたよ。一海は人を殺せる人間じゃない」 俺は決して善人ではない。それなのに、同じような言葉をアスカにも言われたと思い出す。 「それで──これからどうするの?」 テーブルの上で軽く手を組みながら、幸也は上目遣いで俺を見つめる。 これからのこと、か。 幸也は何もかもをわかっている。俺があの男への復讐を果たすつもりがなくなったことも。もう今までのように、幸也から仕事を受ける気はないということも。 「勉強して、消防士の採用試験を受けようと思ってる。今更だが、子どもの頃の夢を追いかけたいんだ。無理かもしれない。でも、やれるだけやってみようと思う」 鼻で笑われてもおかしくないことを口にしたにもかかわらず、幸也は納得したように頷いた。俺に控えめな微笑みを見せる。 「そうか。ホームにいた頃、救急救命士になりたいって言ってたね」 救急救命士になりたいのなら、本来であれば大学や専門学校で救命士の資格を取ってから消防士の採用試験を受けるのが確実だ。けれど俺の年齢では、資格を取るために何年も学校へ行くうちに、採用試験の年齢制限が近付いてくる。 先に消防士として採用されてから、経験を積んだ上で険しい門をくぐり抜けて養成課程に行く。それができれば、救急救命士になれる可能性も残されている。 「一海には、きっとそういうのが向いてる。救命士もいいけど、消防士だって悪くない。どっちも似合ってると思う」 幸也の言葉を聞いて思い出す。幼い頃、車の中に閉じ込められた俺を救出してくれた消防士のことを。 今でも鮮明に憶えている。危険を顧みることなく、救いを求める者に手を差し伸べて勇気づけてくれたあの力強い姿。 あんな人間に、俺もなれるだろうか。 「一海は幾らだって未来を選べるんだ。応援してるよ」 幸也はそう言って、眩しいものでも見るかのように目を細めた。その淋しげな顔につい見入ってしまう。 黙り込んだそのタイミングで、ウェイターが注文を取りに来た。俺がメニューに軽く目を通してドイツビールを頼むと、幸也は少し考え込んでからおもむろに口を開いた。 「ギムレットを」 ギムレット。 PLASTIC HEAVENでマスターが俺に出したそのカクテルは、確かアスカがあの男と最初に接触したときにも注文していたものだ。 「かしこまりました」 愛想のよい笑みを浮かべて立ち去るウェイターの背中から目の前の男へと視線を移す。幸也は何か思惑のありそうな瞳で俺を見ていた。 愁いを帯びた眼差しは他者の痛みを癒すかのように優しく、俺はカクテルの意図を問い質さずにはいられない。 「最近、ギムレットに縁がある。俺の周りが思わせぶりにこのカクテルを頼むんだ。何か特別な意味があるのか」 静かなピアノ曲が耳に届く。店内に流れる調べはどこか古めかしさの感じられる、懐かしく美しい旋律だ。 幸也はテーブルの上で細い指を組みながら、そっと唇を動かした。 「ギムレットには早過ぎる」 聞き覚えのあるそのフレーズは、PLASTIC HEAVENで契約を交わしたときにマスターが口にしたものだった。 まるで、何かの台詞のようだ。 「一体どういう意味なんだ」 「意味って言うか……知らない? 有名なハードボイルド小説の一節なんだけど」 「小説?」 幸也にそんな本を読んでいるイメージはなかった。俺の顔を見て察したのか、幸也は少し笑う。 「笠原さん、意外とそういうのが好きなんだよね」 自分を愛人として囲う男の名をさらりと出して、言葉を続ける。 「ミステリのネタばれになってしまうかもしれない。ラストの部分になるから、そこまでの下りを説明するのは省くけど」 幾度かの瞬きの後、睫毛の下から覗くアンニュイな瞳が俺の姿を映し出す。 「もしかしたら、僕だけじゃなくその人たちも一海が死に急いでいることを勘づいていたんじゃないかな。だから、引き止めたかった」 トレイを片手に持ったウェイターがやって来る。テーブルにグラスがふたつ置かれるのを、俺はただ黙って見つめていた。 ウェイターは俺たちの様子を一瞥し、料理の注文を取ることなく下がっていく。聡明な店員だと思った。 「じゃあお前も、わかってたと言うのか」 声を殺して問い掛ける俺に、幸也はしっかりと頷く。 「最近の一海からは、そういう悲愴感が漂ってたよ。空の仇を討つことができれば自分も死ぬつもりだった。そうだよね」 不自然な沈黙は肯定したも同然だった。動揺を隠し切れない俺の顔を見ながら幸也は溜息を漏らし、淋しげに笑った。 「何年一緒に過ごしたと思ってるの。僕はそこまで鈍感じゃないよ」

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