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after Platinum Kiss side A 1

胸の奥に何かが詰まっているかのように、呼吸がおぼつかない。 午前0時を過ぎているというのに、ひどく混雑した駅の構内はむせ返るような人いきれに包まれていた。人混みに揉まれながら改札口を出て、流れに身を委ねるようにあてもなくただ歩き続ける。 どうしてこんなところで降りてしまったのだろう。 かつて僕が時折訪れていた繁華街は、真夜中の持つ本来の静けさを拒むかのように騒がしく、人工的な強い光に満ち溢れている。 街は眠らずに、たくさんの生命を乗せて廻り続ける。 雑踏に紛れて彷徨ううちに、そこはかとなく意識は浮遊感を伴い、塗り立ての水彩画に水を落としたように滲んでいく。 夢と現の境界が曖昧になり、僕はその狭間を行き来していた。 これほど大勢の人がいるのに、たった今僕がこの世界から忽然と消えてしまっても、きっと誰も気づかないだろう。 先程まで確かに心は満たされていたのに、一人になった途端、やり場のない喪失感に襲われている。その理由は自分でもよくわかっていた。 胸の痛みを少しでも和らげたくて、ゆっくりと息を吐きだす。 帰りたくなかった。ユウが僕を待つ、あの場所に。 少しずつ自分を制御できなくなってきた僕のことを、ユウはもう持て余している。それは紛れもない事実だ。 全てを断ち切ったつもりだったのに、結局は決して赦されない想いを抱いたまま、忘れることも消し去ることもできずに僕は自分自身をごまかし続けていた。 湧き起こる情動を、痛みを伴うほどに強い快楽で抑えつけようとしてきた。けれど、どれだけ心に蓋をしてもその感情は隙間を縫うように溢れてこぼれ落ちていく。 こんな気持ちを抱いたまま、ユウと一緒にはいられない。 いや、そうではない。僕は見捨てられたくないのだ。他に行き場などないのに、見限られて放り出されることが怖くて堪らない。 信号が赤から青に変わり、人の流れがせわしなく交差していく。それが赤へと切り替われば、臆病な僕は立ち止まり、光を放ちながら通り過ぎていく車の群れを遠目で眺め続ける。 けれどこうして真夜中の街を徘徊することが、一体何になるのだろう。僕が還るところはあの場所しかない。他に選択肢などないのに。 信号がまた青に変わる。行くあてなどないのに人の波に乗り切れないまま、僕はふらついた足取りで歩みを進める。 いっそのこと、誰か僕をさらってくれないだろうか。 誰でもいい。このまま息もできないほどに強い力で、僕の全てを壊してほしい。つまらない心の渇きが感じられなくなるように。 「……Hi」 突然背後から肩を掴まれて、景色の流れがぴたりと遮られる。 「Are you free tonight?」 若い男の声が紡ぐ流暢なイントネーションに、思わず僕は足を止めていた。 この人についていけば、今夜は帰らずに済む。そんな不埒な考えが脳裏を掠めて、けれど同時にどうしようもなく奇妙な違和感に胸騒ぎを覚える。 僕は、この声を知っている。 次の瞬間、思いも掛けない言葉が続いた。 「お前、全然変わってないね。そんなほっとけないオーラ全開でふらふらしてたら、危ない奴に拉致されちゃうよ?」 懐かしい口調に、肌がふつふつと粟立つような興奮と恐怖が入り混じる。 瞬時に時間は巻き戻り、サキが生きていた頃に僕を取り巻いていた世界が呼び醒まされる。 サキと一緒にいられることが当たり前だった頃。僕が持つ最も幸せな記憶だ。 目映いほどに煌めく想い出が走馬灯のように蘇り、僕を過去へと引き戻していく。 このまま立ち止まっていてはいけない。振り切って、逃げなければ。 そんな気持ちとは裏腹に足がすくんで動けない僕の前に回り込んで、その声の主は屈託なく笑い掛けてくる。あの頃と変わらない、春の陽射しのような暖かな笑顔だ。 「久しぶり、飛鳥」 「陽太(ヨウタ)……」 高校時代の友人は、記憶の中よりも少し大人びた顔をして目の前に立っていた。 カフェというより喫茶店と呼ぶ方がしっくりくる。そんなレトロな雰囲気の店内で、僕たちは向かい合って腰掛けていた。 頭上には琥珀色の小さなシャンデリアが控えめな光を放ち、僕たちをほんのりと優しく照らしだす。 中学時代の友達と飲んできた帰りだという陽太は、確かに頬は少し赤くなっているもののそこまで酔っ払っているわけではないようだ。 陽太は高校時代の同級生で、僕が何でも話すことのできる唯一の友達だった。サキに想いを伝えるときに背中を押してくれたのも陽太だ。 その頃、陽太には同級生の彼女がいた。学校が違うから会ったことはなかったけれど、話を聞くだけでもよくわかるほど二人は仲睦まじかった。 僕たちが高校二年生のときだ。 陽太が突然英会話教室に通い出して、英語を猛勉強するようになった。 何でも彼女から、アメリカの大学を受験するから遠距離恋愛が無理なら別れてほしいと告げられたらしい。 『なんて言い草だよ! 信じられるか、飛鳥。 遠距離だって? ふざけんな! 別れるなんて簡単に言うな、バカ』 普段は飄々としてる陽太がものすごい剣幕で悪態をつくところを、僕は初めて見た。そして、陽太はそんなことを言いながら大学留学のノウハウを調べて英会話教室の門を叩き、着々と向こうの大学を受ける準備を進めていて、その行動力に圧倒されたものだ。 そうして努力を積み重ねた末、陽太は奨学金のプログラムを利用しつつ彼女と同じ大学を受験して、本当に合格してしまった。 陽太の大学入学は八月だったけれど、それまでに向こうの生活に慣れたいからと、高校を卒業してすぐに二人揃って渡米し、僕たちはそれきり会っていなかった。

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