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act.7 Angelic Kiss 〜 the 2nd day 6
「もういい。ありがとう」
ミチルがハルカに差し出した釣り銭は、千円札が二枚と百円硬貨が五枚だった。ここで遊びたいと言ったわりにはたったの五百円しか使っていない。せいぜい二、三回ゲームをしたというところだろう。
「時間は気にしなくていいから、もっと遊んでくればいいよ」
ハルカの言葉に、ミチルは躊躇いがちに瞳を揺らす。何かを言いたげな表情でハルカと俺を交互に見て、やがて覚悟を決めたかのように唇を動かした。
「……あの、あれが撮りたいんたけど」
細い指がさした先にあるのはプリントシール機だった。目が痛くなるほど派手なコーナーは、俺にはまるで無縁のものだ。
「撮って来いよ。待っててやるから」
そう促してやれば、ミチルは視線を落として聞こえるか聞こえないかぐらいの微かな声で呟く。
「一緒に、撮って」
なんだと?
「おい。まさか、俺もか」
ミチルは困ったように眉根を寄せながら、こくりと首を縦に振った。
いやいやいや。誰が好き好んで男三人で撮るんだ。しかも、この年だぞ。勘弁してくれよ。
そうは思ったものの、ミチルのあまりにも真剣な面持ちに俺は拒絶の言葉を呑み込んでしまう。
どういう理由だか知らないが、ミチルがこの店へ入ったのはそれが目的だったんだと気づく。
どうしようかと思いあぐねてハルカに視線を流せば、思いのほか神妙な面持ちで考え込む姿にドキリと心臓が高鳴った。
「──ごめん。僕、写真はちょっと」
長い睫毛を伏せてぽつりとこぼすその顔が色っぽくて、つい見入ってしまう。
一度は断ったものの、ミチルがみるみる落胆する様子にハルカは思い直したようだった。
「いいよ。一緒に撮ろう」
そう言ってハルカはぎこちない笑みを浮かべる。まるで何か気がかりなことを振り切って決意したかのように。
「タクマさんとミチルなら、大丈夫だから」
自分に言い聞かせるように小さな声でそう呟いてから、ハルカはミチルの手を取って煌びやかなコーナーへと導いていく。その後ろを歩きながら、俺はハルカが写真を拒もうとした理由が何なのかをぼんやりと考えていた。
撮られると何かまずいことでもあるんだろうか。
キラキラというよりギラギラという表現の方がしっくりくる機械の並ぶ空間は、ひどく居心地が悪い。不自然に目の大きな女の子の姿が並ぶボックスの中からミチルは比較的地味で無難そうなのを選んだ。三人で順番に中へと入っていく。
人が少ない時間でよかったとつくづく思う。コインの投入口に百円硬貨を四枚入れると、ミチルはタッチパネルの前でおずおずとフレームを選びだす。それを後ろから眺めるハルカの顔をそっと盗み見ようとしたつもりが、気づかれてしまってかわいい顔で見つめ返された。
もう普段通りのハルカに戻っている。
撮られることを躊躇ったのは、写真に姿が写らないからかもしれないな。浮世離れしたきれいな姿を見ていると、ふとそんな下らないことを思ってしまう。
手順を説明する甲高い機械の音声に合わせて、ミチルを真ん中に挟み三人でぎこちなく並ぶ。モニター上のレンズを見つめて、この小さな空間の眩しさに目を細める。何度もフラッシュを浴びながらどうして一回で終わらないんだとげんなりしてしまう。
まあ、こんなことぐらいでミチルが喜ぶならいいか。
ハルカが背後からそっとミチルの肩に手を添えて引き寄せる。触れられたその瞬間、ミチルはわずかに身体を強張らせたものの、すぐに頬を緩ませて笑顔になった。
ああ、この二人は本当に血の繋がった兄弟みたいだな。
三人で寄り添って、白く輝く光を浴びながらフレームに収まる。遊びで撮っているというよりも畏まって家族写真を撮影しているかのようで、俺はこの状況にくすぐったさを感じていた。
家族、か。
独り暮らしが長くて、仕事もずっと忙しかった。そんな日々の中で自然と実家に寄り付くことがなくなり、家族のことを考える時間が減ってしまっていた。
俺は家族と向き合うことにどこか引け目を感じているんだと思う。だから、あえて関わりが少なくなるように自分を仕事へと追い込んでいた面もあるのかもしれない。
幼い頃から憧れていた義理の兄のきれいな面差しを、ふと思い出す。脳裏に浮かぶのは、なぜか兄の困った顔だ。心の中で、俺はそっと呟く。
大丈夫だよ。俺がこうしていい加減な人生を歩んでいくのは、別に兄ちゃんたちのせいってわけじゃないからね。
やっと終わったと思ったら、今度はボックスの外に回ってディスプレイを見ながら落書きをするんだという。
「おい、まだあるのか」
今ので結構いろんなものを使い切ったぞ。
愚痴っぽくこぼす俺をよそに、ミチルは今しがた撮影した写真が映るディスプレイを興味深そうに眺めている。タッチペンを手に取って幾つか撮影した写真の中から二種類を選び、しばらく考え込むように何度か瞬きをしてから、シンプルなブルーを選んで画面に今日の日付を入れていった。
ようやく印刷されて出てきた小さなシールの羅列を、ミチルは備え付けのハサミで切って、ハルカと俺に差し出してきた。
「俺は別に」
いらないよ、と口にしかけて、そこに映るハルカの眩しいぐらいにきれいな微笑みに光の速さで受け取ってしまう。
手元のものをまじまじと見つめる。明るい光に包まれながら、ハルカに肩を抱かれたミチルは自然な笑顔を浮かべていた。
うん、いい写真だな。
「ありがとう」
ミチルは照れたように礼を言って、ぎこちなくはにかんだ。こんな些細なことが、この子にとっては本当に嬉しかったんだ。そう思うとなぜだか胸がチクリと痛む。
俺は今日明日にでも児童相談所に連絡を入れて、ミチルを引き渡さなければいけない。
「こういうこと、してみたかったんだよね……」
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